137話 悪夢の理由
海底国軍『箱庭』捜索隊の副隊長、イハイは眠りが浅い。
寝つきは良いが、悪い夢を見てすぐに起きてしまうからだ。
夢の内容はいつも同じ。
彼が子どもの頃に体験した出来事の再現だ。
悪夢はいつも彼を苛む。
しかし、イハイは今日も眠る。
そして夢を見るのだ。
12年前のある日から始まる、昔の夢を。
――イハイは母親から嫌われていた。
イハイの家は、巫女が生まれる可能性のある希少な一族だ。
ただ、唯一ではない。
他にも3家ほど、巫女を輩出し得る家系はある。
巫女が死んで代替わりが起こるたび、3家は競って子を作る。
巫女がどの家に生まれるかは、完全に無作為だ。
そして一代に2人以上の巫女が誕生することはない。
他の家より早く、巫女を生むこと。
それが、3家の女性に求められる最大の仕事だった。
巫女さえ生めば、その代は安泰。
生んだ家は「巫女の家」として絶大な権力を握ることができる。
故に3家は、必死になって子どもを作るのだ。
イハイが生まれたのは、そんな「競争」の最中だった。
だが、男は巫女にはなれない。
そしてイハイは男である。
彼の両親は、イハイの性別を知った途端に落胆した。
「1回」分、無駄になったことが一目瞭然だったからだ。
しかも更に悪いことが起こった。
イハイが生まれた5ヵ月後に、別の家から巫女が誕生したのだ。
それを聞いた彼の父親は怒り狂い、母親をこれでもかとなじった。
他の親族も皆、口を揃えて言った。
「お前があの『1回』を無駄にしなければ」と。
イハイを巫女として産めていれば「競争」に勝てていたのにと、そういうことだ。
母親が心を病むのに時間はかからなかった。
また、母親が自分にぶつけられた怒りを、イハイに向けるのにも。
「あんたがちゃんと生まれなかったから」
それが母親の口癖だった。
イハイは物心ついてから家を離れるまで、暴力を振るわれなかった日を知らない。
母親はいつも、泣きながら怒鳴り、彼を殴った。
年齢が上がるにつれ、イハイが男であることがより明白になっていく。
それに耐えられなかった母親は、ある時ついに彼を無理矢理、男でなくした。
イハイが悲鳴を上げても、家の者は見向きもしなかった。
さも、当然のごとく。
この出来事があってから、母親は彼に以前ほど構わなくなった。
暴力は相変わらずだがイハイを虐げるよりも放置する時間の方が多くなり、イハイには自由な時間が手に入った。
――彼の夢は、この辺りから始まる。
誰からも必要とされないイハイは、時間を得ても暇なだけだった。
そこで彼は、ふと思い立って外に出てみた。
万が一にも、誰かに見つかって連れ戻されないよう気を付けながら、家から離れてどこへともなく歩いて行く。
この頃から既にイハイは、人目をかいくぐることが得意だった。
天性の才能と言っても良いかもしれない。
街――ドームの、端から端まで、彼は歩き続けた。
それから何とはなしに、路地裏に入る。
なにやら小さな扉があった。
錆び付いたそれを、イハイはこじ開ける。
中は階段になっており、ずっと下まで続いているようだった。
イハイは恐れ知らずに飛び込む。
真っ暗闇の中を手探りで進んで行くと、階段が終わり、長い通路になった。
更にその通路を行けるところまで行く。
ずっとずっと、続く通路は本当に長かった。
途中で転送魔法が2度ほど発動する。
と、今度は上に昇る階段が現れた。
興味のままに上がって行ったイハイは、やがて頭にこつんと当たった扉を押し上げる。
光が視界いっぱいに広がった。
目が慣れて、周囲の景色が見えてくる。
そこは荘厳な雰囲気の大きな部屋であり、イハイの目の前には1人の少女が驚いた顔で座り込んでいた。
「こんにちは! 誰?」
イハイは笑って言う。
少女は返した。
「……キ、キエ。あなたは?」
「イハイ! よろしくね、キエ」
彼に悪意が無いらしいことを直感したキエは、少し頬を緩める。
「キエ、俺とあそばない?」
「! いいよ。あそぼ」
「何する? 俺、あそび方しらないんだ。おしえて!」
「ふふ、あそび方わからないの? しょうがないな」
こうして、2人は友だちになった。
片や、悲惨な家庭環境のせいでこれまで自由が無く、当然友だちもいなかったイハイ。
片や、巫女として目覚めたばかりに、この部屋……神殿に閉じ込められっぱなしの生活を送るキエ。
イハイが度々親の目を盗んで神殿に忍び込んでは、キエがそれを迎える。
そんな日々が続いた。
お互いがお互いの家のことと、立場を知るのにはそう時間はかからなかった。
けれども、2人の関係は少しも変わらなかった。
むしろ絆が強固になったくらいだ。
しかし。
幸せな時は、ある日を境に一変する。
「イハイ、あんた、どこに行ってたの」
母親にそう問われ、イハイは血の気が引いた。
いつも抜け出していた時の解放感や高揚はどこへやら、一瞬にして心が母親への恐怖に支配される。
気付けば、正直に答えてしまっていた。
母親は「余所の」巫女であるキエを憎んでいる。
そのキエと仲良くしている自分は、果たしてどんな罰を受けることになるのか。
震えるイハイを、しかし母親は、強く抱きしめた。
「よくやったわ、イハイ!」
生まれて初めての好意的な態度にイハイが目を白黒させていると、彼女は続けてこう言った。
「殺して来なさい。あの巫女を。あんたなら警戒されないし、バレもしない」
母親はニッコリと笑う。
「ああ、あんたを生んで良かった!」
翌朝、彼女はイハイに手製のクッキーを持たせた。
半分は普通の、もう半分は致死性の毒を練り込んだものだった。
「先にこっちの安全な方を食べて見せるのよ。そうしたら、毒入りの方を巫女に差し出しなさい」
上機嫌の母親に見送られたイハイは、クッキーの入った包みを抱えて神殿へと向かう。
いつも通り、誰にも見つからなかったが、尋常でない緊張と吐き気が彼を締め付けていた。
「あ! おはよう、イハイ」
神殿に現れたイハイを見て、キエは顔を輝かせる。
「今日は何して遊ぶ? あのね、私、お世話係の人に上手に言って、紙と色鉛筆を貰ったんだ」
お絵描きをしようと誘うキエ。
イハイは彼女に、包みを開いて見せた。
「わ、これお菓子?」
いっそう表情を明るくして、キエは笑う。
「食べていいの?」
イハイは頷く。
そして安全な方を1枚口に入れ、毒入りの方を彼女に差し出した。
「ありがとう!」
キエは手を伸ばす。
彼女がクッキーに触れる――直前、イハイはサッと手を引いた。
目を丸くするキエに、彼は笑いかける。
それから、毒入りのクッキーをひと息に食べた。
咀嚼し、呑み込む。
腹の底がにわかに熱くなった。
次いで激しい痛みが襲い来る。
目の前が歪み、イハイは姿勢を保っていられなくなった。
熱と痛みが体中に伝播し、指先が震えだす。
文字通り死にそうなくらいの苦痛の中で、イハイはキエの方を見た。
彼女は泣いていた。
何事かを叫び、ほどなく兵士が部屋に駆け込んで来る。
イハイはキエから引き離された。
朦朧とする意識の中で、いつまでもいつまでも、キエの泣き叫ぶ声だけが響く。
――彼の夢は、ここで終わる。
この夢は悪夢だ。
しかし、その理由は親族からの仕打ちでも、毒で苦しんだことでもない。
今のイハイは家を出て軍に所属しているから、親族とは絶縁状態だ。
それに、幸いにも後遺症すらなく元気にしているから、毒の苦痛も過去のもの。
悪夢の悪夢たるゆえんは、ただひとつ。
キエを泣かせてしまったことだ。
イハイは彼女と会えなくなってからもずっと、そのことだけを、強く悔いているのである。




