114話 三十六計何とやら
ニーナはキャットの方を一瞥もせず、先ほど自分が激突して空いた穴から向こう側へと迅速に戻る。
そこに広がる戦況は、捜索隊員が半分以上削られ雷霆冒険団側は誰も欠けぬまま依然勢いを保っているという――端的に言って、捜索隊の劣勢であった。
隊長の元へ馳せ参じようとするニーナだったが、目の前にカシャが立ち塞がる。
「やられた分、返させてもらうわよ」
「チッ……悪党風情が……!」
自分を土壁の向こうまで吹き飛ばした張本人を、ニーナは睨みつけた。
地底国軍『箱庭』捜索隊は、今まで幾度となく冒険者との戦闘を行ってきた。
正規の訓練を受けた軍人とごろつき程度の一般人たち。
勝敗は明らかであり、隊は一度も負けたことどころか、劣勢に陥ったことすら無かった。
それが今、この有り様だ。
地底国軍の強みである強固な隊列と連携は、ほとんど立て直しがきかないほどに崩された。
土魔法で分断されたのはまだ良かった。
隊長の指揮の下、即座に隊列を組み直し臨戦態勢を取れた。
だがいざ雷霆冒険団との衝突が始まってみればどうだろう。
槍を体の一部のように操る「ライル」、噂以上にでたらめな身体能力を持つ「フゲン」。
彼らの機動力と攻撃力に、隊は翻弄されるばかりだった。
加えて一時は完封できていた他3人も水を得た魚のように、軽やかな連携で以て力を振るう。
――雷霆冒険団を一堂に会させるべきではなかった。
ニーナは今更ながらそう気付く。
味方と動きを合わせ、全体で行う戦闘の強みはよく理解していた。
が、この土俵において冒険者なんぞが捜索隊と肩を並べ、あまつさえ凌ぐなどとは考えもしなかったのだ。
「おのれっ!」
カシャをすり抜け、ニーナは前進する。
捜索隊にも、まだ勝ち目はあるのだ。
隊員が皆やられようとも、冒険者どもがいくら連携しようとも、一定の状況に持ち込むことができれば。
「させません!」
隊長の元へと走る彼女の前に、今度はモンシュが立ち塞がる。
彼はライルに助けられたのちに意識を取り戻しており、既に戦闘に参加していた。
眩い光を放ち、モンシュは竜態へと変じる。
彼に大した戦闘能力が無いことを知っているニーナは、すかさず仕留めにかかった。
地面を蹴り、モンシュの頭部を殺す気で狙うニーナ。
しかし彼女の剣は空を切った。
モンシュが人間態へと戻ったからである。
宙に放り出された形になったニーナを、クオウの氷魔法が捕らえんとする。
が、ニーナはすんでのところでこれを回避し、くるりと身を翻して着地した。
「鬱陶しい小細工を……!」
「小細工上等、です!」
はらわたを沸騰寸前にしながら、彼女はモンシュを睨みつける。
こんな子どもの、普段なら簡単に見抜いて対処できたであろう小細工に、まんまと引っ掛かった己が何より腹立たしかった。
「ニーナ、落ち着け」
ぽん、と彼女の肩に手が置かれる。
見ればそれは隊長であり、ニーナは彼の方から自分を援護しに来てくれたのだと瞬時に察した。
「っ……申し訳ありません、隊長」
「負傷者を安全な場所へ運べ。ついでに、少し頭を冷やすといい」
「了解しました」
ニーナは大人しく指示に従う。
救助にあたっている隙に後ろから攻撃されるのでは……という考えが一瞬よぎったが、地上国軍『箱庭』捜索隊から聞いた話――何でも彼らは捜索隊側の負傷者を手当てしたのだという――を思い出し、その心配は捨て置いた。
「さて……」
無事にニーナが救護活動を始めたのを確認し、隊長はライルたちの方へ向き直る。
すっかり多勢に無勢となってしまっていたが、彼は未だ負ける気がしていなかった。
とは言え、侮ることもできないのは自明である。
隊長はライルたちの攻撃を槍1本で捌きながら、攻勢に踏み込む算段をつけ始めた。
「雷霆冒険団……リンネ殿らを退けるだけはある」
「知り合いなのか?」
半ば独り言のように呟かれた言葉に、ライルは目をぱちくりとさせる。
彼は『箱庭』捜索国際会合に隊長とリンネが出ていることを知らないのだから、当然の反応だろう。
だが隊長は眉ひとつ動かさず、冷たく言い放つ。
「貴様らには言っても詮無きことだ」
ぐるりと彼の槍が回される。
ライルのそれと違い、刃の部分が大きく柄も太い槍は、使い手のガタイの良さも相まってひとつひとつの動きに迫力があった。
技が来る、とライルは直感する。
それでいて、回避ではなく防御の構えを取った。
攻撃の後の隙を突こうという心づもりだ。
しかし。
「地底国軍式槍術、《空割り》」
「ッと!!」
振り下ろされた隊長の槍を受け止める直前、ライルは空気が伝えたその一撃の圧迫感に驚愕する。
防御だなんて、冗談じゃない。
人間の身では武器もろとも叩き斬られてしまう。
即座に判断した彼は、槍を引いて後方へと退散する。
空ぶった隊長の攻撃は凄まじい威力で以て地面をえぐり、粉塵を巻き起こした。
「危ねえ……。まだ力を温存してたのか、あいつ」
「でも勝ちは見えているわ。そろそろ、良いんじゃない」
冷や汗をかくライルの背を、カシャが軽く叩く。
「そうだな」
ライルは頷き、フゲン、モンシュ、クオウとも顔を見合わせた。
みな首肯し、言外にGOサインを出している。
隊長が次の攻撃を繰り出してくる前に、ニーナが戦線に復帰して来る前に。
今こと作戦発動の時だと、ライルは大きく息を吸って声を出した。
「セツヨウ! やるぜ!!」
空いた土壁の穴を通って向こう側へと響いた言葉は、セツヨウたちの耳にしかと届く。
彼らもまた互いに意思を確認し合い、頷き合った。
「ああ、頼む!」
帰って来たセツヨウの声に、ライルは口角を上げる。
そして合図だとばかりに槍を高くかかげ、技の構えを取った。
「天命槍術! 《晩鐘》!」
続いてフゲンも。
「我流体術ッ、《ぶん殴る》!」
カシャも。
「有角双剣術、《大鎌鼬》」
クオウも。
「風魔法戦闘術、《千々の風刃》!」
一斉に攻撃を繰り出した。
「!? 何を……」
隊長は目を見開く。
驚くのも無理は無いだろう
ライルたちが的としたのは敵である隊長その人――ではなく、土壁だったのだから。
4人がかりで攻撃された土壁は派手に崩れ落ちる。
瓦礫と言えるほど大きな塊すら残されず、ほとんと砂のようになって、皆の頭上に降り注いた。
「天竜戦闘術――《風呼びの舞》!」
隊長や、今しがた慌てて戻って来たニーナ、そしてキャットが対抗行動を起こすより早く、次はモンシュが竜態に変じて強風を巻き起こす。
目を開けていられないほどの砂嵐が隊長らを襲い、けれども攻撃は飛んで来なかった。
そこでようやく意図を理解したニーナは、沸騰した腹から怒声を上げる。
「っあいつら、さては逃げる気か!」
そう、ライルたちが大きな土壁を分断の方法として選んだのはこれが目的だった。
逃走のための目くらまし道具を、それと気付かせず、かつ都合の良いタイミングで即座に使えるよう準備するため。
そのために、氷魔法でも植物魔法でもなく、土魔法で壁を作ったのである。
かくして作戦は成功し、砂嵐が収まり始める頃には、セツヨウ一行含めたライルたちは既に隊長たちの射程範囲を抜けて、ウメイの町の方角へと走り出していた。
「追うぞ」
「はい!」
「うへえ、もー疲れましたよお」
隊長ら3人は彼らの、かろうじて見える背中を追跡する。
ここで逃してしまっては、雷霆冒険団を捕縛して地上国軍『箱庭』捜索隊に圧をかけることも、地底国軍の汚点であるフジャとチトを処分することもできなくなるのだ。
『箱庭』捜索隊としての利益を得損ねるわけにはいかないし、軍の憂いを排除し損ねるなど言語道断である。
「お前、凶獣はもういないのですか」
全力で走りながら、ニーナはキャットに問うた。
凶獣を使役すればライルたちに追い付くこともできるだろう。
可能ならば切らない手は無い札だが、どうしたことかキャットは曖昧な笑みを浮かべる。
「うーん……あー、いますけどお……」
「では呼びなさい、早く! 隊長の顔に敗北という泥を塗るつもりですか!」
「はいはあい、そこまで言うなら」
叱咤するニーナに降参するがごとく、彼は右手でくいくいと招く仕草をした。
と、凶獣が活動する時の、大きな地響きが起こる。
地響きの発生源はどんどん接近し、ほどなく岩盤を突き破って1体の凶獣が現れた……のだが。
「っ……!?」
それはあまりにも、他に類を見ないほど巨大で、具体的に言えば、そいつが暴れれば地底国の地図から街が1つ2つ消えるくらいの規模の個体だった。