第4狂・ハス_名無しの主治医
景色は、流石に地方都市という事もあり
窓から見えるビルや建物、景色は鮮やかだった。
都会の鮮やかな景色も新鮮に思えたが、同時に会堂大学病院の、のどかな静寂な景色が懐かしく感じた。
病室は個室でかなり広く、
シャワールームや洗面台、全てが備え付られている。
純架は、
漸一息をつき、枕に背中を預けた。
(願わくは、透架に再会出来るといいな)
そうなればもう望む事は何もない。
この焦がれて渇望する心に、恵みの雫が訪れて欲しい。
思いにふけて景色を見詰めながら、微笑んだ。
慎ましかなノックが聴こえて、
スライド式のドアを開けて、個室の病室に踏み込む。
ベッドに座っていた彼女は窓を見詰めて視線を此方へ向けた。
頬を綻ばせ、白衣姿の彼女は告げる。
「御影 純架さん。
初めまして。今日から御影さんの主治医となりました【草摩 智恵】と申します。
これからよろしくお願い致します」
草摩 智恵。
彼女はそう告げると、律儀にお辞儀した。
同い年くらいだろうか。小柄で童顔な愛らしいという言葉が似合う。
(………良かった。女の人だ)
純架は胸を撫で下ろし、心底、安心した。
あの日から男性を見ると心が拒絶し、我を喪ってしまうから。
これは、恐らくこの拒絶は“あの人”が原因なのだろうけれど。
御影 純架です。よろしくお願い致します」
純架はお辞儀して、微笑んだ。
一卵性双生児の影響で透架とそっくりな印象を思わせるが
違うのはミディアムのセミロング。
透架よりも顔立ちは柔和で暖かい春の様で、純粋無垢と言った印象を受けた。
純架はカニューレタイプの酸素チューブを付けている。
一卵性双生児で同じ顔立ちだとしても、
置かれた環境や状況により顔付きや人格形成は変わっていくものだと学んだ事がある。
(透架が厳格な凛とした令嬢なら、
純架ちゃんは妖精の様な、お姫様みたいな感じかな)
それは当たり前だ。
透架と純架は、10歳から生き別れとなって、
多感な年齢の時に、違う環境下にいた。
当然、人間関係も、足枷となった諸事情も、何もかも違う。
純架には微笑みを絶やさず、
智恵はあの会話が、脳裏を掠めた。
「貴女が、表向きの主治医になって欲しいの」
「………は?」
透架の真剣な面持ち。
解っている。彼女は冗談を言う子ではない。
でも言わずには、尋ねずには、居られない。
「_____それって私は事実上名前だけの主治医で、
貴女は本当の主治医ながら影武者になる。そういう事よね」
「………そういう事になる、ね」
透架は俯きながら、頷いた。
何処かバツが悪い一瞬の面持ちも智恵は見逃さない。
二人は十年来の親友であり、共に医学の道に進んだ身だ。
それでも透架の言葉に智恵は唖然としてしまう。
御影純架の転院の話は、
彼女の主治医から一瀬循環器病センターに一報を
一瀬循環器メディカルセンターに相談されたもので
「心臓移植の実績も残したい」という院長の元、利害関係の一致で決まったもの。
彼女の主治医は、循環器科の実力のエースと噂される
御影透架にすんなりと決まったのだ。
____そして今に至る。
「やっと、再会できるのよ。
純架ちゃんに。チャンスは巡ってきたのに。
それを棒に振るものだとしか私には思えないけれど。
正々堂々と再会したらいいと私は思う」
(…………なにもないまま、
再会が出来たのなら、どんなに幸せだろうか)
透架は、そう言い切れる智恵が清々しいと思った。
10歳の時に生き別れた妹。
彼女の事は一日も忘れた事はなかった。
けれども再会する事が、彼女を苦しめる結果と
なってしまったら、と透架は危惧しているのだ。
純架が心臓に大怪我を負う経緯は、誰も知らない。
思いは透架の一方通行で、
純架はどう思っているのか。
________自分自身の将来を奪った相手を。
純架は透架を見て
あの頃を思い出して、また苦しむかも知れない。
果ては憎んでいるかも知れない。
もう会いたくないと思っている相手かも知れない。
思えばキリが無くてネガティブな感情ばかりが、脳裏を過ぎり埋め尽くしていく。
(純架を苦しませたくない)
挙げればキリはないけれど
それに透架は、純架に会わす顔がない、というのが本音だ。
自分自身が呑気に構えてしまったばかりに、
純架を心身共に酷く傷付けて、その将来を奪ってしまったのだから。
そもそも透架は自分自身が息をしている事、
それ自体にも嫌悪感と憎悪を抱いているというのに。
(私のせいで。私が生きているばかりに………)
長く沈黙している透架に、流石に智恵も落ち着いた。
「私はおすすめしないわ。本当にそれでいいの?
………透架は」
「………いいの。
私にとって純架を傷付けてしまう事が重罪だと思っている。散々、苦しんできたあの子をまた苦しめる形を招きたくない。
「………お願いします。
主治医として名前を借りさせて下さい」
そう切なげで、
何処か憔悴を表情見て、何も言えなくなった。
(これが姉妹を思う気持ちだとして、
姉妹愛と言うのなら“切なさ”しかないのだろう)
「………どうかしました?」
小首を傾ける控えめがちに尋ねる純架に
はっとして、智恵はやっと我に返った。
「ごめんなさい。ぼうっとしてしまって。
綺麗な方だと、って見惚れていたんです」
「そんな、そうじゃないです」
「………バイタルを確認させて下さい」
純架のベッドの傍らには
体外設置型の補助人工心肺と、
空気駆動装置コントローラー。
バイタルは安定している。到着時に確認したが安定していて安堵した。
会堂大学病院から送られた御影純架のカルテ。
透架は封を明けると、それを吟味する様に見る。
カルテ番号
御影 純架/29歳 女性
生年月日:19XX/ 12月11日
主治医 : 新田 葉子 (循環器科主任)
病名 : 心筋梗塞、心房中隔欠症(ASD)
参考 : 心臓移植ドナー待機
10歳の時、拡張型心筋梗塞を発症。
PTSD〈心的外傷後ストレス障害〉
男性恐怖症と思われる。
カルテを見た刹那的に、
心臓を掴まれる感覚がしたのは気のせいではない。
これが御影純架の全て、純架が背負ってしまう事になった全て。
(ずっと純架は、孤独と隣り合わせで苦しんできた)
PTSDの症状は、きっとあのせいだ。
あの事が影響しているのならば。
カルテを一通り目を通した後に
パソコンに御影純架の情報を入力し、
主治医である新田葉子のメールアドレスへ返信を返した。
〈一瀬循環器病メディカルセンター
循環器科の御影透架と申します。
私はこの度、
この病院での御影純架さんの主治医を担当致します。
そして私事で大変恐縮致しますが
私は、御影純架の双子の姉です。
カルテの送付ありがとうございました。
感謝を申し上げますと共に、
新田先生から守り承ったものを慎重に
大切に引き継いで参りたいと思います。
そして役20もの間、妹を救って下さった事、
お世話になりました事を謹んで感謝を申し上げます。
この御恩は忘れません。本当にありがとうございました。
一瀬循環器病
メディカルセンター循環器科 御影 透架〉
登場人物の名前を変更させて頂きました。
変更前:賀川 智恵
変更後/新装版:草摩智恵