115話 小さくとも強いもの
「大きすぎるでしょう! 町が崩れます!」
思わずニーナは叫ぶ。
さもありなん。
「ニーナさんが呼べって言ったんじゃないですかあ」
キャットはふくれっ面で返した。
責任を感じるどころか、丸ごとニーナに投げている。
「っ……でしたら、周囲に被害を出さぬようにと、凶獣に命令を!」
「え、無理ですよお。あの子、言うこと聞くタマじゃありませんもん。さすがのネコも、ここに誘導するだけで精一杯でしたし」
「はあ!?」
またもやニーナは素っ頓狂な声で叫んだ。
カシャたちと戦っていた時の冷徹な仮面はどこへやら、次々と飛び出すキャットの無責任な言動に顔を真っ赤にしている。
やいのやいのと騒ぐ2人の横で、隊長もまた密かに眉をひそめた。
市民の安全を優先してこの凶獣を倒すことは可能だが、そうするとライルたちとの距離が更に開き、取り逃がしてしまう。
二者択一を前に、隊長は眉間の皺を深くしていた。
一方のライルたちは、どうかと言うと。
「うわ何だアレ!」
「でっか! 頭ギリギリじゃねえか!」
突如現れた特大の凶獣に、お手本のような反応をしていた。
ただしフゲンは凶獣との戦いを想像してか、少し声に期待感を滲ませていたが。
「マズいわね。シュリの家の近くとか、あんまり広くなかったでしょう。下手したら『天井』が崩れて生き埋めになるわよ」
「いったん止まって退治しちゃおうかしら?」
「そうしたいのは、山々ですが……」
カシャ、クオウ、モンシュも顔を見合わせる。
捜索隊が凶獣の相手をするとライルたちを捕まえられない恐れがあるのと同じように、ライルたちも凶獣に対処すべく立ち止まると捜索隊に捕まってしまう可能性が高い。
かと言ってウメイの町が危険に晒されるのを、黙って見過ごすわけにも当然いかない。
「一撃必殺、狙えないか!?」
「余力があればね! 言っとくけど私はほぼ無いわよ!」
カシャの返答にライルは「ああ……」と納得した。
そうだ、みんな軍相手の戦闘に加えてこの全力疾走で疲れている。
フゲンはともかく、特に魔人族のクオウとジュリ・フォンや、モンシュに加えモウゴもかなり疲弊しているようだ。
他の面々も、さすがに疲れが隠せなくなってきている。
通常サイズの凶獣ならまだしも、今現在、背後に迫る耐久力未知数のアレを確実に一発で倒せるほどの火力は出せるかどうか。
ライルたちはどんどん近付いて来るウメイの町に焦りながら、必死で頭を回す。
が、更に悪いことに。
「くっ!」
「うわあっ!」
後ろから大きな岩石が飛んで来て、ライルたちの前に落下した。
凶獣がその強靭な顎で岩盤を削り取り、投擲したのだ。
目の前が行き止まりになり、ライルたちは咄嗟に脇道へと逸れる。
しかし突然のことであったため、雷霆冒険団は右の道に、セツヨウ一行は左の道に、と分かれてしまった。
「クソ、やっちまった!」
ライルは歯噛みする。
彼らと別々になってしまっては、元も子もない。
「だ、大丈夫です、ライルさん。確か、この道と、あちらの道は、このままずっと行けば、また合流、するはずです!」
「お、そうか! なら……」
息も絶え絶えのモンシュをひょいとかつぎ、ライルは前を見据える。
「あいつらを信じて前進、だな!」
「それで、この凶獣をどうするか、ね」
同じく限界を迎えかけていたクオウを抱き上げたカシャは、ちらと後ろを見やった。
凶獣はセツヨウたちでなくこちらに狙いを定めて追ってきており、捜索隊の3人もそれに続いている。
ウメイの町までもう間もない。
いよいよ腹を括って、イチかバチかの勝負に出るか……と考えていると、その時。
前方から走って来るひとつの影があった。
「! あれは……」
ライルたちがその正体に気付き呼び止めようとするも、盾を携えた彼は速度を緩めもせずに彼らとすれ違い、通り越す。
そのまま凶獣の前で立ち止まり、腰を低くして構えを取った。
彼は突進してくる凶獣に少しも怯まない。
眼光鋭く、ただ体中に力を巡らせて、盾を立て支えた。
「大盾防御術、《猪殺し》」
瞬間、凶獣が盾に衝突する。
衝撃が空気を揺らし、足元の砂を巻きあげた。
数秒の後、もうもうと立ち込める土煙を、振り払ったのは大盾を持った彼の方。
ぶつかり合いに負けた凶獣は、道を丸ごと塞ぐように倒れていた。
「シュリ!!」
力強く立つ彼――シュリの姿に、ライルたちは思わず叫ぶ。
それでもたまらず、彼の元へと駆け寄った。
「ありがとう助かった! ……ってまずはこの状況だよな、えーっと、色々あって地底国の捜索隊に追われてる! 巻き込まれると厄介だからスアンニーたちと一緒に隠れてろ!」
ライルは彼の手を引きつつ、早口で伝える。
凶獣の相手が危険だというのもそうだし、何より一般人であるシュリが軍に目を付けられる恐れがある。
それは全くもって望ましくないことだ。
故にライルは身を隠せと言ったのだが、しかしシュリは頷かなかった。
「……いや」
彼は目を泳がせ、言い淀む。
「自分は……」
「シュリ?」
ライルは何かをためらうその様子に首を傾げた。
しかしそれ以上、続く言葉を急かすことは無く、静かに黙して待つ。
凶獣が道を塞いでいるおかげで猶予ができたというのもあるが、捜索隊が追って来ていることよりシュリ自ら発する言葉を聴く方を優先すべきだと思っていた。
また同時に、きっと彼は間もなく話してくれるだろうと感じてもいたのだ。
ライルの予感に違わず、シュリはやがて意を決したように顔を上げ、口を開いた。
「っ自分も、あなたたちと共に往きたい!」
彼の中では今までにないくらい、大きな声でシュリは言う。
盾の持ち手を握りしめ、心の底から絞り出すように。
「あなたたちが、羨ましかった。自由で、明るくて、偽りや諦めが無くて……」
横穴に流れ着いた雷霆冒険団を偶然助けたあの日から、彼はずっと思っていた。
本当にしたいことのために邁進するライルたちの姿は、眩しく美しい。
それに比べ、一歩踏み出すことを望みながらも停滞する己の何と矮小なことか。
「夢なんだ。照らし草の光を浴びて咲く白い花を、スアンニーや子どもたちと一緒に見るのが……! だから、あなたたちと共に『箱庭』へ行って神様にお願いしたい!」
初めて。
その願いを持つようになってから初めて、シュリはこれを口に出した。
シュリはスアンニーも、ムーファも、ララクも、トウィーシャも、町の人々も、みんな好きだった。
町の暮らしに不満なんて無かったし、幸福だと常々感じ、彼らを愛していた。
それでもシュリは一度も、彼らに夢を語り、ましてや『箱庭』を目指したいなどと言ったことは無かった。
恐れていたのである。
つまらないことだと、わざわざ神に願うことでもないだろうと、思われてしまうことを。
シュリ自身は本気だった。
本気で願い、『箱庭』に行きたいと思っていた。
しかしそれを他者に語る勇気は持ち合わせていなかったのだ。
呆れられたくない。
自分の中の臆病な部分がそう言って扉を閉ざすたび、シュリは自分に呆れた。
けれども今。
彼は砂粒ほどの勇気を両手いっぱいに集め、全てをさらけ出した。
そして、ライルたちは。
「へえ、そうだったのか! 地底国に白い花を咲かせる……良いな、それ!」
「神サマも喜ぶだろうぜ」
「とっても素敵です!」
「その穏やかさと根性、あなたらしいわ」
「ロマンね! わたし、わかるわ!」
みな一様に、当然のごとく、肯定した。
「お前が俺たちと一緒に来たいって言うなら、もちろん歓迎するぜ!」
「あ、ありがとう……」
ふっと、シュリの心に安堵が広がる。
向こう側に渡る術のない断崖絶壁に見えていたものが、今では軽く一歩分の幅しかない溝のように感じられた。
帰ったらスアンニーたちにも話そうと、気軽に思うことさえできていた。
「でも何でこのタイミングで、ここに来てくれたんだ? 凶獣が近付いてるのに気付いたのか?」
「いや、その……」
シュリは視線を彷徨わせたのち、照れくさそうに言った。
「スアンニーに言われたんだ。『伝えたいことがあるなら、いい加減さっさと伝えて来い』と。……たぶん、勘付かれていたのだろうな」