139話 祭の裏で
海礼祭、当日。
首都の中心部、華やかな大通りには大勢の人々が詰めかけていた。
友人と、家族と、恋人と。
誰もがいつもより少しだけ綺麗な服を着、明るい表情をしている。
人々の視線にこもるのは「期待」。
今か今かと、巫女がこの通りに現れるのを待ちわびている。
そんな中、場にそぐわない真剣な顔をした人物が3人。
ライル、フゲン、マナだ。
彼らは人々と同じように北の方に目を向け、しかし期待とは言い難い感情を抱えていた。
「そろそろだね……」
布に包んだ細長い物体を手に、マナが呟く。
水色の瞳の奥が僅かにギラついた。
「準備は良いかい」
「大丈夫だ」
「もちろん!」
ライルとフゲンはしかと頷く。
慢心や不安の陰りは無い。
「じゃ、よろしく頼むよ」
そう言って、マナは人混みの中に消えていった。
アグヴィル協会から巫女を守る作戦は、既に始まっている。
数人ずつに分かれた仲間たちが、各々の場所で行動を開始しているのだ。
通りに沿って伸びる行列の最前列へと、ライルとフゲンは移動する。
2人に割り振られた役割を果たすにはまず、視界を確保する必要があった。
一般人ですよという素振りでそれとなく待っていると、にわかに北の方から歓声が上がる。
わあわあと響くその声は徐々に南下し、やがてライルたちの近くまで来た。
周囲の人々も、つられてざわつきだす。
ライルが少し身を乗り出して北を見れば、そこにはゆっくりと近付いてくる大きな影があった。
「来たぜ! あれが例の神輿だな」
「だな!」
2人は頷き合う。
通りの真ん中を進む豪奢な神輿。
それを取り囲む何人もの兵士たち。
神輿の上は柱と布で覆われてよく見えないが、間違いなくそこにキエが居る。
ライルたちは続いて、色めきだつ民衆に目を向けた。
美しい神輿とその上に居るであろう巫女に目を奪われ、興奮する人々。
……の間を縫って、見慣れた角が動いている。
カシャだ。
彼女の傍には、モンシュとクオウも居る。
3人は周辺に注意を払いつつ、神輿が進む速さに合わせて移動していた。
「よし、ちゃんと付いていってるな」
彼女らの役割は、直接神輿を見守ること。
「アグヴィル協会の企みを阻止するためには単一の手だけでは足りない」というのがマナの主張。
一同は攻守交えた妨害手段を用意し、カシャたちの「神輿護衛」はそのひとつというわけだ。
カシャは機動性に富んでいるし、クオウは遠距離での器用な対応が可能、モンシュは竜態になれば強引にでもキエを連れて逃げられる。
護衛としてはこの上なく適切な人選だ。
「ってことで、今度は……」
ライルとフゲンは彼女らから視線を外し、また人々の群れを観察し始める。
ややあって、先にライルが「見つけた!」と声を上げた。
「どこだ?」
「あそこ、後ろの方に居る」
彼が指差したのは神輿の通り道を挟んで反対側の群衆。
フゲンが目を凝らすと、確かにそこに、目的の人物が立っていた。
癖のある茶髪をふわふわと揺らしながら、不審な動きをしている少年――ヤシャだ。
「よーっし! やるぜ、ライル!」
「ああ!」
2人は同時に駆け出す。
一旦列の最後尾まで戻り、それから神輿が通り過ぎるのを横目に北の方へ。
神輿から距離を取ったところで、えいやと通りの反対側へと渡った。
群衆の何人かが彼らに怪訝な目を向けたが、すぐにそれらの目は神輿の方へと移される。
ライルとフゲンは渡った先でまた南に向かい、群衆の中に紛れるヤシャの背後に近付いた。
「わっ!?」
フゲンの手が襟首を掴み、驚いて声を上げるヤシャ。
背後を確認しようと振り返りかけるが、その隙は与えられない。
毎度おなじみの身体能力でフゲンは地面をひと蹴り、ヤシャを捕らえたままあっと言う間に通りから離脱する。
1本外れた道に着地したかと思いきや、また跳び上がって付近の建物の2階へと突っ込んだ。
「いたた……」
放り投げられる形で解放されたヤシャは、周囲を見回す。
家具は少なく、金品の類は無く、そこかしこに埃が積もっている、だだっ広い部屋。
どうやらここは――外観からはそう見えなかったが――廃墟のようだった。
次いで、彼はふと自分の体を見る。
先ほど物も使わずに窓をぶち破ってきたにしては、傷がほとんど無い。
顔を上げれば、上着にまとわりついた細かいガラス片を振り払うフゲンの姿。
なるほど彼が先に窓を割ったのか、とヤシャは納得する。
「変なことするなあ」
ぽつりと彼が呟くと同時に、部屋の扉が開いてライルが入って来た。
「やっと追い付いた!」
「お前も窓から入ってくりゃ早いのに」
「でき……なくはないけど、俺の速度じゃ人に見られる可能性が高いだろ」
軽口を交わしつつ、ライルはフゲンの隣に並び立つ。
それから槍で床を軽く叩き、ヤシャを見据えた。
「悪いけど、巫女に手出しはさせない。お前には、ここで俺たちに捕まってもらう」
2対1、恐らく攻撃手段は既に割れている……ヤシャにとっては不利な状況と言えたが、彼は余裕な態度を崩さない。
ヤシャはへらりと笑って、頭をかいた。
「ねえ、お兄さんたち。どうしてボクがあそこに居るってわかったの?」
「ふふん、教えねえよ」
「えー」
もったいぶるフゲンに、ヤシャは口を尖らせる。
尤も、彼らが知り得るのは偽の情報か、わざと流した「餌」のどちらかであると、重々ヤシャは承知しているのだが。
「ま、いいや。ここで死んでもらおっかな」
アグヴィル協会の変わらぬ優勢を確信しながらも、いつもと変わらない様子でヤシャは言う。
そもそも彼は、常にボス・エニシのことを完全に信頼している。
故に信ずるはいつでも変わらず「最終的な勝利」であり、そこに対する態度が揺らぐことは決して無いのだ。
構えを取り戦意を露わにするヤシャに、ライルとフゲンもまた臨戦態勢に移行する。
「俺たちは、お前に勝つよ。殺さずにな」
「そっか。やっぱり優しいね、お兄さんたち」
ふ、と音が途切れる。
次の瞬間、ヤシャが両手を素早く交差させるように動かした。
彼の手から糸が伸び、空を切り裂く。
狙う的はフゲンだ。
攻撃の種が割れているとは言え、文字通り目にも止まらぬ糸の速さに対応できなければ意味は無い。
まして糸を切ることができる強靭な鱗も、「面」で防ぐことができる盾も、武器すらも持たないフゲンには対抗手段が無いも同然だ。
……と、ヤシャは考えたのだが。
「おっと!」
糸がその腕に絡みつく直前、フゲンは軽く横に跳躍した。
的を外した糸は虚しく地に落ちる。
「えーっ! 何で当たらないの!?」
すぐさま糸を手元に戻しつつ、ヤシャは驚きを隠そうともしない声を上げた。
当てずっぽう、で回避できるような代物ではない。
いったいどうして……と唖然とするヤシャに、フゲンは平然と答えた。
「そりゃ、避けてるからだよ。糸自体は見えなくても、空気の動きで位置はわかるからな」
「ッ、だったら!」
ヤシャは瞬時に標的をライルへと移し、再び糸を放つ。
身体能力が異常なのは恐らくフゲンの方だけ。
万一槍で防がれても、そのまま糸を巻いて奪ってしまえば良い。
自分が対象でなければ、フゲンも間合いを知覚できないから邪魔をされることも無いはず。
確かな勝ち筋を見出すヤシャだったが、しかし哀れにもそれはあえなく打ち砕かれた。
「はっ!」
ライルが、槍を振るって糸をばっさりと切ったのである。
「あーっ! 作り直してもらったばっかりなのにー!」
ほとんど悲鳴のような声を出すヤシャ。
手元に伝わった感覚からして、糸がかなり細切れにされたのがわかっていた。
「……ねえお兄さん、その槍って何でできてるの? この糸、海竜族の鱗でも切れないように調整してあったんだけど」
「秘密だ。特別製とだけ言っておく」
「……あーもう、ボクの苦手分野ばっかり!」
瞬く間に打つ手を封じられたヤシャは、破れかぶれに叫ぶ。
と、身を翻して走り出し、部屋から出て行った。
「あっ、こら逃げるな!」
すかさずライルたちは追いかけるが、扉を抜けて廊下を見回した時にはもう影も形も無い。
階段を駆け下り建物の外に出ても、やはり彼の姿は見当たらなかった。
「クソ、見失っちまった」
「深追いはやめておこう。キエを守るのが優先だ」
「そうだな」
今回の作戦は、あくまでキエを守ることが目的。
追跡を取りやめた2人は、先ほどの通りに戻って行くのであった。




