130話 名指し
街を出たライルたちは、幸いにもアグヴィル協会の者や、他の悪党たちにも絡まれることなく、首都へと辿り着いた。
首都というだけあって、そこに広がっているのは豊かな街並みだ。
問題の神殿は小高い丘の上に建っており、少し見通しの良い場所に行けば遠くからでも見えた。
一行はティガルの案内で一番の近道らしいルートを通り、神殿まで歩いて行く。
意外と言うべきか、神殿の敷地の入り口を示す門の前までは警備らしい警備も無く、ライルたちは滞りなく足を進めることができた。
「門番ってのは、あいつらのことだな」
ライルは荘厳な造りの門、その両脇に立つ2人の兵士の様子を窺う。
彼らの体格は屈強そのもので、刃の大きな槍を持って仁王立ちをしていた。
「よし……行くぞ」
少々緊張しながら、ライルたちは門番に近付く。
そうして声が十分に届くくらいまで来ると、警戒心をあらわにする門番たちに対し、ライルは言った。
「『夢を見た』」
途端に、門番たちが目を見開く。
ちらりとアイコンタクトを取り、頷き合ったかと思えば、剥き出しの剣がごとき警戒心を取り払った。
「どうぞ、お入りください」
何を言うことも無く、門を開いて促す門番たち。
どうやらウリファルジの助言は正しかったようだ。
ライルたちは安堵しつつ、敷地内へと足を踏み入れた。
一方で門番たちは、門の中にいた別の兵士を呼びつける。
「『夢を見た』方たちだ。巫女様の元へ案内して差し上げろ」
「はっ!」
指示された兵士はやはり口出しのひとつもせず、案内役を請け負った。
「こちらへ」
「あ、ありがとう」
円滑なのは良いことだが、しかし奇妙な心地でもある。
雷霆冒険団一行はぎこちなく、兵士の後ろをついて行った。
綠の生い茂る敷地をしばらく歩いて、神殿本体の門をこれまた難なく通り過ぎる。
神殿の中は全体的に青白く、ひんやりとした印象があった。
ローズ公国の城とはまた違った豪華さで、淑やかさや神聖さが前面に押し出されている。
そんな神殿内をずっと行き、やがてライルたちは巨大かつこれまでで最も豪華で精密な装飾の施された扉の前に到着した。
「この先の通路を真っ直ぐに進めば、巫女様のおわす『祈りの間』に着きます。我々は立ち入れませんので、ここからは巫女様のお世話係が付き添います」
兵士がそう説明すると、見計らったかのように1人の女性がどこからともなく現れた。
「お初にお目にかかります、旅の皆様方」
どうやら彼女が世話係らしい。
清潔に手入れされた黒髪を、後ろで丁寧に纏めたその女性は、ライルたちの案内を兵士から引き継ぐ。
「私めの行動は全てこの神殿の守護兵と、貴族の方々に監視されております。言うまでも無きことではありますが、決して、皆様や巫女様に害を為すことは致しませんので御安心ください」
抑揚の薄い声で説明すると、僅かも軋まない扉を開け、彼女は続く通路をしずしずと進んだ。
ライルは仲間たちと共に女性について行きながら、固唾を呑み込む。
美しく清廉な神殿。
礼儀正しく統制のとれた兵士たちと、世話係の女性。
海底国で最も神聖な場所。
しかしそれらの裏に潜んでいるであろうものは、淀んだ感情と冷たい思惑だ。
マナたちの話を思い返し、ライルは知覚できるすべてに慎重な眼差しを向ける。
仲間たちに、悪意の矛先が向けられぬように。
もし向けられてしまった時は、必ず全員を守れるように。
尤も、巫女の権威が、例え建前だけだとしても確かな限り、そんなことにはならないはずだが。
こうして緩やかな曲線を描く通路を行くことしばらく、ライルたちはまた大きな扉に突き当たった。
先ほどの扉よりは小さいが、幾重にも施された魔法がそれを守っており、異質なまでの存在感を放っている。
「巫女様、失礼致します」
扉の前に立ち、少し声を張って、世話係の女性は言う。
するとすぐに、扉の向こうからひとつの声が返って来た。
「入ってください」
落ち着いた印象ではあるが幼さの残る、少女の声だ。
これを聞くや、女性はくるりと踵を返してライルたちの方を向く。
「では、私めはこれにて。先ほどの場所で、お待ちしております」
「わかった。案内ありがとう」
去って行く女性の背中を見送り、ライルたちは頷き合った。
この扉の先に、巫女が居る。
皆、大なり小なり緊張した面持ちだ。
ライルは意を決し、願うように、両手で扉を開いた。
「……!」
目に飛び込んで来たのは、壁沿いに柱の並ぶ飾り気の無い部屋と、その奥に鎮座する、ベールに包まれた祭壇。
光源が見当たらないにも関わらず柔らかな光に満ちており、ここが神聖な間であることが直感的に理解できる。
『祈りの間』。
その空気感に、ライルたちは息を呑んだ。
「よく来てくださいました。何も無い部屋ですが、どうぞ楽になさってください」
と、祭壇のベールを潜り、1人の少女が彼らの前に姿を現した。
澄んだガラス玉のような瞳、ウェーブのかかった海色の髪に小さな宝石の付いた頭飾り、裾の長い真っ白な装束――海底国の巫女、キエだ。
彼女は迷い無い足取りで歩いて来て、ライルの正面で立ち止まる。
体格からして、16かそこらだろうか。
ライルの目線からだと、やや見下ろす形になった。
キエは微笑み、装束の裾をつまんで軽く礼をする。
「初めまして、皆様方。私が海底国の巫女です」
「俺はライル。冒険者だ」
「ちょっとライル! 口の利き方がなってないわよ!」
すかさずカシャがたしなめる。
が、キエはくすくすと笑った。
街中にいるような年頃の少女と、まるで変わらないふうに。
「構いません。気軽に喋ってください」
それから彼女は、目の前のライルをじっと見つめた。
「ライル……そう、あなた様が『ライル』なのですね」
「…………」
平静を装いながらも、ライルは自分の心拍数が上がるのを感じる。
何もかもを見透かしてしまいそうな瞳が、彼を捉えていた。
「ってか巫女サマ、オレらのことどこまで知ってんだ? 巫女サマも、夢にウリファルジが出て来たのか?」
しばしの沈黙を、フゲンが難なく断ち切る。
キエはライルから視線を外し、こくりと頷いた。
「はい。ウリファルジ様は、私の前に2度、降臨されました。1度は昨日、夢の中で。もう1度は3年前、白昼のことでした」
「ふーん。何て言われたんだ?」
「順を追って話しましょう。3年前に降臨された時、ウリファルジ様は仰いました。――『数年のうちにライルという人間がやって来るので、彼の手助けをするように』と」
一行は、思わずライルを見る。
が、彼は「何も知らない」と言うように、首を横に振った。
「それから私は『ライル』が現れるのを待ちました。ウリファルジ様は『誰にも言わぬように』とも仰いましたから、そのお言葉通り、己の内に一連のことを隠したまま」
言いながら、キエは胸に手を当て目を閉じる。
祈っているようでもあり、耐えているようでもある仕草だ。
「待って、待って、そして昨晩。ウリファルジ様は再び降臨され、『明日、ライルが仲間たちと共にやって来る』と仰ったのです。私は急ぎ、神殿の者たち全員に『夢を見た、と言って訪ねて来た者を通すように』と伝達しました」
「んで、オレらが来て今に至るってことか」
「でもどうして、ウリファルジ様はライルさんを名指ししたんでしょうか?」
「何でだろうな……。俺にもさっぱり、心当たりが無い」
話を聞き終えてなお、いまだ残る疑問に首を捻るライルたち。
キエは彼らに、穏やかな微笑みを添えて言った。
「ともあれライル様、そしてお仲間方。『箱庭』について私が知っていることを、全てお話ししましょう。どうぞお耳を傾けて、聴いてください。それがウリファルジ様の、そして主の思し召しですから」