101話 灰燼
「俺、物心ついた時には、もう親父に連れられて、盗賊やってたんです」
フアクは話す。
言葉を途切れ途切れに、それでも丁寧に語りかけた。
「なんか、親父は天上国には帰れないってことで、地上国と地底国を、行き来してました。それで……7年前、地上国で、内乱があった、でしょう」
凶獣が体当たりをしているのだろう、ズン、ズズン、と鈍い音が響いている。
「あの時、市街地で戦闘に巻き込まれた俺は、親父たちとはぐれたんです。武装してるもんだから、反乱軍に敵と間違われて」
彼の声は苦しそうでありながら、穏やかな幸福を含んでもいた。
「敵意まみれの連中に、追いかけられて、もう死ぬかと思った。でもその時、1人の剣士が助けてくれた。――スアンニーさん、あなたです」
その時の光景をフアクはよく覚えている。
上空から颯爽と降り立った、擦り切れた薄いマントの傭兵。
彼は燃える剣を振るい、たちまち周囲の反乱軍を切り伏せていった。
赤色と灰色が彩る鮮烈な記憶だ。
「あなたが戦ってくれたから、俺は、死なずに済んだんですよ」
スアンニーは息を呑む。
彼を救った記憶など少しも覚えていない。
なぜならばきっとそれは、スアンニーにとってはうんざりするほど積み重なった数多の戦いの中のひとつの、ほんの一瞬の出来事にすぎないから。
フアクもそれはわかっているのだろう。
わかっていながら、彼は話している。
「ずっと、お礼を言いたかった。俺を救ってくれて、ありがとう。……っだから、今度は俺の番、です!」
あまりにも真っ直ぐで眩しい感情の発露に、スアンニーはたじろいだ。
――君だって人の命を救ってるじゃない。
不意によみがえったのは、たったひとりの親友の言葉。
名実ともに自分が殺した彼の言葉。
当時のスアンニーは「人を殺して楽にすること」が自分にできる「救い」の唯一の形だと解釈した。
しかし今、フアクの語った感謝によって、それは覆されそうになっていた。
「俺は……俺の剣は」
スアンニーは恐る恐る、実感する。
片面だけだと思っていた事実の裏側を、ゆっくりと見つめた。
「ぐ、う……」
つい呻き声が漏れてしまい、フアクはぐっと口を閉ざす。
いよいよ体力の限界が近付いていた。
もうどれだけ血を流したかわからないし、痛みもあまり感じなくなってきている。
このまま脱力すれば、竜の巨体でスアンニーたちが潰されてしまうだろう。
そう考えたフアクは最後の力を振り絞って、人間態に変じる。
「はあ、やーっとですかあ。手間がかかりました」
視界からようやく目障りな竜が消え、キャットは深く溜め息を吐いた。
本当に、よくやるものだ。
想定以上に時間がかかったことに辟易しつつ、一方で内心フアクを少しだけ称賛した。
「さ、一緒に来てもらいますよお」
1歩1歩、凶獣たちと共にキャットはスアンニーたちに向かって前進する。
身を強張らせるムーファたちとシュリだったが、反してスアンニーはゆらりと立ち上がった。
かと思えば、フアクの使っていた剣を拾い上げる。
「スアンニー!?」
シュリは目を丸くした。
戦えない彼が一体何をする気なのだと、不安が駆け巡る。
「……? まだ悪あがきですかー?」
キャットは訝しげな顔で首を傾げ、倒れ伏すフアクも朦朧とする意識の中で疑問が浮かび上がった。
「シュリ、チビたち、フアク」
だがそんな彼らの反応に対して、スアンニーは迷い無く足を踏み出す。
剣を持つ手は、少しも震えていなかった。
「下がっていろ。すぐに終わらせる」
ちり、と火花が散る。
次の瞬間、彼の手元から一気に炎が燃え上がり、剣の刃を包み込んだ。
スアンニーは腰を落とし、剣を構える。
足に力を込め、地面を蹴った。
まばたきひとつ。
凶獣のうちの1体の頭部が、ごろんと地面に転がった。
「え、えっ!?」
何が起きたか理解できず、キャットは眼下を見回す。
やや離れた場所にいたはずのスアンニーはすぐ近くに立っており、首を失くした凶獣のその切り口からは煙が立ち昇っていた。
それを見てやっと、彼が凶獣の首を刈ったのだと気付く。
が、それ故にキャットの混乱は加速した。
「ちょ、ちょっと! どーいうことです!? 貴様は魔人族じゃ……!」
理論上、魔法で強化すれば魔人族でも素早い動きをすることはできる。
しかしその場合、動きは単純化し精密さを欠くこととなるのが常だ。
重い物体を坂道に転げ落とすようなもの、と世間ではよく例えられる。
反して先のスアンニーの動作は、どう見ても強化魔法に依るものではない。
明らかに自然で、滑らかで、手慣れていた。
「突撃! 突撃! 物量で潰しちゃってください!」
嫌な予感に毛を逆立たせ、キャットは叫ぶ。
呼応した凶獣たちはあらん限りの敵意を振り撒きながらスアンニーへと一斉に襲い掛かった。
並び立つ凶獣の恐ろしい巨体がスアンニーの視界を埋める。
だが彼の瞳は、至って冷静にそれらを捉えていた。
「灰燼剣術――《撃滅》」
呟く声。
シュリの、ムーファたちの、フアクの、キャットの目の前で、閃光が走る。
彼らは残像の残る目で、凶獣だったものたちが燃える細かな肉塊群と化し、地面に降り注ぐのを見た。
足場を失ったキャットもまた、遅れて落下する。
「灰燼……魔人族の剣士……!」
彼は反射で何とか着地に成功したが、眼前の光景とようやく気付いた事実に愕然とした。
計画を根本から間違えていたことを激しく悔いるも、全て後の祭りである。
「最ッッ悪です!! 灰獅子がいるなんて想定外! ネコは死にたくないので退勤しまーす!!」
捨て台詞を残し、目にもとまらぬ速さでキャットは場を逃亡した。
「逃げ足の速い奴だ……」
呆れたような感心したような声でスアンニーは言う。
やろうと思えば追えぬことはない。
けれども今、優先すべきことでもない。
そうして踵を返した彼の手から、剣が滑り落ちる。
意図しない動作にスアンニーがふと自分の手を見ると、小刻みに震えていた。
どうやら完全に克服できたわけではなかったようだった。
それでも、戦う前までの心持ちとは確実に違う。
彼は大きな1歩をしかと踏み出したのだ。
「せんせー!」
ムーファたちが駆け寄り、スアンニーに抱き着く。
シュリと彼に助け起こされたフアクは、泣きそうな表情を彼に向けていた。
「心配をかけたな」
スアンニーは不器用に笑う。
子どもたちと共に見守っていたシンハが、そっと彼の頭にとまった。
* * *
「すみませんでしたァ!!!」
雷霆冒険団一同は揃ってきれいに頭を下げる。
何のことは無い、自分たちが不在の間に起こったことを知らされたがためだ。
「別に謝ることじゃないだろう。お前たちには十分助けてもらっている」
「でも、俺たちが突っ走ってなきゃ、フアクが怪我することも孤児院が壊れることも……」
面倒そうに謝罪を拒否するスアンニーに、ライルは心の底から申し訳なさそうに言う。
他4人も皆一様に意気消沈といった風でしおれていた。
「謝罪は要らんと言っている」
「俺様もこれしきのこと、気にしてないぜ?」
包帯まみれのフアクが朗らかに笑うが、なおもライルは「でも……何かお詫びを……」と食い下がる。
防げた事態であっただけに、相当、自分の行いを後悔しているのだろう。
スアンニーは溜め息まじりに視線を横にやる。
「おいシュリ、どうにかしろ。……シュリ?」
「っあ、ああ。いや、自分にはどうにも……」
シュリは何やら上の空であったらしい。
鈍い反応を返し、それから俯いてまた考え込んだ。
一体どうしたのかと他の面々が様子を窺う中、ややあって彼は口を開く。
「……じゃあ、こうしよう。詫びとして、今から自分と共にニユの町に行ってほしい」