98話 掛け違えた釦
「スアンニーとは今日でお別れか……」
いつものように食事を共にしながら、■■■が溜め息を吐いた。
スアンニーが部隊にやって来てから今日で3か月。
そう、契約期間の終わりがやって来たのだ。
「あーあ、やだなあ。戦いも終わってくれればいいのに」
変わり映えのしない味のパンをもそもそと咀嚼し、彼は項垂れる。
人を殺させるために人を助けるという仕事は、とても気の進むものではない。
救えない者もいるし、体は治せても心を壊してしまう者もいる。
そんな生活の中で、スアンニーとの時間は■■■にとって癒しそのものだった。
が、それももう終いということで彼はいたく落ち込んでいるのだ。
「そのことだが」
しばらく彼の様子を黙って見ていたスアンニーが、おもむろに切り出す。
■■■が顔を上げると、彼は軽く咳払いをして言った。
「軍と契約を更新した。期限を定めず、俺は内乱が終息するまでこの部隊に協力する」
「本当!?」
言い終えるが早いか、■■■が聞き返す。
「嘘は苦手だ」
スアンニーは少し照れくさそうに視線を逸らした。
契約更新の理由は笑ってしまうほど単純なもので、■■■も察しているとわかっていたが、どうにも隠したいという気持ちがむずむずしていた。
「やったあ! これからも一緒に頑張ろうね!」
彼の内心とは裏腹に、■■■は無邪気に飛び跳ねて喜ぶ。
こんなに嬉しがっているのを見るのは初めてだな、とスアンニーはつられて頬を緩ませた。
「物好きめ。俺が近くに居て喜ぶのなんてお前くらいだ」
「なんでさ」
「みんな俺の機嫌を損ねるのが怖くて近寄って来ない。俺がその気になれば、この剣でお前の心臓を一突きにして、死体を炎で焼いてしまえる……誰にも知られずお前を殺せるんだからな」
「またまたあ。君、『その気』になんてならないでしょ?」
「まあな」
「ああ、ほんと、戦いなんて早く終わってくれればなあ。そしたら僕……」
興奮冷めやらぬまま言葉を続ける■■■だったが、そこではた、と口を閉じた。
どうやら言うつもりでなかったことを口走るところだったらしい。
「僕?」
「……へへ、秘密!」
スアンニーが続きを促すも、彼はへらりと笑うだけ。
その後、■■■は急いで残りの食事を腹に収め、そそくさと仕事場に戻って行った。
それからまた時が経ち数ヵ月後。
■■■は珍しく浮かない顔でスアンニーの元へとやって来た。
「うーん……」
「難しい顔をしてどうした」
スアンニーがそう尋ねると、彼は迷い迷い口を開く。
「今日さ、隊員が1人発熱を訴えて来たんだ。で、色々診てみたんだけど……どうもその症状が怪しくて。や、まだ確定ってほどじゃないんだけどね……」
続けて■■■はとある病気の名前を口にした。
それは感染力が高く、適切な治療をしないと地獄のような苦しみを味わいながら死に至るということで名高い病だった。
「それは厄介だな」
「まあ薬があればだいたい治る病気だけど、その薬が高いし量産体制が整ってないんだよねえ」
特効薬の登場はスアンニーの記憶にも新しい。
地上国のとある優秀な学者が完成させたのだが、材料の入手も製造の工程もまだ難しく、数を揃えるには時間を要するのだとか。
「戦場ではどうしても栄養不足や不衛生になりがちだ。感染速度はかなりのものになる。早めに手配頼んどくよ」
スアンニーはその後、どんなやり取りをしたかあまり覚えていない。
確かなのは以降ほどなくして■■■の言っていた病が流行り始め、彼もまたそれに罹ったことである。
「本当に、お前の言った通りになったな」
やや弱々しい声色で言うスアンニーに、■■■は何とも言えない曖昧な笑顔で返した。
彼の推測した通り病は流行ったが、薬の手配が間に合ったため、軍内の被害はさほど甚大ではない。
スアンニー含め罹患した者は皆、特効薬により快方に向かって行った。
「これ、あっちにも流行ってるみたいだし、当分戦線は膠着するだろうって上官言ってたよ」
「……お前は凄いな」
誇る気分にはなれない■■■は複雑な気持ちを誤魔化すように話題を変えるが、スアンニーはお構いなしに言葉を続ける。
「お前はこんなにも沢山の人間を救える。命を守ることができる。……俺とは正反対だ」
ふ、と彼は自嘲気味に息を吐いた。
病に伏せっている間役目を果たせなかった不甲斐なさからか、もしくは体の調子が戻っていないからか、どうも弱気になっているようだった。
■■■はそんな彼の肩に手を置き、真剣な表情で真っ直ぐな視線を向ける。
「何言ってるの、スアンニー。君だって人の命を救ってるじゃない。それに! 凄いのは僕じゃなくて医学だよ。スアンニーだって勉強したら、できるようになるよ」
ね、と言って笑う■■■。
彼が件の病に倒れたのは、それからしばらくしてのことだった。
「■■■!」
知らせを聞き付け、スアンニーは救護室に飛び込んだ。
「スアン、ニー」
数秒間を置き、か細い声で己を呼んだ友人に彼は目を見開く。
独り寝台に横たわる■■■は見るからにやつれ、弱りきっていた。
「どういうことだ、なんでお前が」
この十数日、スアンニーは■■■を見なかった。
相手方に思わぬ援軍が現れたことで戦いが激化していたこともあり、彼はてっきり仕事が忙しいのかと思っていた。
しかし流石に痺れを切らして指揮官に詰め寄った、もとい尋ねたところ……というわけである。
スアンニーは言葉を失い、■■■におぼつかない足取りで歩み寄った。
「どうして……お前は医者だろう? 薬だって手配して……」
「あはは……まあ、なんか、ね」
逃げるように、掠れた声で■■■は笑う。
瞬間、その意図を、彼が何を言わなかったのかを、スアンニーは理解した。
薬が、足りなかったのだ。
彼が口ごもる理由などそれしか考えられなかった。
スアンニーの全身からサッと血の気が引く。
――自分のせいだ。
本来ならば自分は3ヵ月の契約で、今頃もうここにはいないはずだった。
自分がいなければ、■■■の分も薬があった。
なのに個人的な感情で居座って、あまつさえ病にかかって薬を消費させた。
今■■■が苦しんでいるのは、紛れもなく自分のせいだ。
「っ待ってろ、すぐに薬を用意させる」
「もう助からないよ」
凪いだ声だった。
■■■はただ静かな微笑みを、スアンニーに向けていた。
助からない。
医者である■■■がそう判断するのなら……否、素人目にも彼の病状が末期であることは明らかだった。
■■■の病気はもう治らない。
快復の余地は微塵も無い。
彼は長くて残り数日の人生を、徐々に増して行く苦痛と共に過ごすのだ。
スアンニーは自分が伏せっていた時のことを思い出す。
症状は初期段階だったが、今まで受けた痛みや苦しみに劣らないほど応えた。
また、以前居た場所で伝え聞いた、患者の最期の様子を思い出す。
歴戦の兵士でさえ身震いするような、想像を絶する有様だったという。
■■■は、今からそんな目に遭うのだ。
気が付けばスアンニーは■■■に剣を向けていた。
逆手に取って垂直に握り、切っ先を彼の胸に突き付ける。
スアンニーの手から魔力が流れ込み、剣が赤い炎を纏っていく。
熱された鉄が煌々と光って周囲を照らした。
この刃で以て■■■の胸を貫けば、彼はすぐさま絶命する。
わかりきった事実がスアンニーの脳内で反響し、ぐわんぐわんと思考を揺らした。
――君だって人の命を救ってるじゃない。
以前■■■に言われたことが思い出される。
あの時は意味がわからなかったが、なるほどつまりこういうことかとスアンニーは納得した。
人を殺して生きてきた自分は、こうして誰かを楽にしてやれるのだと。
「やっぱり」
■■■が微笑む。
「君は、優しいひとだ」
既にスアンニーは岐路を通り過ぎていた。
剣を持つ手に一層、力が籠る。
「ありがとう。僕の親友」
■■■の最期の言葉はそれだった。
スアンニーは彼の遺体を燃やし、その足で指揮官の元へ行って契約の打ち切りを告げた。
虚ろな瞳でたったひと言、「俺はもう剣を振るえない」と。
陣地から離れる際、■■■の同僚の軍医がスアンニーに金の入った袋を手渡した。
■■■は、戦いが終わったら軍医をやめて戦災孤児を引き取り、地底国で孤児院を開こうとしていたそうだった。