108話 天井を直そう
走って走って、やがて町の東端まで来た4人は、目の前――否、目の上の光景に息を呑んだ。
「おっと、これは……」
フジャがそう言って、口元に手を当てる。
彼らの頭上、地底国の「天井」の一部がえぐり取られたように崩れ落ちていた。
道端にごろごろと転がる大きな岩や、それに付随した石は幸いにも何も破壊せず、また誰も傷付けていない。
しかし安心はできない。
クオウは不安げな表情で、ぱらぱらと照らし草が落ちて来る「天井」を見上げた。
「まだヒビが入ってるわ。また崩れて来そう……」
「それで皆さん、急いで逃げていたんですね」
合点がいったとモンシュは頷く。
地底国の事情に疎い彼らは、この状態からどれほどの規模の二次的な崩壊が起こり得るのかわからない。
が、少なくとも危険であることは確かに理解できた。
勇んで来たは良いものの、さてこれはどうするべきかと考えていると、北側の路地から憲兵が1人走ってきた。
「君たち、早く逃げないか!」
語気を強めて言う彼は、カシャたちの前で立ち止まると西を指差して移動を促す。
「いつ『処置』ができるかわからない。さあ離れて!」
「『処置』?」
よく知る単語が、恐らく知らない使い方をされているのを感じ取り、クオウが聞き返した。
すると憲兵は眉をひそめ、「知らないのか?」とこぼす。
「岩壁や上の岩磐を直すことだよ」
「なるほど、そういうことね! じゃあいつできるかわからないっていうのは?」
納得の色を見せながらも新たな疑問を投げかけて来るクオウに、憲兵は面倒そうな顔をしながらも説明した。
「タイミングの悪いことに、ちょっと前に少し離れた町で大規模な崩落があってね。『処置』のできる人員はみんな出払っているから、いま応援を呼びに行っているところなんだ」
崩落は本来、そう頻繁に起こることではない。
故に『処置』の技能を習得している者も、町ごとに必ず居るというわけではないのだ。
憲兵は、こんなことなら前の会議で増員を進言しておくんだった、と後悔していた。
「わかったら早く――」
「あの、『処置』とはどういうものですか?」
避難を急かす憲兵の言葉を遮り、カシャが言う。
「え?」
「私たちがお手伝いできることであれば、やらせてください」
ずいと申し出る彼女に、憲兵はたじろいだ。
彼女の瞳は至極真面目で、適当を言っているのではないとわかるからこそ。
「しかし……市民に危険なことをさせるわけには……」
憲兵は断る台詞を捻り出そうとして、ふと視線をカシャの傍にやる。
と、彼女と同様に自分を見るモンシュやクオウが目に入った。
眩しいくらいの善意と真剣さと驕らぬ自信が、3人の瞳には映っている。
20代そこそこの憲兵は、少し抵抗を試みて、けれどもやがて、彼女らの熱意に折れた。
力づくで諦めてもらうことは不可能だと、観念して口を開く。
「……魔法を使って、崩れた岩を直すんだ。割れた皿を接ぐみたいにね」
「じゃあわたし、できるわ! わたし魔人族なの」
「いや、けどそれには相当の技術が必要だ。魔法の操作はもちろん、接ぐ順序も重要で、技能講習を受けていない人にはとてもじゃないが……」
だから君たちには無理だ、と言いたげな憲兵に、それまで黙って見ていたフジャが不意に声を上げた。
「あ、それなら俺わかるかも」
相変わらず緊張感の無い声で、彼は続ける。
「俺さあ、昔けっこう色々教わったんだよね。人の役に立つこと。『処置』もね。使ったこと無かったから忘れてたけど、思い出したよ、やり方」
「じゃあ……!」
カシャたちが顔をパッと明るくした。
それに応えるがごとく、フジャもまた笑顔で頷く。
「うん。指示は俺が出すから、みんなでやろ! いーでしょ、憲兵さん」
「あ、ああ……」
半ば気圧されるようにして、憲兵は首肯した。
「ハイ、じゃーまず落ちた岩石拾って、岩盤の近くまで行くよ」
「なら僕は足場になりますね」
そう言ってモンシュが竜態になり、背を伸ばして座す。
ちょうど、頭が岩盤の真下に来る形になった。
「どうぞ、お気を付けて」
それから尻尾を使ってフジャ、クオウを頭に乗せる。
余裕とまではいかないが、何とか2人とも作業ができそうだ。
「私が岩を運んで行くわ」
散らばった岩石の近くでカシャが呼びかける。
モンシュは姿勢の加減で足元を見られないから……というわけでの申し出だ。
「フジャ、指示をお願い」
「わかった。えっと……」
フジャは半身を乗り出して下を見おろし、岩石と上の岩盤を交互に観察した。
一見するとどれも順序があるようには思えない岩々、石々だったが、彼にはハッキリと判別ができるようだった。
「まずはそれ、2番目に大きいやつ」
「了解」
示された岩を、カシャはひょいと担いで、近くの建物の屋根伝いに彼らの元へと届ける。
クオウが風魔法でこれを受け取り、フジャは岩盤の一部分を指差した。
「あそこに持って行って、岩同士をくっつけるの。できる?」
「ええ! 結合させれば良いのよね」
頼もしく頷き、クオウは岩に魔法陣を浮かび上がらせる。
陣は淡く発光した後、吸い込まれるように消えた。
彼女はそれを確認し、風魔法の出力を上げて岩を上昇させる。
「えいっ」
滞りない動きで岩盤に接した岩は、そのままピタリとくっついた。
どうやら魔法が上手く作用したらしい。
落ちて来る気配はちっとも無い。
「いー感じ! カシャ、次はあれね」
「わかった」
こうして『処置』が始まった。
モンシュがフジャとクオウを支え、フジャが指示を出し、カシャが岩を運搬して、クオウが魔法で接着を行う。
作業は着々と進み、岩盤はあれよあれよという間に元通りの姿を取り戻して行った。
「これで完成!」
最後のひと欠片を接着し終えるや否や、クオウが嬉しそうに宣言する。
その言葉に、ふっと各々の表情が安堵に緩んだ。
「やりましたね、皆さん!」
「ええ。モンシュもお疲れ様」
クオウとフジャが地上に降り立ち、モンシュは竜態から人間態へと変じる。
即席の対応だったが、成功したことを互いに喜び合った。
「君たち、どうもありがとう。助かったよ」
と、それまで見守っていた憲兵が歩んで来る。
彼もまた、顔に安堵を浮かべていた。
「ついては君たちに礼がしたい。この町の憲兵としてね。どうだろう、時間があれば謝礼を受け取りに来てくれないか?」
憲兵は功労者たちへ、にこやかに提案する。
だがそれに反してモンシュ、カシャ、クオウは複雑な表情で顔を見合わせた。
考えていることは皆同じだ。
――仮にも犯罪者である自分たちが憲兵から謝礼を貰うというのは、少しマズい気がする。
「あー、私たちは遠慮しておきます」
カシャがあくまで遠慮の形をとって断ると、フジャもまた憲兵に向けて首を横に振った。
「俺も早くチトを見つけなきゃだし」
「そうか……。ではまた気が向いたら、憲兵を訪ねてくれ。皆には私から話をしておくから」
残念そうな顔をしながら、しかしカシャたちの意思を尊重してであろう、しつこく食い下がることなく憲兵は去って行く。
場に残された4人の間に、束の間の沈黙が訪れた。
「俺、思ったんだけどさあ」
おもむろに、フジャが先ほど『処置』した岩盤を見て口を開く。
「あれ、誰かがわざと壊したんじゃない?」
「えっ? どうしてですか?」
「だって割れ方が不自然だったもん。ちょびっとだけ削り落としました、みたいな」
モンシュたちの目ではわからなかったが、彼からするとそういうことだったらしい。
だが、だとしたらいったい誰が、何のために?
不穏な予感に4人が眉をひそめる中、凜とした声が西の方から飛んで来た。
「フジャ!!」
走り寄って来る声の主に、名を呼ばれたフジャはパッと笑顔を浮かべる。
「あ、チト」
赤い角に、薄紫の髪色をした若い女性。
現れたのは、彼とカシャたちが探していたセツヨウの仲間だった。
「やっほー」
「あんた、どこで何して……」
フジャの前まで来て、チトは立ち止まる。
それからふとカシャたちの存在を改めて認識し、言葉をいったん止めた。
「……これ、どういう状況?」