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破天の雷霆  作者: F.ニコラス
第5章 対峙:小は大を制すか
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138話 怖い

 ライルたちが神殿でキエと接触してから早数日。


 雷霆冒険団と海底国軍『箱庭』捜索隊の面々は、来たる海礼祭に備えて様々な準備を進めていた。


 アグヴィル協会の動向観察、作戦会議、キエへの情報共有、等々。

 限られた人員と時間の中で彼らは慌ただしく働き、あっと言う間に海礼祭の前日を迎えた。


 祭りは正午から始まるため、当日の明け方には首都へ向かって出発する予定だ。

 万全を期すため彼らは早めに就寝した……のだが。


「眠れないのか」


 ライルは拠点のとある一室に入るや、中に居た人物にそう声をかけた。


「やあ、ライルか」


 返事をしたのはマナ。


 この2人だけは、仲間が眠る一方でいまだに起きていた。


「ただの夜更かしだよ。やることがあってね」


 机で熱心に何かの作業をしていたマナはその手を止め、ライルの方を振り返る。


「君こそ、寝なくていいの?」


「まあな。考え事してた」


 答えるライルの表情は、どこか暗い。


「悩み事?」


 察したマナがそう問えば、彼は曖昧な笑顔でゆるく頷いた。


「そこ、座りなよ」


「ありがとう」


 ライルはソファに腰掛ける。

 弱めに点けられた照明が、ちかちかと瞬いた。


 少しの沈黙を挟み、ライルは口を開く。


「俺……この国に来て、ちょっと怖くなったんだ」


 マナは黙って彼を見つめた。

 光が部屋の中の物体を、仄かに縁取っている。


「今まで俺は、いろんな人間に会ってきた。その中には悪いことをする奴も居て、された奴も居た。要するに、悪事ってものを、俺はある程度は見聞きしてきたんだ」


 ひとつひとつ、ライルはこれまでのことを思い返した。


 ウィクリアの町に居た暴漢、ファストをはじめとする執行団、リンネ率いる地上国軍『箱庭』捜索隊、イシュヌ村のユガ、ローズ公国の人々、スアンニーたち、フアクの居た盗賊団、憲兵のジュンル、セツヨウ一行、地底国軍『箱庭』捜索隊。


 皆、自分や誰かのために罪を犯したり、あるいはその害を被ったりしていた。

 彼らのうちの誰1人として、ライルは嫌ってはいない。


「でも、あの競りとか……キエやティガルの置かれた状況とか……なんか、今までのとは根本的に違う、みたいな感じがして」


 ライルは途切れ途切れになりながらも、何とか言葉を絞り出す。


 喋りながら考えを言語化しようと試みるその姿は、少ない語彙で懸命に自己を表現しようとする子どもに似ていた。


「社会そのもの、っていうのかな。あるいは社会全体を覆うような……。悪いことが全部どこかに繋がってて、国の人間たちがみんなそれに捕まってる……悪い環境に閉じ込められてる気がするんだ」


 ライルが身じろぎをすると、ギシ、とソファが軋む。

 彼の靴と床が擦れて、微かな音を立てた。


「そもそも悪事ってのは何でも、原因があるもんだけどさ。この国で行われるそれは……ずっと根深くて、暗い。原因が多すぎる」


 そこでいったん、ライルは口を閉じる。


 代わりにマナが、何とも言えない笑顔で声を発した。


「うんうん。確かにそうだね。いや、全くその通りだよ」


 彼は椅子の背にもたれる。


「前も言ったけど、海底国は根っこから腐ってるんだ。産まれた瞬間から誰もが腐った環境に居て、ほとんど誰も逃れられない。気付けば腐敗を進めるのに加担している。君の言う通り、悪事の原因がまた別の原因と繋がってて、そう簡単には解けないわけだ」


 教え子にゆっくりと物事を説く教師のように、マナは言った。


 椅子の上でゆらゆらと体を動かし、その態度は軽薄そうに見える。

 だが彼の目は、強い感情を宿していた。


「で、何が怖いのさ?」


「人間が……」


 ライルは祈るように組んだ手を、きゅっと握る。


「人間が、悪いものに見えた。一瞬だけど。それが怖かった」


「……?」


 吐露された言葉に、マナは眉をひそめた。

 否、言い方に、と表現した方が適切だろうか。


 ともかく彼はライルの言動に違和感を覚えた。


 まるで、人間なのに人間じゃないものが喋っているかのような、そんな違和感。


 マナは目を凝らす。

 おかしなところは少しも見当たらない。

 確かに、間違いなく、ライルは人間であるはずだ。


 しかしそれでも、何やらライルには特異なところがある。


 やや既視感のある感覚に、マナはふと思い出した。

 競りの会場でのことだ。


 舞台に上がり司会に抗議したライルは、異様な雰囲気を纏っていた。

 威圧感こそ無いものの、今のライルの発言には、あの時の彼と似たものがあった。


 マナはひとまず黙って、続く話に耳を傾ける。


「もちろん、そんなわけはないって知ってる。フゲンたちも、お前たちも良い奴だ。他にも親切だったり、優しかったりする人は大勢居る。実際、会ってきたしな」


 声のトーンを少し押し上げ、ライルは言う。

 自分に言い聞かせているようだった。


「でも、一瞬でも、そのことを忘れてしまうくらい……強烈だったんだと思う。想像だにしなかった悪事が存在すること。それを平然と行う者たちが居ること。それが、あまり珍しくないらしいことも……」


 また、声が暗くなる。

 ライルは項垂れ、顔に影が落ちた。


「俺は怖い。人間を嫌いになってしまうかもしれないことが、ほんのちょっとだけ、怖いんだ」


 数秒の静寂。

 それから、ギシ、と音がして、ライルは顔を上げた。


 見ると隣にマナが座っている。

 膝を支えに頬杖をついて、彼は笑った。


「真面目だねえ。しかもライル、君ってなんだか変わってる」


「そ……そうか?」


「悪い意味じゃないよ。けどまあ、良い意味でもないかな。普通の感想。君は普通の人とは、ちょっぴり視点が違うみたいだ」


 マナはライルの話を最後まで聞いて、確信を得ていた。


 ライルは普通の人間ではない。

 生物学的なところで、「人間」とは違う枠組みの中に居る。


 だがマナはその確信を、ほのめかすのみに留めることにした。

 追及する気も、意味も無いと考えたからだ。


「詮索はしないよ。ただ、助言はしておこうかな」


 マナの空色の瞳と、ライルの金色の瞳が、ぱちりと向き合う。


「一番大事な目的だけは、見失わないようにしておくといい」


「目的……」


「人生って色々あるしさ、思いもよらないハプニングってのも起こるでしょ? でも自分の中で、『これだけは』っていう目的をはっきりさせておけば、少なくともそこに向かうことはできる」


 マナはポン、とライルの肩を叩いた。


「どんなに道が分かれていても、どんなに邪魔をされても、心に確かな軸があれば何とでもなるさ!」


 照明の光が、じじ、と明滅する。

 それと共に、影もまた、揺れ動いた。


「ライル、君にはどんな目的があるのかな。僕にはわからないけれど、もしそれを明確にできたなら……『人間を嫌いになるかも』ってことに対して、どう行動すれば良いかわかるはずだよ」


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