100話 告白
「ここは自分が……!」
シュリはスアンニーたちを庇うように前に出る。
数体の凶獣に少しも怯まず、余裕綽々で自分たちを見下ろすキャットと見据えた。
しかし彼は先日の怪我が完治していないどころか、武器である盾も持って来ていない。
現実的な話、無謀も良いところだ。
「シュリ! お前まだ傷が治ってないだろう! それに丸腰でどうやって戦うつもりだ!」
当然、スアンニーが彼を制止する。
ムーファたちも、不安げな表情で彼の服の裾を掴んでいた。
「だが……!」
彼自身、己の状態がわからないほど愚かでもなかった。
それでも今ここで戦えるのは自分しかいないのだからと、引き下がろうとしない。
彼らの問答を横目に、キャットは片手を上げて凶獣たちに指示を出さんとする。
シュリたちの行動を待つ義理など彼にはありはしない。
凶獣たちが飛び掛かる構えをとり、何のためらいも無くキャットから合図が出されそうになった、その時。
「じゃあ俺様に任せてもらおうか」
凶獣の1体が、上方から襲来した何者かによって地面に叩きつけられた。
土煙が巻き上がる中、「何者か」はひらりと身を翻して凶獣とキャットから距離を取る。
そのままシュリたちの前で立ち止まった彼は、土煙を手で払い除けて振り返った。
「フアク……!?」
思わずスアンニーが彼の名を呼ぶ。
この窮地に乱入して来たのは、盗賊団の頭領の息子にして、当の盗賊団から離反した青年、フアクであった。
彼は剣を軽く振り、刃に着いた凶獣の血を払い落とす。
屈託のない笑顔だった。
「フン、来ると思いましたよ裏切者」
嘲笑混じりにキャットが言う。
フアクは笑みを引っ込め、彼の方を向いた。
「裏切者はお互い様だろ猫野郎。それより問題はこの状況だ」
彼はシュリたちを取り囲む凶獣を剣で指し示す。
眉間には皺が寄り、明確な敵意と怒りを見せつけていた。
「約束が違う」
2人の間に何があったか、シュリもスアンニーも想像することしかできないが、恐らく先日の騒動で何かしらの取引か約束をしたのだろうと見当を付ける。
いずれにせよ、彼らが今それに反して対立しているのは確実だ。
「協定期間は終わったでしょう?」
「やはり所詮は三流悪人か」
全く悪びれる様子の無いキャットに、フアクは吐き捨てる。
それからまたシュリたちの方を振り返って言った。
「どうした、早く逃げろ。この獲物はもう俺様のものだぞ」
やはり彼は味方であってくれるらしい。
スアンニーは未だに信じ難くもその事実を呑み込み、踵を返す。
「っ恩に着る!」
言い残すと、有無を言わさずシュリと子どもたちを連れ、彼は孤児院へと駆けて行った。
彼らの背中が小さくなっていくのを見届け、フアクは敵へと向き直る。
その表情は、敵前に似つかわしくなく緩んでいた。
「うわあ。ニヤケ顔、気持ち悪いですよお」
「うるさいな」
フアクは剣を構え、キャットは今度こそ凶獣に合図を下す。
傷が癒えたばかりの町で、また新たな戦いの火種が弾けた。
* * *
無事孤児院まで辿り着いたスアンニーは、怯えるムーファたちを宥めつつ思考を回した。
今回の襲撃、キャットの発言から、標的となっているのは雷霆冒険団と自分たちだと考えられる。
他の住民には積極的には危害が加えられないはずだ。
となれば、次にすべき行動は。
「シュリ、ライルたちはどこに居る?」
「先ほどニユの町に向かって……憲兵の件をどうにかする、と」
「わかった」
返答を聞くや、スアンニーは速足で部屋を出た。
「スアンニー? 何を……」
「あいつらを呼び戻しがてら、憲兵と話を付けて来る。俺が町から出ると言えば、応援を寄越してくれるはずだ」
彼は振り返りもせず、早口気味に答える。
またそんなことを、とシュリは引き留めようとしたが、それよりも先にムーファが口を開いた。
「せんせー、出てくの……?」
大きな瞳に涙の膜が張る。
詳しい事情はわからないまでも、スアンニーが町を去るという、その部分だけは理解したようだった。
「やだよせんせー! 居なくなんないでよ!」
「せんせーがどっか行くなら俺も行く……!」
共鳴するようにララクとトウィーシャも声を上げ、3人してスアンニーにしがみつく。
「…………」
彼は一瞬、迷う素振りを見せたが、それでも感情を押し込み風魔法で子どもたちを引き離した。
「シュリ、チビたちを頼んだ」
「せんせー!」
「スアンニー!」
すがる声を無視して、スアンニーは玄関から外へと出る。
しかし追い付かれないうちにと強化魔法を使おうとしたところで、何かがかなりの勢いで飛来し、孤児院の外壁にぶつかった。
「っ!?」
見ると、それは離れた場所で戦っているはずのフアクだった。
嫌な予感を覚えると同時に、凶獣を連れたキャットが悠々とやって来る。
「おや、出て来ましたか。丁度良いです、もう戦うだけ無駄ですし、貴様たちの誰か1人、ネコに捕縛されてくれません?」
フアクも戦闘経験があるとは言え、流石に複数体の凶獣を相手取るのは厳しかったらしい。
最初の奇襲で仕留められた1体を除いて、凶獣の数は減っていなかった。
「2人でも3人でも良いですよ。要するに、あの坊やたちをとっちめるために活用したいので」
「んなこと、させるか!」
膝を付いていたフアクが、刃こぼれのできてしまった剣をついて起き上がる。
「もー、降参した方が良いですってえ」
キャットは大袈裟に溜め息を吐いた。
往生際の悪い敵に、心底うんざりしているようだった。
「知ってますう? 普通、凶獣って有角族3人がかりとかで駆除するものなんですよ。戦闘経験あるひとなら、場合によっちゃ1人でもできますけど」
凶獣の上でごろりと寝転がり、彼は続ける。
「でもそれは、凶獣が群れないからできる芸当です。こーんなに強い生き物が何体も集まって、統率のとれた動きしたら並みの人間にはまずもって対処不可能! でもって貴様は並みの人間です。ささ、早く諦めてくださーい」
「誰が諦めるかよ!」
言い終えるが早いか、フアクは眩い光を放ち、深緑の鱗を持った竜に変身した。
「ふうん、天竜族でしたか。でも馬鹿ですねえ。こんな狭いとこじゃ、身動きとれなくなるだけですよお」
「いいや、これで良い」
彼は下方を見る。
丁度自分の近くに、スアンニーと、彼を追って出て来たシュリや子どもたちがいた。
それを確認すると、フアクは大きな体と翼、尻尾まで使って、彼らの上に覆いかぶさる。
丁度ドーム状の盾になるように。
「はあ、馬鹿の考えそうなことです。そういうのは海竜族の十八番でしょうに」
キャットはまた溜め息を吐き、凶獣に「攻撃」の指示を出す。
途端に数体の凶獣が一斉に襲い掛かり、鋭い爪や牙でフアクの体を痛めつけ始めた。
「ほらどいてくださーい。死にますよお、ネコは貴様くらいフツーに殺しますよお」
「やれるもんならやってみな!」
既に鱗を貫かれ、肉を裂かれながらもフアクは啖呵を切る。
ただひとつ、流れる血が「内側」に流れて行かないよう、ある種の見栄を張って。
「フアク……お前、どうしてそこまで……」
半ば呆然としてスアンニーは尋ねる。
先日のことは、父親あるいは団そのものに対する反駁と考えれば納得ができた。
だからスアンニーは自分の中でそう結論付けていた。
けれども今は状況が異なる。
盗賊団は既に崩壊し、頭領は逃げ、襲撃して来たキャットは恐らく独自の目的を持っている。
彼と戦うことで、ましてこんなに傷付いてまで応戦することで、フアクに利益があるとは考えられなかった。
困惑するスアンニーに、フアクは静かに応えた。
「……あなたを守りたいから、ですかね」
少し、照れくさそうな声色だった。
次いで彼は、こうも言った。
「スアンニーさん。……俺はね。あなたに命を救われたんです」