117話 海の底へ
セツヨウの背に乗って海中を行くことしばらく。
ライルたちの視界に、建物の並ぶ区画が見えてきた。
「街」と言える規模のそれは確かに海の底に接地しており、周囲を透明な半球に包まれている。
人工物であるという点で海中においては異質なものなのだが、独特な雰囲気の建物群のためか、揺らめくように光を反射する半球のためか、不思議と海の景色に溶け込んでいた。
「おお! あれが海底国だな!」
海底都市を指差し、興奮気味にフゲンは言う。
モンシュも、カシャも……ライルを除く雷霆冒険団の面々は皆、初めて目にする神秘的な光景に興味を惹かれていた。
「正確にはその一部、だよ。海底国はあちこちに都市や村が点在してるの」
対して、既に何度か目にしているのだろう、フォンはにこやかに補足説明をする。
次いで、セツヨウも口を開いた。
「あの半球……『外壁』には、《海獣の被膜》と同種の魔法が練り込まれている。だから中には海の上と同じように、空気があるんだ」
「そうなのね! あ、でも肝心の入り口が無いわ。どうやって中に入るのかしら?」
クオウが首を傾げれば、セツヨウはすいと方向転換し、街の方へと下降し始めた。
「あそこだ」
進路の先にあったのは、街のそれよりもずっと小さい『外壁』。
よくよく見れば、小さな住宅ほどの大きさをした建物が中に入っていた。
「まずは関所に降りて、そこから転送魔法で移動する」
「へえ、なんかすげえな。異世界みたいで面白れえや。なあ、ライル」
フゲンは楽しげに『外壁』や関所、街を眺めながら後ろに居る相棒へ声をかける。
しかし当のライルは視線をどこでもない一点に集中させ、何やら上の空といったふうだった。
「……ライル?」
「え? あ、ああ。凄いな。初めて見る」
話が耳に入ってはいたようで、彼は慌てて返答する。
明らかによそよそしい態度の原因を追求せんと、フゲンは疑問を口に出そうとしたが、それより先にセツヨウが声を発した。
「着いたぞ」
いつの間にやら関所は目前に迫っており、『外壁』を構成する菱形の物質の模様までもがよく見える。
フゲンはいったん口を閉じ、ライルを問いただすのは後に回すこととした。
関所の『外壁』は半球というより半紡錘形をしていて、建物との間にちょっとしたスペースがある。
セツヨウが接触寸前まで近付くと『外壁』の下方一部が扉のように開き、彼と背に乗る面々をこのスペースに迎え入れた。
一時的に水を堰き止める魔法が組み込まれているのだろう、『外壁』来客だけを内側に入れて、開けた扉を塞ぐ。
ゆっくりと着地したのち、セツヨウはライルたちを地面に下ろして人間態へと戻った。
それから彼は慣れたように建物の方へと向かい、残る面々も後に続く。
関所に足を踏み入れると、腰に剣を下げた屈強な男が1人、険しい顔つきで彼らを出迎えた。
恐らく彼が関所の役人なのだろう。
「旅人だ。この街で少し足を休めたい」
男が事務的な定型文を発する前に、先んじてセツヨウが言う。
「ふむ」と男は顎をさすり、一行の風貌をじろりと見回した。
「その傷はどうした?」
男の視線が捉えたのは、彼らが先ほどの戦闘で負った大小様々な傷の痕。
普通の旅人にはそぐわない物騒な雰囲気を感じ取り、男は警戒を濃くした。
「少し転んだだけだ」
が、セツヨウは平然とそう返す。
……と共に、鞄から銀貨を2枚取り出し、男に手渡した。
何をするのかとライルは目を丸くする。
彼の言葉と行動に関連性を見出せず、困惑するほかなかった。
「うむ、良いだろう。入れ」
反して男はそれの意味するところをごく自然に解したように、銀貨をポケットに仕舞い込んで頷く。
それから体を横に除けて奥の方、円柱状の部屋へ進むよう一行に促した。
「行くぞ」
セツヨウを先頭に、ライルたちは部屋に入る。
全員が室内に収まると、周囲に張り巡らされていた魔力が揺らぎ、気付けばそこは街の端だった。
ライルはなるほどこういう仕組みか、と円柱状の部屋の意義に納得しつつ、しかしやはり先のセツヨウの行動には理解が及ばない。
と、海に入ってからこれまで無言だったシュリが口を開き、セツヨウに問いかけた。
「賄賂か」
ワイロ!
そうかワイロか、とライルは心の中で手を打つ。
確かにその概念は頭の中に残っている。
ただ実際に見るのが初めてで、知識と結びつかなかっただけなのだ。
ライルはある種の安堵を覚えながら、セツヨウの回答を待つ。
「ああ。見ての通りだ」
やはりそうだったらしい。
淡々と指摘したシュリ、疑問が解消されたライル、涼しい顔で答えるセツヨウ。
三者三様の彼らだったが、それらともまた違う反応を示したのは、カシャだった。
「……感心しないわね」
彼女は誰かに、あるいは自分に向かってか、眉をひそめて言う。
悪事を厭う彼女のことだ、思うところを口にせずにはいられなかったのだろう。
そんなカシャに、セツヨウは反論するでもなく、答えた。
「役人は金で動く。海底国じゃ当たり前のことだ」
「……そう」
カシャはきゅっと口を引き結ぶ。
溢れんばかりのアレコレを、今は心の内に留めておくことにしたようだった。
「で、これからどうする? 俺たちは地上に戻るが」
セツヨウはライルに尋ねる。
元々進路を定めていたのだろう、フジャたち他の面々も既に了解している様子だ。
「うーん……せっかく来たんだし、しばらく滞在して手がかり探すか?」
「そうですね。海底国には巫女様もいますし、何か有力な情報を得られるかもしれません」
「賛成! 良いと思うわ!」
「ん、じゃあそうするか。……ってわけだ。名残惜しいけど、お前たちとはここでお別れだな」
ライルは眉を下げて笑う。
実際に一緒にいた時間は本当に、ごくごく短かったが、共に地底国軍から逃げた仲である。
物理的に別の道を往くとなると、寂しいものがあった。
対してセツヨウは淡泊に「ああ」とだけ言って、踵を返す。
「最後にひとつ、助言だ。ここはまだマシな方だが、海底国は治安が悪い。特に『アグヴィル協会』には絶対に関わるな。奴らは裏社会を牛耳る巨大闇組織だ」
「わかった、覚えとく」
ライルはセツヨウの後ろ姿を見つめた。
当然ながら、表情は見えない。
「元気でね。あ、ジュリもまたねーって言ってるよ」
「どうもありがとうございました……!」
「ばいばーい!」
「お互い、頑張りましょう」
セツヨウに続き、フォンとジュリ、モウゴ、フジャ、チトも去って行く。
後には雷霆冒険団の6人と、遠くから聞こえてくる街の喧騒だけが残った。
* * *
「さて、どっから探すかな」
多くの人々が行き交う通りをぐるりと見渡し、ライルは言った。
「『地図』確認してみっか? ここならオレらが箱開けても、地上国の捜索隊に追っかけられる心配無いだろ」
そうフゲンが提案すれば、「そうね!」とクオウが鞄から『地図』をいそいそと取り出す。
蓋を開かれ外界に触れた『地図』は、斜め上方に向かって光の線を伸ばした。
やはり次なる手がかりは、海の上にあるようだ。
「地図……? この水晶が?」
首を傾げたのはシュリだった。
ライルたちが『地図』を有していることはおろか、それが何であるかもまだ知らない彼からすれば、とてもそうは見えない物を「地図」と呼んでいるところから、既に謎なのであった。
「はい。『箱庭』に辿り着くためには、『地図』を使って『方舟』を動かし、『神殿』へ向かって『鍵』で道を開く必要があるそうなんです」
モンシュは以前ライルたちが遺跡で見つけた文章の内容を思い返しつつ、シュリに説明する。
「この光の示す先に何があるか、まだ定かではありませんが……恐らく、重要な手がかりがあると思われます」
「なるほど。よくわかった。ありがとう」
シュリは全く新しい知識に半ば面食らいながらも、どうにか呑み込んで首肯した。
途方もない話のようで、しかし目の前の『地図』が放つ光が、ひしひしと彼に実感を伝えている。
「一般人の私たちが巫女様に会うのは難しいでしょうから、まずは『海上にある何か』について聞き込みでもしましょうか」
「そうだな。海底国での作法? とかもよくわからないし、そこも含めて街の人たちに――」
と、ライルが歩き出したその時だった。
「おっと」
「いてっ」
横の狭い路地から、1人の少年が走り出て来て、ちょうどライルにぶつかった。
両者ともに衝撃をくらい、数歩後ずさる。
ライルは慌てて相手を見た。
少年は12歳か13歳かというくらいの年頃で、薄い布切れを羽織って頭に角を生やしている。
迷子だろうか。
今ので怪我をしてはいないだろうか。
腰をかがめて手を差し伸べ、ライルは少年に声をかける。
「悪い、大丈――」
しかし彼が言い終える前に、少年はギッとライルを睨みつけて、言った。
「どこ見てんだよウスノロ!」