126話 手を伸ばして良い範囲
「ほんと、ごめんね。こんなことになるなんて思わなくって。ボクも今日は、ボスに『視察に行け』って言われてただけなんだよ。あの人たちが人間を売ろうとしてたのも、ボスが来るのも、全部知らなかったんだ」
ヤシャは申し訳なさそうに――そう、ライルたちをトラブルに巻き込んだことに対してのみ、申し訳なさそうに言った。
つい先ほど惨殺した客たちに対しては、全く、何一つも気に掛けるものを見出していないようだ。
「ひとつ聞いて良いか?」
「? うん」
固唾を呑み込み、ライルは口を開く。
「お前は、ボスに無理矢理従わされてるのか? やりたくないことを、頼まれたからやってるのか?」
ヤシャの表情は、昨日となんら変わらない。
頼み事だからと断らず好き勝手に乱暴されていたあの時と、同じだ。
ならば今回もそうかもしれない。
そうであってくれれば、彼を堂々と「助ける」ことができる。
最後の可能性を祈るライルだったが、しかしヤシャは首を横に振った。
「違うよ! ボスの頼みごとは何でも嬉しいし、喜んでやってる。ボク、ボスのこと大好きなんだあ」
無邪気な答えに、ライルは返す言葉を失う。
悪意、と言うべきなのだろうか。
彼は目の前の人間の在り方に困惑し、愕然とした。
「……で、ボクからも質問していい?」
少し間を置き、今度はヤシャが切り出す。
彼は血の付いた手で、ライルたちの後ろを指差した。
「そこの軍人さん、誰?」
ヤシャと、マナの目が合う。
ヤシャの無垢な瞳に仄かな敵意が宿り、マナの澄んだ目がきゅっと細められた。
「名乗る必要、あるかな?」
「うーん……言われてみれば無いね!」
両者の間に沈黙が降りる。
と、次の瞬間、マナは手に持っていた荷物の布を取り払った。
現れたのは鈍色のパイプ。
マナはそれをぐるんと大きく回し、ヤシャめがけて振り下ろした。
「わ、危ない」
相当な速度で繰り出された攻撃だったが、ひらりと身を翻してヤシャは難なく回避する。
荒事の空気に反応しライルたちは皆臨戦態勢に入るが、マナは手を軽く振って彼らを制した。
ヤシャもライルたちを敵とは見なしていないらしく、マナだけにひりついた視線を送る。
街灯がチカチカと瞬き、彼らの影を揺らした。
「ボスから言われてるんだよね。軍人は、よっぽど偉い奴じゃなければ殺していいって」
「酷いな。僕って下っ端に見えるの?」
マナが冗談めかして言えば、2人は同時に地面を蹴る。
鉄パイプを持ったマナに対して見たところ丸腰のヤシャだが、客を襲ったのが彼である以上、攻撃の方法はあるはずだ。
制止されたとはいえ黙って見てもいられない、とライルたちが動こうとしたその時。
ヤシャに接触する直前でマナが立ち止まり、懐から何かを出して足元に叩き付けた。
途端に白い煙が噴き出し、皆の視界を埋め尽くす。
「うわっ!」
驚いたヤシャの声が聞こえるが早いか、ライルたちの元までマナが退いて来た。
「さ、逃げるよ。こわあいボスが来る前にね」
言って、彼は一行に撤退を促す。
ライルたちは後ろ髪を引かれる思いで、マナの誘導に従い場を後にした。
しばらくして煙が晴れたのち、取り残されたヤシャは周囲を見回し、もう誰の気配もしないことを認めるとがっくりと項垂れた。
「あーあ、逃げられちゃったし……お兄さんたちも敵かあ」
残念そうに口を尖らせ、彼は踵を返す。
そうしてボス・エニシの待つ方へと迷いなく歩いて行った。
***
競りの会場から通りを何本も隔てたとある小道。
雷霆冒険団一同とマナは、速度を緩めて歩を進めていた。
「いやあ、危なかったね! うまい具合に退散できてよかったよ!」
にこやかに言うマナだったが、他の面々の表情は暗い。
今まで目にしたことのない非道と残酷な惨状、そして善良だと思っていた人物の歪な「中身」に直面したのだ。
さもありなん、であろう。
「…………」
中でも特にライルの顔色は輪をかけて悪く、ひどく思い詰めたように眉間に皺を寄せていた。
そんな彼らの様子にマナはしばし口を閉ざし、それから優しく尋ねる。
「あの子のことが気がかりかい?」
「……ああ」
ライルは頷いた。
続けて、マナが言う。
「残念だけど、彼に関しては情を捨てた方が良いよ。あれは完全に『あっち側』の人間だ」
「……そうかもしれない、けど。俺は……」
ひとつひとつ噛みしめるように、ライルはヤシャの言動を思い返した。
幼さの残る雰囲気。
無邪気な笑顔。
良かれと思ってライルたちに示した競りの情報。
血に塗れた姿。
素直な謝罪。
人殺しの肯定。
アグヴィル協会のボスを慕っているとの言葉。
矛盾しそうなそれらは、どれも確かに真実だ。
ヤシャの全てに、偽りは無い。
だからこそライルは惑った。
彼は明らかに環境に毒されている。
しかしそこに身を置くことを望んでいる彼を、「助ける」ことは傲慢ではないのだろうか。
自分が手を伸ばしても良い範囲とは、いったいどのくらいまでなのだろうか――。
問いの答えが出ないうちに、一行は街の奥まった路地にある建物へと辿り着いた。
薄汚れた外壁には何の札も看板も無かったが、恐らくそこがマナたち海底国軍『箱庭』捜索隊の使用する建物であろうことは察せられる。
そうして案の定、マナは上着のポケットから鍵を取り出すと、玄関の鍵穴に差し込み開錠した。
警戒などしていないと示すように大きく扉を開け、彼は中に足を踏み入れる。
ライルたちを連れたマナは狭い廊下を進み、突き当りの扉に手を掛けて、ひと呼吸おくとこれを勢いよく開けた。
「たっだいまー!」
「ひゃいいいい?!」
と、中に居た人物から悲鳴が上がる。
見ればそれは赤茶色の髪をした少女で、驚いた反動によって座っていた椅子から落ちかけたらしく机にしがみついていた。
「び、びっくりしました……。隊長でしたか」
少女はズレた丸眼鏡を掛け直しつつ、溜め息を吐いて振り返る。
が、マナだけでなく見知らぬ一団が後ろにいるのを認めるや、またもや大仰に体を撥ねさせ椅子から落ちかけた。
「だ!? え、あ、だれ、どちらさまですか!? 隊長!?」
「この子はうちの隊員、マッポだよ。ちょっと内気だけど良い子だから、仲良くしてあげてね」
少女、マッポの動揺っぷりには目もくれず、マナは呑気に彼女をライルたちに紹介する。
次いで彼はマッポの方を向き、今度は彼女にライルたちを示した。
「マッポ、この人たちは冒険者さ。例の競り会場で偶然会ってね、連れて来たの」
「は、はあ……」
不審者を見るような目で、マッポは目の前の青年たちを見る。
冒険者と聞いてもさほど驚かないのは、前例があるからなのか、情報の多さに頭がパンクしているからなのか。
いずれにせよ、未だ状況を呑み込みきれてはいないようだった。
ライルたちもまた、結局なぜ彼女と引き合わされたのかという疑問を覚えつつ、視線を送り合う。
「えーっと、俺はライル。で、俺たちは雷霆冒険団だ。よろしく」
「あ、わ、私は『箱庭』捜索隊の隊員で、いつもは色んな、研究とかしてます。……ので、はい、よろしくお願いします……?」
いまいちわけのわからぬまま、ライルとマッポは握手を交わした。
手のぬくもりを通じ、ひとまず相手に敵意が無いことだけ、お互い確認し合う。
「ま、その辺に座ってて。そのうち他のみんなも帰って来るから」
あっけらかんと言うマナには、場の全員が訝しげな目を向けた。