103話 彼の過去と現在
しばらくして戻って来た憲兵によって、ライルたちは施設内へと通された。
武器と荷物は別室に保管したのち、堅苦しい廊下を通って6人は奥まった部屋に案内される。
そこで待っていたのは、制服に厳ついバッジを付けた中年男性の憲兵だった。
「お初にお目にかかる。私がこのニユ地区の憲兵を統括しているジュンルだ」
彼は礼儀正しく名乗り、会釈をする。
それからライルたちに席を勧め、全員が座ったのを確認して再度、口を開いた。
「して、貴殿らの密命とやらはどのようなものか」
ひと呼吸置き、代表――今までの流れではそうなっている――のクオウが返答する。
「ニユ地区の東端の町に、憲兵を常駐させてください」
ぴくり、とジュンルの眉が動いた。
「……ウメイの町か?」
「そう!」
冷静な答えが返って来た、つまり話が通じる! とクオウは顔を輝かせながら頷く。
だが彼女の期待とは裏腹に、ジュンルは思い切り眉間に皺を寄せた。
「なるほど、そういうことか……低俗な嘘で手下を潜り込ませるとは、あの薄汚い傭兵らしい手口だ」
吐き捨てるようなその言葉に、にわかに場の空気が緊張する。
残念ながら、彼のスアンニーに対する感情は良くないもののままであるようだった。
「その低俗な嘘にまんまと引っ掛かったマヌケに言われたかねえな」
「待てフゲン」
売られた喧嘩を即座に買おうとするフゲンを制止し、ライルは真っ直ぐな視線をジュンルに向ける。
「ジュンル、俺たちはスアンニーの手下じゃないし、お前と争いに来たわけでもない。話をしに来たんだ」
「嘘を言ったのはごめんなさい。後でちゃんと罰を受けるわ。だから今は、お願い」
続いてクオウも懇願するが、返って来たのは嘲笑だった。
ジュンルは彼らを小馬鹿にするような笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「何を話すことがある? 事情は既に聞いているだろう。ウメイの町にはあの傭兵、スアンニーが居る。町を守る戦力としては十分だ」
「だから憲兵を送る必要は無いって言いたいの?」
すかさずカシャが反論するも、彼は平然とした態度で「そうとも」と返した。
「筋が通らないわ。町に誰が居ようと、憲兵は配属されるべきよ。あなたの理屈じゃ、軍人が住んでる町には憲兵が要らないってことになるわ。そんなのおかしいでしょう?」
「そ、そうです!」
懸命に訴えるカシャに、今度はモンシュが次いで声を上げる。
「かつて敵対していた人だから、その人がいる町だから、関わりたくないという気持ちは理解できます。でもスアンニーさんは――」
が、その言葉はバン! という大きな音で以て遮れらた。
ジュンルが机を叩いた音だった。
「理解できる? 子どもが知ったような口を利くな」
彼はわなわなと肩を震わせ、モンシュを睨みつける。
先ほどまでの嫌味な態度はどこへやら、いつの間にか余裕なく怒りをあらわにしていた。
「お前は敵対するということの意味がわかっているのか? 私たちと奴は殺し合いをしたんだぞ!」
皺の刻まれた顔が見る見るうちに紅潮していく。
怒声が空気を、部屋全体をびりびりと揺らした。
「あの時、私たちは国を守るために戦った。反乱を治めるために戦った! だが奴はどうだ、金のためだ! 大義も意志も無い、金が欲しいがために人を殺していた!」
ジュンルの脳裏に当時の光景が蘇る。
共に前線に立つ仲間たち、突撃して来る反乱軍、そしてその後ろから現れた、1人の傭兵。
「国に立てつく反乱軍は許せない。しかし奴はもっと許せない! たかが金のためだけに、人を、私の仲間を何人も殺したんだぞ!」
繰り返し繰り返し、彼は怒る。
もはや彼の目にライルたちは映っていない。
赤々と燃える剣を振るう傭兵、勇ましく立ち向かうも返り討ちにされた仲間の悲鳴、傭兵の無感情な瞳。
命からがら撤退し、悔しさに泣きながら仲間の「残骸」を胸に抱いた。
今度こそはと誓った矢先、諜報部員が持って来た知らせ――「灰獅子は『期限切れ』で戦地を去ったそうだ」。
「金が欲しいなら働けば良いだろう! 真っ当な職に就けば良い! なぜ奴はそうしなかった?!」
あの時の絶望と無力感を、今でもジュンルは鮮明に覚えている。
スアンニーにとっては自分たちも、反乱軍も、単なる金稼ぎの道具でしかない。
そう思い知った瞬間、目の前が真っ暗になるようだった。
自分たちの大義も、反乱軍の愚かだが確かな意志も、全て踏みにじられた心地がしたのだ。
「奴はクズだ。人間のゴミだ! 嫌がらせのように地底国に住み着いて、私たちを嘲笑っているのだ!」
故にジュンルは怒っていた。
スアンニーは彼にとって、人間の皮を被った怪物だ。
仲間を殺し、必死に戦う者を侮辱した怪物を、どうして庇護しなくてはならないのか。
職務と言えど、それは耐え難いことだったのである。
しかし。
「違う!」
彼の慟哭を、別の声が遮る。
叫んだのは、シュリだった。
今まで一度も聞いたことの無い、感情的で大きな声に、ライルたちは目を丸くする。
彼らしくない、と言えばそうだったが、一方で彼らしくもあるようにもライルたちは感じた。
シュリは息を整え、ゆっくりと話し始める。
「……自分は、昔のスアンニーのことをよく知らない。だからあなたの言う、かつてのことに異論を唱えることはできない。けれど今は、今の彼は決して酷い人物ではない」
「…………」
ジュンルは口を閉ざしたまま、彼の言葉を聞く。
いまだ視線は鋭く、顔には怒りと憎しみが染み付いていたが、静かに語りかける彼にペースを奪われているようだった。
「スアンニーはもう傭兵をやめた。今は町医者をやりながら、孤児院で3人の子どもを育てている。皆に好かれる良き住民だ」
彼の過去に関して、シュリは完全な部外者だ。
であればこそ、よく知る現在のことを、ジュンルは知らないスアンニーの現在を、伝えなければならない。
シュリはそんな思いを抱えて切々と話し続ける。
「傭兵を辞めて以来、彼は剣を持つことができない。詳しくは知らないが、様子を見る限り心の傷が原因だと思う。それでも彼は盗賊の襲撃に立ち向かった。金のためじゃない、他人のために戦ったんだ」
フアクはスアンニーに、彼が振るって来た剣は決して人を害するだけではなかったと教えた。
スアンニー本人の認識を変えたのだ。
ならば自分は、他者に対して証明してみせる。
彼は冷酷な殺戮者ではない、優しい人間なのだと。
それがシュリの決意だった。
「だったら尚更……」
「それでも憲兵は必要だ。今回襲って来た盗賊は凶獣を従えていた。もしまた同じようなことがあれば、いや、そうでなくとも、大規模な緊急事態には組織的な対応が要るだろう」
反論に先回りをしてシュリは語る。
感情面でも、論理面でも、ジュンルを説得しなくてはならない。
会話は苦手だが、言葉を尽くして、努めて真摯に。
シュリは力強く話す。
「ジュンル殿。きっと、彼はもうあなたの知るスアンニーではない。そのことを、どうか認めて……怒りを収めてはくれないだろうか」