96話 裏切りの剣
満身創痍でありながら戦闘も辞さない気迫を見せるシュリに、男たちは息を呑む。
しかしシュリは1歩前に踏み出したかと思うと、ふらついてその場に膝から崩れ落ちてしまった。
数体の凶獣をたった1人で相手取っていたのだ、彼の疲労は既に限界のようだった。
「シュリ、もういい、もう戦うな。お前は生きるべき人間だ!」
スアンニーは声を震わせて訴えかける。
その内心は恐怖――盗賊へのではなく、シュリを死なせてしまうことへの――で満ち満ちていた。
自分がまだ死なないうちに大切な者が死ぬなど、想像するだけで彼は気が狂いそうだった。
なおも意識を保ったまま立ち上がろうとするシュリと、必死に制止するスアンニーを、男たちはまた嘲笑する。
先ほどシュリに抱いた恐れは、もうすっかり喉元を過ぎて忘れているようだった。
「泣けるねえ。じゃ、俺らに黙って略奪されるか……それとも、嫌ならお前が代わりに相手するか、選ばせてやろうな」
「……ッ」
スアンニーはシュリを庇うように立って、男たちを睨み付ける。
と、男の1人が自分の下げていた剣を鞘ごと外し、スアンニーの方へと投げて寄越した。
「丸腰じゃ戦えねえだろ? 使えよ」
「ギャハハ、やっさしー!」
「ヒヒ、やめてやれよなあ! こんな有角族でもないひょろっちい奴が剣なんて持っても、なあ、ハハハ!」
下品な嘲笑がスアンニーに降り注ぐ。
彼が剣を振るえない、という男たちの推測は全く外れていたが、実質的には当たっていた。
傭兵を辞めて以来、スアンニーは一度も剣を手にできていない。
スアンニーは眼前の剣に目を落とす。
途端に眩暈が襲い掛かり、視界が歪むような心地がした。
が、彼は意を決して剣に手を伸ばす。
戦わなくては。
剣を使って、あの頃みたいに。
指先が柄に触れた。
冷たく硬い感触が伝わり、思わず身震いする。
勝てるはずだ。
手に力を込めて、柄を握りしめた。
ずしりとした重量感には、嫌と言うほど覚えがあった。
この鋭い刃で相手の心臓をひと突きすれば。
魔力を煮詰めて放つ炎で焼き払えば。
スアンニーは剣を構える。
心の内で何度も何度も自分に言い聞かせた。
大丈夫、問題ない、やれる、できる。
できる。
……あの、時、のように?
「――――」
途端に、スアンニーの脳裏に鮮明な映像が蘇った。
血で汚れた服のまま座り込んでいる青年。
彼は虫なら蝶が好きだと言って笑う。
血を流した姿のまま倒れている青年。
彼は安らかな顔で物言わず。
「ぁ……あ……」
無意識に喉が締まり、呼吸が浅くなる。
焦点が合わない。
動悸がうるさいのに指先が冷えて行く。
やがてスアンニーの手から滑り落ちた剣が、カシャン、と地面にぶつかった。
苦痛に満ちた記憶に頭の中を支配され、彼はもはや剣を取ることはおろか、足を動かすことすらできない。
ただここに無い何かに目を奪われ、呆然自失に立ち尽くしている。
――元傭兵のスアンニーは、剣を振るうことができない。
その理由が、正にこれであった。
早い話、彼は人に剣を向けることに関して、強烈なトラウマを抱えてしまっているのだ。
「へっ、つまんねえの」
もう飽きたとでも言わんばかりに、男の1人が剣を片手に歩み出る。
シュリは男の凶行を止めようとするも片膝を立てるのが関の山、スアンニー本人に至っては男を認識しているかすら怪しい。
手入れはされているらしい刃が、高く掲げられてギラリと光る。
男の剣がスアンニーめがけて振り下ろされようとした、その時。
どこからか飛んで来た小石が男の後頭部に直撃した。
「誰だ!」
咄嗟に手を止め、男は怒りの表情と共に振り返る。
と、1人の青年が小石を2つ3つ手元で軽く投げて弄びながら、悠々と歩み寄って来た。
一陣の風が青年の長髪を揺らして吹き抜けていく。
男たちも、シュリも、そして我に返ったスアンニーも、その姿に目を丸くした。
「知ってるはずだぜ。俺様の名はフアク」
青年、フアクは足を止めてニヤリと笑う。
そして自信に満ちた顔で、両手を広げて仰々しいポーズをとった。
「だが知らなかったろう。俺様の極悪さは、お前たちとは比べ物にならない」
場に数秒の沈黙が流れる。
それを破ったのは、男たちの乾いた笑い声だった。
「冗談キツイっすよフアクさん」
「サボってるとお頭に叱られますよ」
「これが冗談に見えるか?」
まさかそんな、と流そうとする男たちに、フアクは剣を抜いて応える。
「……裏切るんですかい? 今までずっと一緒にやってきた仲間を?」
「そうとも。俺様は裏切るんだ」
余裕ぶった様子で堂々と言い放つフアク。
盗賊たちの顔から笑みが消える。
「……残念だぜ、フアクさん。でも、ああくそ、お頭に何て言やあ……」
「悩む必要は無いぜ。お前ら全員、ここでぶっ倒されるんだからな」
言って、フアクはすっと片手を上げた。
すると周囲の建物の陰から1人、2人、3人と次々男が現れ、フアクらの元に集い始めた。
「これは……!」
男たちはまた仰天して言葉を失う。
出て来た者たちが皆、別行動中のはずの仲間だったからだ。
「みんな俺様の部下だ。いいか、俺様の、だ。親父のじゃない」
勝ち誇ったようにフアクが言う。
なるほど新たに現れた男たちは、彼に信頼の眼差しを送っていた。
「今の内にそいつを連れて逃げろ、スアンニー」
フアクは語りかけつつ、「敵」と対峙する。
その切っ先には微塵も迷いが無い。
「……なぜ俺たちを助ける。お前は俺を恨んでいるんじゃないのか」
スアンニーは彼の行動を信じ切れず、訝しげに問いかけるが、フアクはもう何も言わなかった。
どのみち、今は彼らを頼るしかないか。
逡巡の後そう結論付けたスアンニーは、シュリに肩を貸し、半ば引きずるような形で場を後にした。
彼がちゃんと逃げたのをちらと横目で確認し、フアクは口角を上げる。
それは微笑みとも言うべき表情だった。
「逆だよ、スアンニーさん」
零れた小さな声は誰に聞かれることもなく、ほどなくして男たちの雄たけびと激しい戦闘音に呑まれ消えて行った。
* * *
町の入り口での戦闘を終えたライルたちは、次なる目的、すなわち今だ奮闘している仲間たちの援護のために、町中を疾走していた。
ライルとフゲンはいつもの調子で走り、クオウは彼らと並走するため氷魔法で作った四足歩行の使い魔に乗っていた。
彼らは助けを求める人がいないか、盗賊や凶獣がいないかと辺りを見回しながら進んで行く。
と、いくらか進んだところで、遠くにカシャの姿が見えた。
「いた、あそこだ!」
いち早く気付いたライルが指をさす。
どうやら彼女の他にもう1人、小柄な人物――キャットがおり、2人は交戦中のようだった。
「カシャーーー!!」
ライルたちは速度を上げ、彼女の元へと駆け付ける。
大声で名前を呼びながら一直線に突撃してくる集団に気付かない人間がいるはずもなく、カシャとキャットはほぼ同時に振り向いた。
「よし、加勢するぞ!」
ライルは槍を構えながら走る速度を緩め、フゲンもまたいったん停止する体勢に入る。
が、そんな彼らの横を、クオウを乗せた使い魔は減速のげの字も無く走り抜けていった。
「クオウ!?」
「あっ、あれっ、どうしましょう止まらないわ!」
焦るクオウを余所に使い魔は疾走する。
あれよあれよという間にカシャの横を、キャットの横を通り過ぎ、気付けば岩壁が目の前まで迫っていた。
ぶつかる、とクオウは目を瞑るが衝撃の代わりにやって来たのは浮遊感とぬくもり。
目を開くと、彼女は自分を姫抱きするカシャと目が合った。
カシャが助けてくれたらしいと理解し、クオウは落ち着きを取り戻す。
そして哀れにも岩壁に激突してしまった使い魔を「解」き、魔力として己の内に戻した。
「危なっかしいわね……。使い魔くらいちゃんと制御しなさいよ」
「ごめんなさい、ちょこっと力んじゃって……」
着地と共にカシャはクオウを下ろし、やや遅れてライルとフゲンも到着する。
一部始終を見ていたキャットは、右へ左へと首を捻った。
「うーむむ、多勢に無勢! これは流石に不利ですねえ。利口なネコは撤退します。では」
言うや否や、とんとんと軽い足取りで跳躍し、建物の屋根を渡ってどこかへと消えて行った。