131話 友だちの言葉
「あ、そうだ。その前に……」
キエが話し始めるより先に、ライルが声を上げた。
例の、アグヴィル協会の件を先に伝えようというのだ。
しかし彼は、切り出し方に迷い口ごもる。
藪から棒に言っても良いのだろうか、と。
そこで代わって、カシャが口を開いた。
「巫女様、私たちからもお伝えすべきことがあります。不躾ながら、先によろしいでしょうか」
「? はい。構いませんよ」
不思議そうな表情をしつつも、キエは頷く。
「ありがとうございます。……ところでこの部屋は、監視などはされていますか?」
「いいえ。神聖な場ですから、いかなる不純物もございません」
カシャの質問によって何かを察したのだろう、顔をやや強張らせてキエは返した。
ひと呼吸おいて、カシャは続ける。
「単刀直入に申し上げます。巫女様は、アグヴィル協会に狙われています」
「えっ?」
目を丸くし、裏返った声を出すキエ。
よほど予想外の言葉だったのだろう、それから彼女は困ったように、眉を八の字にした。
「……申し訳ありませんが、それは誤情報ではありませんか?」
キエはカシャたちを嘲笑することも、嘘吐きだと警戒することも無く、ただ提示された情報への不信だけを露わにする。
「アグヴィル協会のことは存じております。しかし彼らが、私に手を出すなどという大胆なことをするとは、とても」
どうやら経験則から、そんなことは起こらないと考えているらしい。
彼女が、ひいては海底国の人々がこう思うことも、きっとアグヴィル協会としては織り込み済みなのだろう。
と、そこへクオウが慌てて口を出した。
「本当よ! 海礼祭で、あなたに何かしようとしてるって、捜索隊の人たちが!」
「……捜索隊?」
はた、とキエから声が零れる。
無意識に反応してしまったかのような、全く虚を突かれたような声だった。
「ああ、海底国軍『箱庭』捜索隊の人たちだ。イハイ、って奴もいるよ」
次いで、ライルが付け加える。
イハイの話によれば、彼とキエは友だちだという。
友だちの言葉だとわかったなら、多少なりとも信用度は上がるはずだ。
無論、それはキエがイハイのことを覚えていればの話だが。
なにせ巫女であるキエは、神殿から出ずほとんど人にも会わない。
彼女と「友だち」という関係を結べるのは、彼女が巫女になる前の期間――恐らくは幼少期に限られるだろう。
果たして、吉と出るか凶と出るか。
ライルはそっと、キエの反応を窺う。
するとどうだろう。
キエは、両の目からぽろぽろと涙を流し、顔を伏せて泣き始めた。
「だ、大丈夫か!?」
まさか泣かれるとは露ほども思っておらず、ライルは仰天する。
話を信じてもらえるとかもらえないとか、そういうことは頭の中から吹っ飛び、ただ困惑と心配が思考を占めた。
ライルは彼女の傍に寄り、精一杯の慰めとして背中をさすってやる。
「す、すみませ、……っ」
「いや、こっちこそごめん!」
知識が欠けているせいで、気付かないうちに何かとんでもないことを言ってしまったのか。
もしくは人の心を解せず、無神経にキエの気持ちを傷付けてしまったのか。
ライルは弱って、フゲンたちの方を見る。
驚いた顔、憂う顔、複雑な顔……ライルを責める表情の者はおらず、みな概ねライルと同じ反応をしていた。
どうやら自分がへまをしたわけではないらしい、とライルは理解すると共に、ますます頭の中に疑問符を生やす。
発言そのものが問題でないならばどうして、キエはここまで取り乱しているのだろうか。
その問いの答えも見つからないまま、しばらく時間が経ち、やがて先にキエが平静を取り戻した。
「お見苦しいところを、申し訳ありませんでした。先ほどのお話……信じます」
「! そうか」
ひとまず、ライルは安堵する。
けれども彼女がどうして泣き出してしまったのか、引っ掛かりは無くならない。
「海礼祭の日、ということ以外にはまだ何もわかっていませんが、巫女様のことは必ずお守りします。今後、こちらから密かに接触を試みる可能性もありますので、どうか驚かずにご対応いただければと」
「わかりました。ありがとうございます」
カシャが話を続ければ、キエは元の調子で頷いた。
ちり、と髪飾りが揺れる。
「ま、ガチガチに心配しなくてもいいぜ! オレたちもマナたちも、頑張って何とかするからよ」
「ああ、傷ひとつ付けさせない!」
「わたしたち、けっこう強いのよ。悪い人たちみんな、やっつけちゃうから!」
「狙いがわかってる分、対応しやすいはず。絶対に手出しはさせないわ」
「僕は天竜族ですから、いざとなったら飛んで逃げることも、盾になって守ることもできます」
「自分も、守備はそれなりに得意だ。きっと力になれる」
一行はやいのやいのとキエを元気付ける。
キエもまた、ライルたちの明るい気遣いに表情を和らげた。
と、そこで。
「巫女……様」
ティガルがおずおずと、歩み出た。
目を泳がせ覇気の無い様子の彼は、いかにも重い足取りでキエへと近付く。
どうしたのだろうかとライルたちが見守る中、ティガルは吐息と共に口を開いた。
「おれは……」
彼は声を落とし、何かをキエに囁く。
ひと言ふた言ではない。
言葉というより話を、彼は発しているようだった。
ひそ、ひそ、とティガルが何か言うたびに、キエの目が徐々に見開かれていく。
その色は驚愕であり、悲嘆であり、憂鬱であった。
やがてティガルは口を閉じ、後ずさるようにキエから離れる。
キエは彼を少し目線で追い、悲しい微笑みを浮かべた。
「そうだったのですね」
どんな話だったのか、などと尋ねる不躾さは誰も持ち合わせていない。
それがまだ、ティガルがライルたちに語っていないものであろうことは、確かに察せられた。
「では皆様、こう致しましょう。私の権限で、皆様が神殿に出入りすることを常時許可します。正面から訪ねてくださっても良いですし、人目を避けたい時には隠し通路を使ってください」
「隠し通路? そんなものもあるのか」
「はい。魔法で封がされていますが、ティガルさんが居るなら開けられるはずです。そして場所は――イハイが、知っています」
キエの瞳に、深い悔恨がよぎる。
が、彼女はそれをすぐに隠して、ライルたちの方へと意識を戻した。
「改めて、ご警告ありがとうございます。本来ならば私が皆様の助けになるべきなのに……」
そう言いかけた、次の瞬間。
ズズン、と鈍い地響きがして、部屋全体が揺れた。
決して小さくはない揺れだ。
「なんだ!?」
ライルは咄嗟にキエを庇いつつ、周囲を見回す。
部屋自体に破損は無い。
魔法が発動した様子も無い。
どうやら揺れは、外部からのもののようだ。
「巫女様!」
「巫女様、御無事ですか!」
慌ただしい足音と共に、世話係の女性と兵士数人が駆け込んで来る。
「何事ですか?」
「神殿の表で爆発が。今、兵らが対応に向かっております」
一同は息を呑んだ。
ただごとでないのは確実だったが、爆発とはあまりに物騒である。
十中八九、何者かによる人為的なものだろう。
「皆様、裏口からお逃げください」
兵士たちと共に警戒を強めるライルたちに、キエは意を決して言った。
「え? フツーに正面突破すれば――」
「待てフゲン!」
暴れる好機だと今にも走り出しそうなフゲンを、ライルが制止する。
「襲撃者はアグヴィル協会の奴かもしれない。俺たちが巫女と会ってたのがバレるとまずいだろ」
「お、確かに」
アグヴィル協会が巫女を狙うのは海礼祭の時であっても、それ以前に何も仕掛けてこないとは限らない。
陽動、仕込み、挑発……考えられる線はいくつもある。
協会とライルたちの戦いは、既に始まっているかもしれないのだ。