125話 血に塗れた笑顔
ライルかクオウの魔法で明かりを得るか。
否、それでは却って良い的だ。
万事休すの一行だったが、しかしただ1人、フゲンは冷静に口を開いた。
「やっぱ使う感じになったな」
彼は先ほどモンシュから借りたピンで、いつも右目を隠している髪を留め、ぐるりと辺りを見回す。
そうして何をするかと思えば、迷いのない足取りで歩き出した。
「お前ら、こっちだ。オレについて来い!」
「えっ? あ、ああ!」
ライルは困惑しつつも、かろうじて見える彼の背を追い、続く仲間たちも前にいる者から離れないようついて行く。
依然として周囲は暗闇に包まれているが、不思議なことにフゲンはするするとつっかえることなく前進していた。
「入り口は鉄の柵みたいなモンで塞がれてる。適当にぶち破って出るぜ」
「どうして見えるんだ?」
ライルがそう尋ねれば、フゲンは肩をすくめる。
「なんか知らねェけど、オレ右目だと全部が眩しく見えるんだよ。だから暗いとこでもフツーに見えるってわけ」
それを聞いて、ライルはなるほどそうかと納得した。
「全部が眩しく見える」ということは、光を多く取り込んでいるということ。
故に彼は右目でなら、この暗い場所でも光、ひいては反射光を感知できるのだ。
「我流体術、《ぶん殴る》!!」
フゲンは入り口の前までやって来ると、いつもの調子で容易く鉄柵を破壊する。
階段の途中にも柵がいくつも下ろされていたが、それらも全て物理的に排除していき、最後に階段を隠す壁をも突破。
一行は彼を先頭にして、地上へと逃げおおせることに成功した。
「うぎゃ」
にわかに月明かりを浴びたフゲンは小さく叫び、急いでピン留めを取る。
「モンシュ、これありがとな。返すわ」
「は、はい。お役に立てて良かったです」
地下の競り会場は防音性に富んでいるのだろう、暗い階段の奥からは何も聞こえてこない。
「クソ、散々だ」
羽織っている布切れの裾を引っ張り整えながら、ティガルが言う。
よくよく見ればその顔は青ざめており、態度にこそ出していないものの相当の緊張を味わったであろうことが見て取れた。
「さっさと離れるぞ。あいつに顔を見られる前にな」
更に安全な場所への退避を促す彼だったが、しかし首を横に振る者がいた。
ライルだ。
「いや、俺は戻る。あの子たちを助けないと。それにヤシャのことも心配だ」
「はあ!?」
ティガルは素っ頓狂な声を出す。
それはそうだ。
やっとのことで命拾いをしたというのに、また危険地帯に飛び込むとは何事か。
信じられないものを見る目を向けるティガルだったが、なおもライルは続ける。
「みんなは先に行っててくれ。大丈夫、子どもたちを救出して、ヤシャの安否を確認したらすぐ逃げるからさ」
「何が大丈夫なのよ。私も行くわ」
「オレも。体勢整えて行きゃどうにかなるだろ」
カシャとフゲンも、ライルを制止するどころか賛同する。
どう見ても冗談では言っていないのが、却ってタチが悪い。
「おいお前ら、何言ってんだ!!」
たまらずティガルは叫ぶ。
これまでで一番、怒りの籠った声で。
「いいか、あいつ……アグヴィル協会の会長エニシは、軍人ですら太刀打ちできないくらい強いんだ。それに見ただろ、得物も無しに客の首が刎ねられてたのを! あれが誰の、何の仕業かはわかんねえけど、少なくともこの場では絶対に戦うべきじゃない!」
彼は切実に語る。
全ては正論であり、事実であった。
「助けたい気持ちは、おれにもわかるよ。でも無理なものは無理だ。いま戻ったら、死んじまう」
怒りはいつの間にか悲痛に変わる。
縋るように、ティガルは隣に居たシュリの服を掴んだ。
「なあシュリ、お前ならわかるだろ? このクソ馬鹿共を止めてくれよ」
「じ、自分は……」
シュリは言い淀む。
エニシの底知れぬ力は彼の立ち姿から既に見て取れていたし、まして不可視の攻撃の脅威など言うまでもなかった。
それでも、シュリの脳裏には檻に閉じ込められた子どもたちと、地底国に居るムーファたちの姿が同時に浮かんでいた。
彼は答えに窮し、言葉を失くす。
と、その時。
「おっと! さっきぶりだね、御一行さん」
通りの方から1人の青年が、彼らの方に向かって歩いて来た。
「お前は……」
ライルは目を丸くする。
フード付きのマントを着て、棒状の荷物を手にした青年。
そう、彼は競りの会場で会った人物だった。
軽い足取りでライルたちの目の前までやって来ると、青年はニコリと笑う。
「何かお困りかな? って、わかってるけどね! 競りに出されてた子どもたちのことでしょう?」
「! 何か良い方法でもあるの?」
カシャがすぐさま尋ねれば、彼は腰に手を当てて荷物で地面をトントンと小突き、何やら思案する仕草をした。
「うーん、時間が無いから結論から言おうか。あの子たちのことは心配しなくていい。傷ひとつなく、無事でいられるよ」
フードの下で、口元が弧を描く。
その明るい声色に、余計な含みや皮肉は無い。
が、無論そんな言葉で安心できるはずもなく、一行は彼に疑念の目を向けた。
「根拠が欲しいかい? なら――これでどうかな」
青年は肩をすくめ、マントに手をかけるや否や、一気にこれを脱ぎ去った。
街灯の明かりの下、彼の素の姿が露わになる。
後ろを短く三つ編みにした金髪、空色の澄んだ瞳、頭に付けた大きなゴーグル……そして、青を基調とした軍服。
彼はマントを脇に抱え、朗らかに笑った。
「初めまして。僕は海底国軍『箱庭』捜索隊隊長のマナ。よろしくね、冒険者さんたち!」
「っ……!?」
「ああ、大丈夫大丈夫。僕『たち』は敵じゃないから。ま、詳しい話は後でってことで、とりあえずついて来てよ」
突然現れた敵対勢力の一員に警戒するライルたちだったが、なおも青年、マナは友好的な態度を崩さない。
はてさてこれは罠か、信じてよいものか。
一行が顔を見合わせ判断の合意を図っていると、またもや第三者の声が飛び込んできた。
「待って待ってー!」
聞き覚えのある声にライルたちが振り向けば、競り会場の出入り口からヤシャが走って来ていた。
ライルは安堵から破顔し、彼を迎えるように足を踏み出す。
「ヤシャ! 無事だったん――」
が、その歩みはぴたりと止まった。
彼の姿を、はっきりと見てしまったからである。
「えへ、お兄さんたちもね。良かったよお、うっかり切っちゃわないか冷や冷やしてたんだから」
ヤシャはへにゃりと頬を緩ませた。
服や顔に、べったりと赤黒い血を付けたままで。
ライルは息を呑む。
他の面々も、予想だにしない彼の状態に、呆気にとられた。
「っヤシャ……その血は」
「あ、ごめんね汚れてて。急いで終わらせてきたからさあ」
槍を握る手に力を込めつつ、ライルは1歩、前に出る。
「客たちを殺したのは、お前か?」
「え? うん。そうだよ」
何でもないことのように首肯するヤシャ。
袖口で頬の血を拭い、手の血を裾で拭く。
「でも大丈夫! お兄さんたちは悪くないって、ちゃんとボスに言っておいたからさ!」
彼の言う「ボス」が誰なのか。
わからない者は、この場にはいなかった。




