119話 小さな海竜
路地の影から通りを覗くとそこには既に件の男たちが大勢うろついており、一般人と思しき通行人たちは物々しい雰囲気に眉をひそめ、足を速めていた。
「おい雑魚共! おれはここだ!」
ライルたちに先んじて、少年が男たちの前に姿を現す。
挑発的な態度に男たちはすぐさま反応し、一斉に彼の方へと襲い掛かった。
「クソガキが、舐めやがって!」
「やれ! 殺せ!」
幾人もの男が、幾本もの凶器を手に少年を捕らえんとする。
が、少年はひらりと身を翻し、降り注ぐ攻撃をいとも容易く回避した。
道端の木箱を踏み台にして男たちの頭上を跳び越える、足元の砂を蹴り上げて目くらましをする、石を投げて凶器を弾き飛ばす。
あの手この手で周囲を翻弄しながら、少年は徐々に男たちをライルたちの居る場所から引き離していった。
「よし、走るぞ!」
ライルの小声の号令と共に、雷霆冒険団一行は路地を出る。
少年が陽動をしてくれているおかげで、男たちの視界にライルたちが捉えられることは無い。
通行人に紛れ、少年の居る場所へと駆け付けて来る男たちに見つからないよう随時身を隠しつつ、彼らは前進する。
幸いにもその歩みに滞りはほとんど生じず、ライルたちは少し前にそうして来たように、転移魔法を作動させて関所に入ることに成功した。
円柱状の部屋から出れば、役人が怪訝な顔をして彼らを見る。
つい先ほどやって来た旅人がもう街から出ようとしているのだから、さもありなん、だ。
「えーと、『金渡してこい』だったよな……」
ライルは少年に言われたことを思い出しながら、役人に銀貨を2枚渡す。
ずしりと罪悪感がのしかかるが、この場を切り抜けるためだと彼は自分に言い聞かせた。
役人は慣れた手つきで銀貨を受け取り、にまりと笑う。
だがライルが続けて何も言ってこないことに、また怪訝な表情をした。
困惑混じりの視線を向けられたライルは、ハッと気付く。
そうしてすぐさま、くるりと回れ右をしてフゲンたちの方を向き、声を落して尋ねた。
「……なあ、俺たち何を要求すればいいんだ? 出てくだけなら、止められることもそんなに無いよな」
「確かに。そうだな」
ポンと手を叩いてフゲンが頷く。
金を渡して規則にそぐわないことをしてもらうのが、賄賂というものだ。
しかしライルたちは今、肝心の「何をさせるか」というところをどうすべきか、わからないままでいた。
少年が来るのを待てば良いのだろうか。
それとも自分たちで考えて最適な状況を創り出しておけば良いのだろうか。
ライルたちが役人を置いて顔を見合わせていると、不意にモンシュが声を上げた。
「あ! 来ましたよ、あの人」
彼の指さす方、関所の窓の外を見れば、こちらに走って来る少年の姿があった。
その後ろに男たちはいない。
どうやら完全に振り切ってきたようだ。
少年はライルたちの死角へと消えると、ほどなく円柱状の部屋から出て来た。
あれだけの立ち回りをしながらここまで来たのだから、さすがに息が上がっている。
声をかけようとするライルたちには目もくれず、彼は大股で役人に詰め寄った。
「おいお前、金は貰ったな」
「あ、ああ」
「『点検代』だ。おれたちが出てったら、設備の確認でもやっとけ」
それを聞いた役人は、承知したとばかりに頷く。
恐らくは「『点検代』と称して金を渡す」行為が意味するところは、共通に認識されているのだろう。
推測するに、関所をしばらく閉めて誰も通すなという感じか、とライルは頭の隅で考える。
加えて試しに自分の中にある知識の棚を探ってみれば、それらしい断片的情報が見つかった。
「あいつらが来ないうちに、さっさと出るぞ」
「わたしたちの居場所、バレちゃってるの?」
「時間の問題だ」
言いながら、少年は関所の建物を出て行く。
ライルたちも後に続き、またあの広いスペースへと足を踏み入れた。
「関所を無理矢理通られちゃったりしないかしら……」
「あいつら程度なら、まだ役人の方が立場は上だ。先手を打って役人をこっちの味方にしときゃ、少なくとも強行突破はされねえ。あいつらがおれらより高い金を渡さない限りな」
「じゃあできるだけ早くお金を渡しておこうとしたのは、時間稼ぎってことね!」
「そうだよ」
一同はドームの縁に到着する。
彼らに反応してドームは口を開き、ひたひたと僅かに波打つ垂直の海水面が露出した。
「ようし。わたしがあの魔法、《海獣の被膜》? をかけるから、もうひと息、みんなで頑張って走りましょう! あ、海の中だから泳いだ方がいいのかしら?」
クオウは腕まくりをして気合いのほどを示す。
海底国まで連れて来てくれたセツヨウはもういないし、知っての通り雷霆冒険団に海竜族の者はいない。
少年も有角族であるようだから、移動は各々の自力でやるしかない……と考えてのことだったが。
「その必要は無い」
少年は淡泊に言い放ち、ライルたちに少し離れるよう手振りをした。
「お前、できるならさっさと『膜』を張れ。あと全員手ェ繋いでろ」
「わ、わかったわ。水魔法潜水術、《海獣の被膜》!」
フォンがやったのと全く同じように、クオウは皆を魔法の膜で包んでみせる。
少年はそれが上手くできたらしいのを認めると、小さく息を吸った。
いったいどうするつもりなのだろうか。
見守る面々の中、彼は淡く発光する。
ちょうど、天竜族や海竜族が形態を変化させる時のように。
光が収まった後、そこに居たのは1匹の海竜――ただし、セツヨウとは違って随分と小さい、大型犬くらいのサイズをした竜だった。
彼は何を言わせる間も与えず、ふわりと少し浮遊する。
細い尻尾を一番近くにいたライルの手に巻き付け、ぐぐ、と体に力を込めた。
「行くぞ。振り落とされんなよ!」
少年は勢いよく海中へと飛び出す。
彼の指示通り手を繋いでいたライルと残る面々も、芋づるがごとく引っ張られて次々とドームの外に出て行った。
海竜の少年を先頭にした奇妙な列は、潮の流れに沿ってぐんぐん進む。
ライルがちらりと街の方を見れば、砂粒のような大勢の人間たちが関所へと詰めかけていた。
あの男たちはさほど強くはなかったが、執念深く、容赦が無かった。
対抗組織でもない者たちにも、恐らくは全員で報復せんとしていたのは、面子を守りたいがためだろうか。
流れ移ろう周囲の景色をぼんやりと見ながら、ライルはあの悪党たちの心情に思いを馳せた。
そうこうしているうちに、少年は岩陰をくぐり、魚の群れを避け、海底の谷間に現れたドームに近付いて行く。
点在する建物と周囲の地面を覆ったドームは、先ほどの街のものよりは大きくない。
少年とライルたちはゆっくりと下降し、そのドームの中に入り込んだ。
「ここには関所が無いんですね」
きょろきょろと辺りを見回してモンシュは言う。
ここのドームは単独で建っていたし、役人のチェックも無しに直に入ることができてしまっていた。
「小さい町だからな。流れ者の集まる場所だ。豊かじゃないが、融通は効く」
人間態に戻って少年は答える。
どこにでも関所があるわけではないのは、海の上の国々と同じらしかった。
「驚いた。海竜族だったのだな」
シュリは少年に歩み寄りつつ、話しかける。
それは少年以外の誰もが思っていたことだった。
可能性が高いのは、有角族と海竜族の混血か、あるいは角が飾りなのか。
何にせよ、予想と大きく異なる少年の正体は、ライルたちにとって驚愕に値することだった。
「……なんか文句あるかよ」
「いいや、無い。力強く、頼もしかった。ありがとう」
変わらぬ調子でシュリが返すと、少年は「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
しかしその頬は僅かに赤らんでおり、彼がまんざらでもない気持ちでいるのは、そこそこ誰にも見て取れた。