129話 神の使い
それは夢だった。
夢だが、偽ではなく真だった。
眠りの中で揺蕩う「その人」は、何かが優しく頬を撫でるのを感じた。
「――よ。目を開けなさい」
穏やかな声。
しかし、確かな芯を感じさせる声。
その人は、声に従って瞼を持ち上げる。
無論、夢であるから、目覚めたわけではない。
深い眠りの奥で、意識だけをハッキリとさせた。
すると、その人は自分の眼前に立つ人物を目にする。
足首近くまである長い白色の髪に、薄手ながら傷のひとつもない真っ白な衣。
陶器のように滑らかで無機質な肌、肩甲骨のあたりから生えた大きな翼も、やはり白い。
そして、七色が揺らめく不思議な瞳。
眠れるその人は、彼あるいは彼女は人間ではないことを一目で理解した。
その人が何かを言おうとする前に、白い人物は再び口を開く。
「あなたに伝えるべきことがあります。しかし、時間はそうありません。どうか耳を傾けて。何も言わずに、聴いてください」
少しの思考、のち、その人は白い人物の言葉に従うことにした。
白い人物は語りかける。
「明日、巫女の居る神殿に向かいなさい。仲間たちと共に」
沈黙を保ちながらも、その人は自分の仲間である面々を思い浮かべた。
ハッとしたのが顔に出ていたらしく、白い人物はその人を見て僅かに微笑む。
「巫女はあなたたちに必要なことを教えてくれるでしょう。『箱庭』を目指すのならば、彼女の協力が不可欠です。きっと、行きなさい」
その人が置かれている状況を見透かしたように、少しの躊躇も無く白い人物は告げた。
「神殿には門番が居ます。その者に、『夢を見た』と伝えなさい。そうすれば巫女の元まで案内してもらえますから」
と、そこまで言い終えると、白い人物がふわりと浮かび、上昇し始める。
見れば何も履いていない足の先から、徐々に体が光の粒へと解かれていっていた。
その人は驚いて、思わず引き留めようとする。
しかし足が動かない。
白い人物と反対に、その人は暗く温かい眠りへと沈み出していたのだ。
「最後に、私の名をあなたに告げましょう」
薄い唇が言語を紡ぐ。
息を吸う音がした。
「私はウリファルジ。人を『箱庭』へ導くもの」
その人は目を見開く。
神の使い、ウリファルジ。
かねてより話に聞いていた名だ。
「さようなら、――。また会いましょう」
白い人物あらためウリファルジは、その人の名前を口にして、とうとう消え去った。
残った余韻は優しく、またひどく悲しげでもあった。
* * *
雷霆冒険団と海底国軍『箱庭』捜索隊が手を結んでから、一夜が明けた。
昨日の血生臭い事件など無かったかのように静かな朝、少し湿った穏やかな空気。
……の中で、慌ただしく走る者が1人居た。
「大変、大変よ! あのねみんな聞いてちょうだい、いま夢でね!」
そうまくし立てながら、拠点の会議室に駆け込んで来たのはクオウ。
彼女は息を上がらせ、室内の面々を見回した。
彼女がどこから来たのかというと、それは拠点内の一室だ。
捜索隊の拠点は古びているものの、意外と部屋数は多く地下階もある。
ライルたち雷霆冒険団はそのうちの、空いている部屋を寝室として使わせてもらっていたというわけである。
先に起きて来ていたライル、フゲン、モンシュほか7名……つまりはクオウを除いた雷霆冒険団と捜索隊の全員は、彼女の動揺っぷりに、どうしたことかさして驚いた様子は無い。
それどころか、ごく冷静に、彼らは顔を見合わせた。
「クオウ、お前もか」
神妙な顔で言うライルに、クオウは首を傾げる。
「どういうこと?」
「白い人……『ウリファルジ』が助言してくる夢、見たんだろ?」
「ええ、そうよ」
「その夢、俺たちも見たんだよ。確認する限り、全く同じ夢だ」
ライルの言葉に続いて、フゲンたちはうんうんと頷いた。
ティガルなんかはまだ半信半疑というふうな表情だが、どうやら皆、同様の体験をしたようだ。
一方で、マナが横から「僕たち4人は見てないけどね」と付け加える。
同じ建物内にいたにも関わらず、件の夢を見たのは雷霆冒険団だけなのだと。
「ライルたちもだったのね! でもそれなら目が覚めた時に、わたしも起こしてくれればよかったのに……」
「起こそうとしたわよ」
「あ、あらそうだったの? えへ……ごめんなさい、カシャ」
クオウは恥ずかしそうに謝る。
とにかく、不可解なことだ。
ウリファルジが夢に現れたこともそうであるし、雷霆冒険団にのみ助言を行ったことも、意図を読み切れない。
こんなわけで、会議室の一同は頭を悩ませることとなった。
「あの方がウリファルジ様……なんですよね。何と言うか、ひと目で人間じゃないってわかるんですけど、不思議と親しみもありました」
おずおずとモンシュが言えば、ライルたちは首肯する。
これもおかしいと言えばおかしいことで、ウリファルジに対して抱いた感覚が皆同じなのだ。
「人間ではない」「神々しい」、けれども「親しみがある」……概ねこういう具合だった。
「にしても、めちゃくちゃ白かったなあ。そりゃ占いで『白』って出るわけだ」
かつてギャランという少女にやってもらった占いの結果を思い出しながら、フゲンは零す。
神の使いと言えば白いイメージだが、ウリファルジの姿は想像を超えて白く、清廉であった。
「まあなんだ、『今日神殿に行け』ってお告げだったんだよね?」
机に肘をつきながら、マナはライルに問う。
「ああ」
「ならとりあえずさ、言う通りにした方が良いんじゃない?」
ライルは少し考える素振りを見せてから、「そうだな」と頷いた。
ここでウリファルジの助言を無視する理由は無い。
上手く行けば巫女にも会えるというのだから、対アグヴィル協会作戦にも好都合だ。
「じゃ、行ってらっしゃい。今日中には帰って来てね」
そう言って手をひらひらと振るマナに、ライルは目を丸くする。
見ればマナだけでなく、イハイ、マッポ、ニパータも席に着いたまま立ち上がる気配が無い。
「お前らは?」
「ウリファルジは君たちの前にだけ現れたんでしょ? だったら神殿に行くのも、君たちだけでしょ。本音を言うなら、僕だって行きたいけどさ」
「別に良いんじゃないか? 仲間だし」
「あはは! そうだけどね。ま、いいよいいよ。巫女に例の伝言だけお願いね。くれぐれも盗聴なんかには気を付けて!」
マナは席から離れ、ぐいぐいと急かすようにライルたちに出発を促す。
やや不自然なまでのその様子に、ライルは少し、怪訝な顔をした。
* * *
巫女の居る神殿がある首都へは、海中船で行くのが手っ取り早い。
海中船というのは読んで字のごとく海中を移動する船のことで、多くはこれを仕事にしている海竜族が引っ張って運んでくれる。
金はかかるが、海底国で暮らす海竜族以外の人々にとっては重要かつ身近なものだ。
ライルたちもまた、いつまでもティガルに引っ張って行ってもらうわけにもいかないだろうということで、海中船を利用することにした。
捜索隊の拠点を出た彼らは、周囲に注意を払いつつ、停泊場まで歩いて行く。
と、その途中で、不意にティガルが口を開いた。
「なあ」
その声は暗く、眉間には皺が寄っている。
「お前ら、ウリファルジとかいうやつに言われたこと、鵜吞みにすんなよ」
「なぜそう思う?」
シュリが尋ねれば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……たぶん、お前らも感じたと思うけどさ。あいつはなんか、絶対に人間じゃないし、きっと本物の神の使いだよ。でも言ってたことが本当かはわかんねえ」
かぶりを振って、ティガルは息を吐く。
「わざと嘘言ってるのか、間違えてるのかは知らねえけど、少なくともあいつの言葉が全部真実ってわけじゃない」
「何か引っかかることでもあったのか」
「……あいつ、ウリファルジは……おれの……」
数秒の沈黙。
それからティガルは、「やっぱいい」と話を切った。
「とにかく、神の使いだからって馬鹿正直に信じるなってことだよ」