106話 樽
フゲンを見送ったのち、ライルはシュリたちの方へと向き直る。
「俺たちも行こう。フゲンが目で見てくれるってんなら、こっちは人に聞――」
と、その時、ガシャ! という大きな音が辺りに響き渡った。
木材が割れるのと、水がぶちまけられるのとが同時に起こったような音だ。
次いで、「何しやがる!」という怒声が飛んで来る。
発生源は少し離れた場所のようで、ライルたちの視界には揃って同じ方向へと視線を向ける人々だけが見えた。
「……行くか!」
頷き合い、3人は駆け出す。
フゲンが行ったのとは真逆の方向だから彼ではないだろうが、かと言って見過ごすのも何だか気分が悪い。
人々がざわつくなか、その中心に居たのは2人の男と1人の青年だった。
男はいずれも有角族で、筋骨隆々といったふう。
反して青年は線が細く、見るからに気弱そうだ。
男の一方が、青年の襟首を掴んで怒鳴りつける。
「おう坊主、どうしてくれんだ!?」
そうして指差したのは、壊れた樽。
中に入っていたのであろう葡萄酒が道に広がり、大きな水溜まりのようになっていた。
傍らには大きな荷車が停めてあり、その上には無傷の樽がいくつか行儀よく並んでいる。
「てめえがぶつかって来たせいで、俺らの大事な荷物がめちゃくちゃになっちまったじゃねえか!」
「あーあ、困ったなあ! 今日の稼ぎがよお!」
男たちはわざとらしいほどの大声で青年を責め立てた。
関心の薄い通行人たちはその様子に眉をひそめ、彼らと目を合わせないよう足を速める。
「あ、あの、でも、ぶつかって来たのはそちらじゃ……」
「なあにボソボソ喋ってんだぁ? 聞えねえよ!」
青年がしどろもどろに反論するも、男は倍以上の大きさの声でかき消した。
真偽はどうあれ、男たちの態度は横柄と言わざるを得ない。
「何事だ」
そこへ人混みをかき分け、セツヨウを先頭に3人が顔を出した。
「あ……セツヨウ……!」
彼らを視界に捉えるや否や、青年はパッと顔を明るくする。
青年の前髪に隠れた目とセツヨウの目が合った。
セツヨウは青年と彼に掴みかかる男を引き剥がし、その中間に立つ。
男は面白くなさそうに片眉を上げた。
「なんだ、お友だちか?」
「仲間だ。お前たちは何を揉めている」
彼の言葉に、お、とライルは目を見開く。
仲間、ということはこの青年が「モウゴ」「フォン」「ジュリ」の誰か……いや、男ということは「モウゴ」で確定か。
確かに、金髪であるところや前髪が長いところが、聞いていた特徴と同じだ。
ライルがまじまじと青年を観察している間に、男たちはセツヨウの問いに答える。
「そりゃあ見ての通りよ! この坊主が俺らにぶつかって、荷物をぶっちゃかしやがったんだ」
「弁償なりなんなりしてもらわねえと、なあ?」
まくしたてる男たちを横目に、セツヨウは半歩後ろに立つモウゴに「本当か」と尋ねた。
彼はすぐさま首を横に振り、否定する。
「ち、違います……! 僕はただ歩いていただけで、そしたらあの人たちが後ろからぶつかって来て……荷物には、触ってすらいません……!」
「おいおい嘘は困るぜ坊主!」
男はセツヨウを押し退け、またモウゴに詰め寄ろうと足を踏み出し手を伸ばした。
だが彼の手は、いつの間にか近くに来ていたライルによってがしりと掴まれる。
「乱暴はよせ。誰も得しないだろ」
ライルは少し語気を強めて言った。
主張だけなら男たちとモウゴ、どちらが正しいかは判断できない。
しかし男たちのモウゴに対する言動はいささか乱暴であり、ライルに不信感を沸き立たせていた。
「チッ……。だがな、どうあっても詫びは入れてもらわなきゃなんねえぞ。俺らの荷物がこうなってるのは事実なんだからな!」
「モウゴがやったという証拠は無いだろう」
「はっ、まさか俺らが自分でやったとでも言いたいのか?」
「…………」
既に確実な「被害」があるが故の強気だろう。
男たちは徐々に取り繕うことを辞め、無理矢理押し切ろうとし出す。
これはクロだと確信したライルは、場を収めるべく口を開いた。
「お前たちは有角族だ。しかも見たところかなり鍛えているみたいだな。対して、こっちのモウゴは人間族で、力が強いようには見えない。こいつがぶつかったところで、お前たちがよろめくとも、その樽が台車から落ちるとも思えないぞ」
やったやらないの言い合いでは収拾が付かない。
ならば論理的に、誰が聞いてもわかるように、モウゴの無実を明らかにしなくては。
そんな強い使命感に駆られ、彼は言葉を続ける。
「自分でやったんだろ、お前たちは。そしてその罪を気弱なモウゴに被せ、強請るなり何なりしようとした。違うか?」
「ひでえ言いがかりだな? 俺らは被害者だってのに!」
が、男たちはなおも言い張った。
大きな声を出せば良いというものでもあるまいに、彼らは恥ずかしげもなく怒鳴るように主張する。
こうなれば目撃者を探すしか……とライルは周囲を見回した。
しかし人々は彼の視線を避けるがごとく、ふいと顔を逸らすだけ。
どうやら面倒事に関わりたいと思う人間は、ここにはいないらしい。
彼は早くも潰えた手段に歯噛みした。
「……ライル」
次なる策を考えるべく頭を捻るライルに、シュリが声をかける。
彼はそっと声を落とし、ひと言ふた言、耳打ちをした。
「できるか?」
「やってみる」
シュリが提示した問いに、ライルはこくりと頷く。
それから先ほど言われた通りのことを、魔法で以て実行した。
途端に彼の顔が輝く。
「ありがとう、シュリ。何とかなりそうだ!」
ライルはセツヨウと言い争いを続けている男たちの方へと向き直り、息を吸い込んだ。
「なあ、お前ら」
大声、とは行かないまでも、できるだけ明朗な声で言う。
「そもそも何で酒樽と泥水の入った樽を一緒に運んでたんだ?」
ぴくりと男たちの眉が動いた。
セツヨウたちを小馬鹿にするような表情を浮かべていた顔が、ムッと歪められる。
「……何を言い出すかと思えば」
「何って、事実を言っただけだぜ。その落ちて壊れた樽以外、中身は全部泥水だろ」
「証拠は」
「魔法で見た」
ライルがシュリに言われてやったこと。
それは、魔法を使って残りの樽の中身を確かめることだった。
男たちの目的が強請りであれば、彼らは効率よく自分たちを「大きな存在」――今回なら大量の酒を取引する豪商といったところか――に見せようとするだろう。
そこからシュリは「他の樽には酒が入っていないのでは」と仮説を立て、立証をライルに託したのである。
「俺が間違ってるってんなら、樽を開けて証明すれば良い。その時は、壊れた樽の分もまとめて俺が弁償するさ。どうだ?」
いわゆる透視は高度な魔法であり、基本的には魔道具を使って行われる。
故に男たちは樽の中身を言い当てられることは無いと、また推理されても「あてずっぽうだ」で躱せると高をくくっていた。
が、残念なことに彼らの相手にはライルが居たのだ。
難易度の高い魔法のひとつとされる認識阻害も容易く扱える、ライルが。
言い逃れの余地を失い、男たちは顔を見合わせる。
「……ックソガキ共が!」
そうして捨て台詞を吐くと、荷車を引いてさっさと退散して行った。
遠巻きに見ていた人々も去って行く中、ライルはシュリとハイタッチをする。
ライルは清々しい笑顔を浮かべており、シュリもまた、布で隠された口元をほころばせていた。
「あ、あの、ありがとうございました……」
一件落着を喜ぶ2人に、おずおずとモウゴが話しかける。
控えめな微笑みをつくる口からは、ギザギザとした鋭い歯が僅かに覗いていた。
「良いってことよ。で……お前がモウゴ?」
「は、はい」
返事をし、モウゴはセツヨウの方を見やる。
その視線の意味を理解し、セツヨウはライルたちを順に手で示した。
「ライルと、シュリだ。迷子のお前らを探すのを手伝ってくれている」
「そうだったんだ……! 手間かけさせてごめんね、セツヨウ……。ライルさんと、シュリさんも、すみません……」
申し訳なさそうにするモウゴだったが、その様子が悪い緊張から解放されて安堵したふうなのを認め、ライルもまた少し安心した。




