136話 悪人たちは笑う
海底国、某所。
街の郊外に佇む屋敷、その一室に、1人の男が居た。
椅子に腰掛けて煙管を吸う彼の名は、エニシ。
アグヴィル協会の頭領だ。
煌々と照明が光を放つ部屋の中、彼は宙を見つめて何事かを考えていた。
と、そこへノックの音が転がり込む。
エニシは目も向けず、「入れ」とだけ言った。
「失礼します、ボス。ただいま戻りました」
「戻りましたあ……」
現れたのは、長い刀を背負った少女とヤシャ。
2人とも、明るいとはとても言えない様子でエニシの前に立つ。
「手ぶらだな」
ふ、と煙を吐き出し、エニシはヤシャたちを一瞥した。
「うう、ごめんなさいボス……。ボク負けちゃった……」
「問題無い。想定の範囲内だ」
意外というべきか、「任務」の失敗への叱責は無い。
しかしある意味、ひどく冷徹である。
「ヤシャ、報告をしなさい」
少女が小声で促せば、ヤシャは「あ、そうだった!」と背筋を伸ばした。
「えっとね、ボス。ボク大きい盾を持った人と、角が生えたちっちゃい子と戦ったんだけどね。ちっちゃい子の方、尻尾も生えてたよ」
「ほう」
「でね、その尻尾の鱗が硬くって、ボクの糸切られちゃったんだ」
ヤシャは実際に、小さい子――すなわちティガルに切られた糸を出して、エニシに見せる。
ほとんど目に見えないようなそれだったが、エニシは何ということはないように摘み上げ、切り口をまじまじと観察した。
「そうか。では糸は新調しよう。マントラ、手配は任せる」
「はい」
少女、マントラは頭を下げて了承の意を示す。
だがその目は、必ずしもエニシに対する忠誠一色ではなかった。
一瞬だけ、下に向いた視線が鋭くなる。
そしてすぐに、元の感情に乏しい表情に戻り、顔を上げた。
「それと……ボス、10日後の海礼祭ですが。海底国軍『箱庭』捜索隊への対応は、いかがしましょう」
「何もしなくていい。既に仕込みは済ませてある。奴らは見当違いの舞台で、無様に踊るだけだ」
ゆったりと足を組み、エニシは緩やかな笑みを浮かべる。
彼はマナ、イハイ、マッポ、ニパータの顔を思い返した。
……簡単に思い返せるほど、しっかりと彼らの顔と名前を覚えていた。
「大方、小物だから目を付けられないと高を括っているのだろうな。子どもらしい驕りだ。既に拠点の位置も把握されているというのに」
くつくつと喉を鳴らしてエニシは笑う。
すると扉が勢いよく開き、元気の良い声と共に長身の少女が部屋に乗り込んで来た。
「ですよね! パラミもそう思いますよ!」
自身を「パラミ」と呼ぶ彼女は、1対2本の角を持った有角族だった。
その辺に居る普通の少女と何ら変わりない服装で、しかしずかずかと物怖じせずエニシの前に歩み出る。
「よっぽど人手が足りないからか、冒険者と協力してるみたいですけど。何人集まろうが、ボスの敵じゃないですもんね! 何ならパラミが爆殺しちゃいます!」
ニコニコと弾けんばかりの笑顔と共に、パラミは物騒な台詞を口にする。
ちょうど割り込まれるような形で彼女に横に立たれたマントラは、顔をしかめた。
「パラミ、先に火薬の匂いを落としてきなさい。ボスの前です」
「え!? パラミ、臭いですか!?」
パラミは自分の服や長い髪を、くんくんと嗅ぐ。
本人はよくわかっていないようだったが、彼女は確かに、濃い火薬の匂いを纏っていた。
「うーん、どうですかボス?」
「構わない」
エニシは簡素に答える。
そしてさっさと、次の話題へと移った。
「どうだった、神殿は」
「直接攻め落とすのは難しいですね! 周囲の護衛はまあ突破できても、神殿自体がかなり頑丈ですから。立て籠もられたら中に手出しはできません」
まるで吉報を伝えるかのごとく、パラミは溌溂と話す。
その間、落ち着きなく身振り手振りをするので、横のマントラはひどく迷惑そうな顔をしていた。
「あとですね、ボス! 面白いことがありましたよ」
「何だ」
「神殿からですね、例の冒険者たちが出て行きました」
ぴく、とエニシの眉が動く。
「え、お兄さんたちが?」
少し嬉しそうな声色で、ヤシャも反応する。
が、マントラに咎めるような目を向けられ、しゅんとなって口をつぐんだ。
「捜索隊の者たちは」
「居ませんでした。あの冒険者7人だけです!」
「ふむ……」
エニシはしばし考え込む。
真っ先に思い出されたのは、競りの会場で舞台に上がって、何やら抗議をしていたらしい槍の青年。
彼に近付く前に、恐らくは仲間によって舞台から下ろされたため顔はよく見えなかった。
だがエニシの目に焼き付いたその姿は、やけに鮮明だ。
組織的な悪事に堂々と対抗する度胸。
少なくともすぐには暴力に訴えない精神性。
それにヤシャの証言では、青年は涙を流していたのだという――その、奇妙な情動。
何よりエニシ自身が感じ取っていた。
彼が普通の人間ではないことを。
エニシは誰にも負けるつもりは無いものの、ただ1人、あの槍の青年にだけは警戒心を持っていた。
仮に戦闘した際の勝敗についてもそうだが、もっと何か……別の、言うなれば精神の部分で、青年から「攻撃」を食らう可能性を頭の隅に置いているのである。
「……冒険者と巫女の関係は不明だ。が、少なくとも巫女に、海礼祭のことが伝わっていると考えるのが妥当だな」
思考を終えたエニシは、表面的な情報から構築した単純な推測のみを口に出した。
槍の青年のことは言ってしまえば、エニシの個人的な関心事である。
来たる海礼祭における海底国軍『箱庭』捜索隊および冒険団との接触は、何ら心配する要素が無い。
全ての計算は終わっており、エニシと青年が対峙することも、当初の予定が3つほど破壊されなければまず有り得ないのだ。
「なるほどー、巫女は自分が危ないってわかってるんだ。じゃあ、もっと有利だね、ボス!」
ヤシャは無邪気に笑う。
パラミも口元に手を当て、けたけたと笑い声を漏らした。
「捜索隊の奴ら……自分たちが頑張って掴んだ情報が嘘だって知ったら、どんな顔するでしょうね!」
そう。
マナたち捜索隊が偵察を重ねて得た、あるいはこれから得る、アグヴィル協会の計画に関連する諸々の情報。
それらは全て、エニシの指示の下で意図的に流された偽物なのだ。
いくら対策をしようとも、いくら味方を増やしても、いくら巫女に危機を警告しても。
根本の情報が誤っていれば、何もかもが無意味である。
エニシは煙管を深く吸い、煙を吐き出す。
「神の国、『箱庭』。辿り着いた者の願いが叶う場所……。全く以て不愉快だ」
ギシ、と椅子が鳴る。
彼の瞳の奥には、闘争心がじりじりと燃えていた。
「人間の欲は人間のものだ。神だろうが何だろうが、それを餌にして競争をさせようなど、傲慢極まりない」
ヤシャとパラミは彼に尊敬の視線を向け、マントラは密かに歯噛みをする。
「そんな神は必要無い。『箱庭』に行き、今すぐ死ねと言ってやらなくては気が済まない。できないと返されたその時は、俺が手ずから葬ってやる」
「だから、『箱庭』への近道になり得る巫女を手に入れる……でしたよね! パラミ、ちゃんと覚えてますよ!」
「海底国の権威を掌握する、というのも込みです。覚えるなら全部覚えなさい」
「あは、マントラちゃんきびしーんだ!」
パラミはけたけたと笑う。
海礼祭まであと10日。
厚い壁に覆われた部屋で交わされる不穏な会話の様を、見えざる何者かがじっと見つめていた。