97話 傭兵と軍医
「じゃあ、あいつ……フアクが盗賊団を裏切って、お前たちに味方してくれたってわけだ」
「ああ。そうなる」
「今はどこにいるんだ?」
「わからない。ひと通り町の中を探したが見当たらなかった」
照らし草の明かりが落ち切った後、盗賊団を退けたライルたちは孤児院に集まっていた。
町の奥へと避難していた住民たちも各々自宅に戻り、まだ緊張感は残るものの町には平穏が取り戻されつつある。
建物は少々壊されたところがあったが、人的被害はほぼ無し。
「ほぼ」というのも、大きな怪我をしたのがシュリだけだったがためだ。
「謝礼を求めるわけでもないなら、本当になんで助けてくれたのかしらね」
「スアンニーさんたちに味方したというより、盗賊の人たちの敵に回った……みたいなことでしょうか」
「心を入れ替えたのかもしれないわ。正義に目覚めたのよ」
「さすがにそれは無……くはないか、まあ。フゲン、お前の勘は?」
「『知らね』って言ってる」
やいのやいのとライルたちが推測を交わす中、スアンニーはそっと目を閉じた。
少し頭痛がしていた。
シュリは手当てを受けて奥の部屋で眠っており、子どもたちもベッドに入っている。
スアンニーは考えた。
もし自分が戦えていたら、シュリがこんなに傷付くことは無かった。
子どもたちを心配させ、泣かせることも無かった。
頭痛が彼の胸をも締め付ける。
「……すまない」
呟いて、彼は部屋の外に繋がる扉に手をかけた。
会話の流れに即さない彼の言葉に、ライルは首を傾げる。
「? 何が」
「……煙草を吸ってくる」
スアンニーは孤児院を出た。
使い魔のシンハが頭にとまり、翅を静かに上下させる。
ほんのささやかな風が、スアンニーの髪を少しだけ揺らした。
* * *
スアンニーは自分の親の顔を知らない。
気付いた時には既に独りで刃物を持ち、盗みをはたらいて生きていた。
彼は魔人族にしては身体能力が高く、魔法を補助的に使えば追っ手から容易に逃れることができた。
故に群れる必要も、保護者を求める必要もなく、ただただ独りで生き延び続けていた。
ある時、争いがあった。
地上国のとある地域にある、闇組織同士の抗争だ。
一方の組織は、相手より少しでも優位に立ちたいがため、金で戦力を集めようとした。
「何某という組織に味方して戦えば金が貰える」という話はスアンニーの元にも届いた。
しばらく考えた後、彼はその何某という組織に向かうことにした。
別に盗みだけで十分生きていられていたから、ほんの気まぐれである。
さて追加の戦力を仕入れた組織は集めた人々をいわゆる鉄砲玉のように使った。
どこの誰とも知れない者たちに重要な役目を任せないのは当然といえば当然であるし、更に根本的なことを言うなら、彼らは雑に消費できる数が欲しかったのである。
無茶な装備に無茶な作戦、多くの雇われの者は約束された金を手に入れる前に倒れて行った。
が、スアンニーは違った。
送り込まれた死地で、支給された粗末な短剣1本だけを使って、何人もの敵を殺しに殺し生き残ったのだ。
抗争が終結し、組織から金を受け取った時、スアンニーは理解した。
自分は人殺しに向いている。
自分が生きていくためには、剣を振るえば良いのだ、と。
そうして彼は、金と引き換えに戦う雇われ兵士――傭兵としての生活を始めた。
闇組織の抗争で活躍した少年の噂は方々に広まっており、スアンニーは戦いが起こるたびにその身を求められた。
例えそれがどこであっても、相手が何であっても、彼は必ず輝かしい戦果と勝利を得た。
やがて月日は経ち、7年前。
地上国で起こった大規模な内乱に、彼は地上国軍側として参加した。
対する相手は某公国の軍隊を中心とする集団であり、戦闘は長期化が予想されていた。
とは言え、スアンニーのすることは変わらない。
戦って、敵を殺して、金を受け取る。
今回の契約期間は3ヵ月だから、それが済んだらさっさと身を引く。
ただそれだけ……のはずだったのだが。
「業務」の初日、戦闘がひと段落して陣地に戻って来たスアンニーは、1人で配給された食事を摂っていた最中のことである。
にわかに右の方から人の気配を感じ、彼は目だけでそちらを見た。
そこに居たのは白衣を着た1人の青年。
彼はニコニコと笑顔を浮かべ、自然な足取りで歩いて来た。
「横、いいかい」
スアンニーが投げかける訝しげな視線をものともせず、青年は返答を待たずして彼の隣に座った。
懐からハンカチを出して地面に広げ、手に持っていたパンと干し肉をその上に置くと、青年はすっと右手を差し出した。
「初めまして、僕は■■■。軍医だよ」
「知っているし見ればわかる」
スアンニーは温度の無い声でぴしゃりと返す。
お前と会話をする気は無い、と言外に突きつけているようだった。
しかし■■■は全く意に介さず、応じてもらえなかった右手もあっさりと引っ込める。
「そっか! 僕も君のことは知ってるよ、灰獅子のスアンニー!」
「その呼び方はやめろ。不愉快だ」
「あ、ごめん。じゃあやめるね」
■■■はいったん黙り、パンをちぎって口に運んだ。
スアンニーは「早くどこかへ行け」という念を込めて突然できた隣人を睨むが、その希望に反して■■■はまた口を開く。
「君はいつも1人でご飯食べてるよね。寂しくないの?」
「食事に感情が必要か」
「少なくとも僕は欲しいかな。何でもそうだけど、楽しい方がいいじゃない?」
「言葉と行動が矛盾しているな」
「してる?」
「俺と居て楽しさを得られるわけがないだろう」
会話が止まり、■■■はじっとスアンニーを見つめた。
にわかに静寂が訪れる。
「……君は自分が嫌い?」
「何とも思っていない」
そこでまた会話が途切れ、スアンニーも■■■もそれきり言葉を仕舞い込んで食事に専念した。
馬鹿なやつだ、これでもう関わって来ないだろうとスアンニーは密かに息を吐く。
だが■■■はパンの最後のひとかけらを呑み込むと、立ち上がって彼に笑顔を向けた。
「また明日も一緒に食べようね!」
軽い足取りで去って行く■■■の後ろ姿を見送りながら、スアンニーはかぶりを振る。
――どうせ3ヵ月の仲だ。
呑気な■■■に呆れるように、また自分に言い聞かせるように。
けれども■■■はそんな彼の諦念にも似たものを引っぺがすように、毎日食事を一緒にと訪れて来た。
「スアンニー! ご飯食べよう!」
こんな言葉と共に顔を出す■■■に、スアンニーは早々に抵抗することをやめた。
というか積極的に拒絶することが面倒だったのだ。
対する■■■は、彼の無抵抗をいいことにそれはもうグイグイ来た。
まるで昔からの知人と話すように気楽に、それでいて彼のことを沢山知ろうと何でも尋ねた。
「君の戦い方、カッコいいよね。剣と炎でぐわーってやるやつ。あんまり近くで見たことは無いんだけど、あれどうやってるの?」
「……炎魔法を剣に纏わせている。剣を熱しているから、鉄でも岩でも焼き斬れる」
「剣は大丈夫なの?」
「戦闘中は魔法で補強している。終われば捨てて新しいものに替える」
「へーっ! じゃあ愛剣とかは無いんだ?」
「必要あるか?」
「うーん、そう言われると……無いかも」
血生臭い毎日の片隅で、スアンニーと■■■との交流はささやかに続いた。
彼との関係が一般に「友人」と呼ばれるそれに近付いていることにスアンニーが気付くのは、まだもう少し先のことである。