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破天の雷霆  作者: F.ニコラス
第5章 対峙:小は大を制すか
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124話 激情

「2人揃って健康そのもの、ご覧ください見目もこの通り整っております! 飾ってよし、殴ってよし、犯してよし! 皆様の時間を彩る上質な玩具です!」


 客席から感嘆と歓喜の混じった声が上がる。

 反してクオウは、困惑を口にした。


「ど、どうして……?」


 檻に入れられ、「出品」される子どもたち。

 それを喜々として見せびらかす司会。

 笑みを浮かべて興奮する客たち。


 まるで理解の及ばない価値観で構成された光景に、クオウは惑う。

 ティガルに連れて来てもらった町で珍しい物や店々を見た時の、あの胸躍る感覚とは真反対だった。


 忌避感を示したのは他の面々も同じ。

 特にカシャはカッと頭に血を昇らせ、怒りの表情を最も強く露わにしていた。


「あいつら……ッ!」


 我慢などできるかとばかりに、彼女は双剣の柄を握りしめる。

 右足を1歩踏み出して、檀上へとひとっ跳び――しようとしたが。


 まばたきひとつ。


 一瞬のうち、カシャが動き出す前の僅かな隙のうちに、檀上に人がひとり増えていた。


「な、なんだお前は……どこから来た!」


 突然現れたその人物に、司会は驚き後ずさる。


 警戒と怯えに声を震わせる彼を、真正面から見据える人物。

 それは他でもない、ライルだった。


 カシャは思わず横を見る。

 つい先ほどまで隣に立っていたライルの姿が無かった。


 反対側のフゲンも彼の移動に気付き、目を丸くする。


 フゲンは感覚が鋭く、物の動きや気配に敏感だ。

 相手が相棒のライルとなれば一層感じ取りやすいはずだし、現に今までずっとそうだった。


 にもかかわらず、フゲンは檀上を見、隣を確認するまで、ライルが傍から居なくなったことを知覚できなかった。

 空気の揺れひとつ感じられなかったのだ。


 仲間からも、客からも、檀上の男性からも驚愕の眼差しを向けられる中、ライルはゆっくりと口を開く。


「許されると思っているのか」


 ライルは歩き出す。

 1歩、また1歩と、静かに足を動かす。

 子どもたちの入れられた檻を通りすぎ、司会の目の前までやって来る。


 そうして立ち止まり、槍を強く握りしめた。


「人間の命を軽んじ、弄ぶことが、許されると思っているのか。お前たちは」


 ――ライルは、人間が人間を害することを知っていた。


 自己の利益のために他者を利用する者を。

 神の意志を曲解し横暴をはたらく者を。

 愛する者の仇を取ろうとした者を。


 復讐のために罪無き人々を巻き込んだ者を。

 他者から富や平穏を奪ってきた者を。

 怨みから過去を許せず現在を否定していた者を。


 そして、願望のために規律を破る者たちや、大義のために秩序を強いる者たちを。


 ライルは見て来たのだ。


 彼らの行いは良くないことだが、同時にその動機を理解し、あるいは共感することもできた。

 故にライルは、人が誰かを害することを止めようとはすれど、必要以上に強い感情を抱くことは無かった。


 だが。


 だが、これは駄目だった。


 初めて目の当たりにする、鮮烈な冒涜、底無しの驕り。

 決して越えてはいけない一線を越える行為。

 すなわち、生命を嘲るがごとき尊厳の凌辱。


 ライルの心、よりも根本的な何かが、眼前のそれに拒絶反応を示していた。


 人間はこんなものではない。

 人間はこんなものであってはいけない。


 涙が流れる。

 見開いた目から、とめどなく。


 腹立たしいというより、ライルは悲しかった。

 暴力的な熱を持った悲哀が、彼の心に渦巻いていた。


「こんなことはやめろ。今すぐに」


「……っ!」


 司会は更に半歩、後ずさる。

 視点の高さにさほど変わりは無いはずなのに、遥か上方から見下ろされているような心地だった。


 己の業務も、助手か誰かに指示を出すことも忘れ、彼は尋常でないライルの気迫にただただ慄く。


 フゲンたちもそうだ。

 見たことも感じたことも無いライルの姿に、彼がまるで別人であるような錯覚すら覚え、唖然としていた。


 会場は静まり返る。

 誰もがライルに視線を奪われ、圧倒された。


 司会が何か反論しようと口を開きかける。

 と、その時、会場の扉が開き、1人の男性が入って来た。


 やや細身の長身、紫と黒の混じった髪、黒いシャツにゆったりとした薄手の上着。

 裾の広いズボンの腰には革のベルト、そこから下げられているのは1振りの剣。


 彼の姿を見るや否や、ティガルは弾かれるように走り出す。


「っおい馬鹿、隠れろ!」


 そうしてライルの元に辿り着けば、急いで彼を壇から引っ張り下ろして客席の陰に身を潜めた。


 直後、現れた男性はゆっくりと歩き始める。

 目を向けているのは檀上で、ライルたちの居る方には見向きもしていない。


 距離があったことが幸いしてか、ライルと自分が彼の目に捉えられずに済んだらしいことにティガルは胸を撫で下ろした。


「随分と賑わっているな」


 男性は檀上に登ると、その深紅の瞳で客席を鋭く一瞥する。

 それから司会の方へと視線を戻し、ゆるく首を傾げた。


「どういうつもりだ?」


「こ、これはその」


 司会は男性が誰であるか知っているようで、サッと顔を青ざめさせる。

 言い訳を探すように目を泳がせるが、何も出て来はしなかった。


 怯える彼に容赦なく、男性は1歩進んで距離を縮める。


「知らないはずは無いだろう? いかなる組織に対しても、生きた人間を売買することは禁止している。この俺――アグヴィル協会会長、エニシの名においてな」


 いつでも飛び出せるように構えつつ様子を見ていたフゲンたちは、聞えてきた単語にパッと顔を見合わせた。


 アグヴィル協会。

 セツヨウやティガルが教えてくれた、海底国の一大闇組織。


 そのトップが、あの男性だというのか。


 いっそう緊張を強くする彼らを余所に、男性改めエニシは続ける。


「人間は商売道具であり、資源だ。享楽で無闇に消費しては、愚民共の警戒心を引き上げるだけ。俺たちの商売が滞るだけだ……理解できるか?」


 有無を言わさぬ威圧感。

 射殺さんばかりの眼光で、彼は司会を見下ろす。


「でっ、できます! ここ、この度は、誠にっ申し訳ありませんでした!!」


 司会は憐れなほどに震え、上ずった声で謝罪した。

 膝を付いて頭を下げ、命を乞うかのごとくへりくだる。


 惨めな彼の姿を見て、エニシは薄く笑った。

 満足したような笑みだった。


「ふむ。そうか」


 彼は右手を軽く上げる。

 そして、言った。


「やれ」


 ふ、と空気が裂かれる。


 フゲンは瞬時に何か嫌なものを感じ取り、モンシュたちの視界を塞ぐように飛び出した。


「見るな!」


 ごとん、と。


 重い音を立てて、司会の首が檀上に落ちた。

 一拍遅れて鮮血が吹き出し、残った胴体も倒れる。


 生命の終わる瞬間が、ライルの目に焼き付いた。


 沈黙。


 数秒あって、客席から悲鳴が上がる。

 反射的に椅子から立ち上がった者がいたが、その首もまた一瞬のうちに胴体と泣き別れとなった。


「この場に居る者共。貴様らも同罪だ」


 表情ひとつ変えずにエニシが言い放つ。

 実質的な死刑宣告により、会場は騒然となった。


 這うようにして逃げる者、恐怖のあまり椅子に座ったまま震えるだけの者、絶叫して助けを求める者。

 彼らは次々と、見えない何かによって首を刎ねられていく。


「クソ、皆殺しかよ……! おいライル、死にたくなきゃ逃げるぞ!」


「っあ、ああ!」


 競りの非道な実態に次ぎ、凄惨な虐殺を目の当たりにして頭が混乱していたライルだったが、ティガルの言葉で我に返る。


 そうだ、今は呆けている場合じゃない。

 仲間の命さえも危ないこの状況を、何とか切り抜けなくては。


 右手で槍を、左手でティガルの小さな手をしっかりと握り。

 殺されていく人々に心の中で謝って、ライルは走り出す。


 最大限の警戒と共に彼は進むが、幸運にも客を襲う見えない何かが降りかかることは無く、フゲンたちのところまですんなりと辿り着けた。


「ティガル、ライル!」


 無事に戻って来た相棒と仲間の姿に、フゲンが安堵の声を零す。

 しかし直後、会場を照らしていたシャンデリアが落下し、辺り一面は暗闇となった。


「マズいわ、これじゃあ退路が……!」


 カシャがモンシュとクオウを背に庇いつつ、苦々しげに言う。


 明るければまだ応戦の余地も逃亡の余地もあるものを、視界を奪われては動くに動けない。

 事態は絶体絶命と言うに相応しかった。


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