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第3狂・ホワイトフリージア____「ユリの姫君」優しい留め金





 たまに呼吸が苦しくなる、


 頭が絞め縄で縛られる様な感覚。





 不意に目の前に視線を遣ると、

こちらへ微笑みを浮かべるピエロがいた。

それは不気味な微笑みを浮かべながら視界ごと、ぐにゃりと歪んでいく。






「いやあああ______!!」



 断末魔のような悲鳴が轟き、個室の病室に木霊した。


 それ同時に、硝子が割れる様な音がして

担当医である女医と看護師が揃って病室へ一目散に駆ける。

見るとベッドの上で、胸を押さえて過呼吸を繰り返し

瞳の据わった“彼女”が其処にいた。




 よく見ればその双眸は、潤んでいた。



 恐らく混乱した際に手が当たってしまったのだろう。

ベッドの傍らには、粉々割れた花瓶は粉々になり、

溢れた水と共に、サザンカの花が床に横たわっている。



 主治医の新田は冷静に受け止め、言の葉のかける。



「心臓に悪いわ。どうしたの?」

「助けて……助けて……。あの人がくる………」



 何かにすがる様に、懇願する様に。

弱々しい声音、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳は

よく見ればから今にでも泣き出してしまう様に思えた。



 (すが)る様に伸ばされた指先は

担当医である新田の腕にしがみついている。

新田は“心疾患以外の事態”と出来事を悟りながらも、


「鎮静剤を、早く」

「………は、はい」


後ろ手にいる看護師に間髪入れずに小さく呟く。

そして新田は純架を労る様に抱き締めながら、背中を叩いた。




「大丈夫よ。誰も来ないわ。

先生がいるから、休みましょう」




彼女は、軽く嗚咽が混じっている。

悪夢を見た。まるで子供の様な仕草が、酷薄(こくはく)のように



“彼女にとっては簡単な話ではない”。


その一言に尽きて、その一言には何事にも代えられぬ。



 鎮静剤投与後、彼女の傍に居続け

その後のバイタルを新田は険しい面持ちで見詰める。


 変動は無さそうだ。


 鎮静剤の影響か純架は落ち着いて、

夢と現実の境界線があやふやになっている様だった。

さっきの鬼気迫る表情はまやかしだったと言わんばかり、

目を閉じた彼女は穏やかな表情を浮かべている。


 カーテンの隙間から、窓からは夜空。

三日月が見えた。



(まるで、

彼女が求めるものが、欠けたように見えるのは

気のせいじゃない、か)



 先程の鬼気迫る表情様な悪霊が憑依した姿と

弱々しい弱々しい子猫の様な変貌ぶりで、

心の病はこんなにも人を変えてしまい、苦しませるのかと痛感した。




 純架はゆっくりと瞼が上下する虚空を見詰めていた。

瞳は現れない。


そんな中で、不意に


「…と、か」

「………?」


「透架………透架………何処にいるの……」


 今にも消え入りそうな声。

そう呟きながら、彼女の意識は闇の彼方へ落ちていく。




「大丈夫よ。

願う限り透架に会えるわ。また、お話聞かせてね」


まるで赤子をあやす様に、

新田はとんとん、と純架を宥なだめた。

長年、彼女の担当医を任されてきた新田葉子には慣れっこだ。









_____会堂大学病院、廊下。






 “会堂大学病院の、フリージア、ユリの姫君”。




それが、御影純架の噂される名前。



 フリージアの花言葉は

「無邪気」白いフリージアは「あどけなさ」等がある。

ユリの花言葉は「純粋」「無垢」そしてもうひとつあるのだが……。




 循環器科で在籍している彼女を、皆、そう噂した。

その端正な顔立ちと穏和な純粋さのある何処か幼い顔付き。

素直で気遣い屋の素直の性格は、無邪気に人を和ませる。


 純粋さと無垢さ、その穏和な人柄を持つ純架に、

新田はぴったりな噂で、彼女を現した人物像だと思った。



「あの……透架、って誰なんですか?」

「………ああ、貴女はまだ知らないわよね」




怪しそうに言う新米看護師に、新田は微笑んで告げる。



「純架さん一卵性双生児なの。

 双子のお姉さん。透架っていうみたい。



 ただ、純架さんが入院したのを境に会っていないみたいでね………」




 透架。


 純架が落ち着いている時、新田は聞いた事がある。




「透き通る十字架」と書いて

透架という一卵性双生児の姉がいること。




 純架によれば、物静かだが聡明な子だという。

姉の事を話す彼女はとても嬉そうだった。




 ただ入院したのを境に離れ離れになってしまったこと。



 確かに、現にその“透架”が、現れた事はない。




 双子の姉どころか、

純架を看病する者や見舞いに訪れる者すら、

長年、彼女の主治医である新田は見た事がない。


 時折に現れるのは、スーツ姿の厳格な女性だけだ。



(純架はどうなっているのか)


 純架は、姉の事が大好きなのだろう。


「“透架”」の話をする純架の表情は穏やかだ。

それに姉の存在が、彼女の精神安定剤の様にも受け取れる。




「純架さんは、どうして……あのような……」

「それは、PTSD (心的外傷後ストレス障害) よ」




 彼女は心疾患とPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えている。

無論、彼女の理由と動機を考えれば無理もないだろう。


 普段は物静かで優しく穏やかなのだけれど、

時折に現れる悪夢を見、(うなさ)されては、

PTSDの症状に苦しみ、先程の様な発作を起こしてしまうのだ。



_______病室。




 この箱庭で暮らす事になって、

もうどれくらい幾月が経過したのだろう。

この窓の向こう側が風景画の様に見え、自分自身が取り残された錯覚に陥るからある時から、目もくれなくなった。


 この白い部屋にいると、

四季折々が理解出来たとしても自分自身はその四季に触れる事が出来ない。


窓から見える景色が幻想的で、非現実的で

夢物語にも似た幻覚を見ているのでは、と思ってしまうから。

それに


(私は、眺める事しか出来ないのだから)


個室の窓を見詰めながら、窓の向こうの情景は、

自身とは、無関係なもの。



 スライド式のドアが開くと、

主治医である新田と新人看護師・石川が並んで現れた。

純架は肩を(すく)ませて目を伏せると申し訳無さそうな表情を浮かべた。



「………昨日は、ごめんなさい。私、また……」

「気にしないでいいの。ごめんなさいは無しよ?」

「………有難う御座います」


 恐縮している純架に、新田は折りたたみ椅子を

用いて腰掛けると話があるの、と身を乗り出した。




純架に

パンフレットを渡しながら、新田は威厳ある面持ちで



「………よく聞いて。


来月の1日から貴女は、

この、一瀬循環器病メディカルセンターへ転院が正式に決まったわ」

「………そうですか」



 彼女は頷くと、

パンフレットを見詰めながら、ただ呟いた。



 パンフレットには真新しい巨大な洋館の様な建物。

それを青空の下を背景にして、(そび)え立っている。



 数年前に新設された循環器を中心に治療出来る事。

循環器専門の病院から医師が集まり、その者はどの者も循環器・心臓外科医のエキスパートしかいないと噂される。

 

 最前線の治療が受けられる場所だという。

前々から新設された一瀬循環器病メディカルセンターに

転院をし治療を、との話が出ていた事を、純架は知っている。



 前々から循環器の詳しい病院に転院しないか、

という話が上がっていた。



 理由はそのままだ。

会堂大学病院にいても希望は薄いから。


 純架が、入院闘病生活を始めて、もう数十年が経過する。

けれども未だに心臓移植のドナーに巡り会えない。

この会堂大学病院に入院している限り、彼女は救われない。



 10歳からずっとこの会堂大学病院の箱庭に居たからか、

去るのは名残り惜しくも、寂しくも感じるけれども、

新田達が懸命に考えてくれた結果を、仇には出来ない。


 

「………分かりました」




 彼女は静かにそう呟いた。




「では、バイタルと検温を取りましょうね」




「………分かりました」



 彼女は静かにそう呟いた。



「では、バイタルと検温を取りましょうね」




 主治医の隣に居た、石川は春の陽の様に微笑んだ。

酸素飽和度と体温を計り、バイタルチェックノートに数値を刻む。

新田は純架の胸に授けられた生命維持装置を女医は確認をした。



「御影 純架さん。29歳。

心臓移植を待っている方、ですよね」


「確か小児病棟からの患者様だとか……」

「そうですね」




 御影純架は、

小児病棟を小児科の規定年齢である15歳で去り、

今は一般病棟にて闘病している。




 彼女の心臓の病を完治するには心臓移植しか光はない。

ただ現実として移植ドナーを待つ者は多い。

新田も祈る様に純架に対して心臓移植が訪れる事を願っても

彼女にはまだ光りが差さない。




「一瀬循環器病メディカルセンターは、

心疾患に力を入れているわ。

心臓専門の外科医も多い事でしょう。

今よりも最新の治療を取り入れている場所なら……」


切なげに新田葉子は呟いた。



 




 自由に歩く事が出来たのは、いつだっただろうか。



あの日から純架の命は、生命維持装置、機械が握っている。




悪夢のあの日。

自分の胸に掲げられた心臓を見た時、

全てはまやかしなのではないと思った。けれども、

大人は無条件の毒味を突き付けては、悪魔の如く微笑んでいる。



 それは、現実を見るという事なのだろう。




__“貴様はこれから、病と付き合っていかなければならない”




(私の心臓はあの日を境に、眠りかけているらしい)


 

 “姉”は、どうしているのだろう。



 純架には、一卵性双生児の姉がいる。



 けれど、10歳の時を境に“あの日”から生き別れも同然のままだ。






 あの日、意識を取り戻した時、

母親と姉の姿はなく、代わりに居たのは

スーツに包まれた女性。


其処で全てを知った。

彼女は父親が逮捕された事、母親が自死した事、

そして、これから自分自身は「御影純架」として生きていく事を告げた。




父親の事よりも、


母親がこの世から望んで去った事が

衝撃だった事を覚えている。もう二度と母とは再会出来ない悲しみに暮れた。


そして、




「透架は、何処にいるの?」

『_____貴女のお姉さんは、もう何処にもいないですよ。

____記憶喪失になったそうです』

「___どういう事?」

『貴女を忘れてしまった、と言えば簡単でしょうか

 御影透架の頭にはもう妹が居る事も、

 自身が双子である事は知らないでしょうね。

貴女は全てから見放されたの。双子の姉からも、母親からも』


 怜悧に辛辣に、 

オブラートに包まずストレートに物事を告げたスーツ姿の女性は

告げた。



 それはまるで嘲笑っているとも取れる表情と声音で。

10歳の少女には、残酷な現実。



 そんな絶望的な言葉を聞いた時、

母親と同時に、双子の姉まで喪ったと思ったのは否めない。

母親の実家である御影家が引き取られたと聞いたけれども、

それからは禁忌のパンドラの箱だと言わんばかりに

誰も何も、教えてくれやしない。



(大人はどこまでも、無慈悲だ)


そして自分自身は、心臓の致命的な病により、

10歳からこの会堂大学病院にてずっと闘病し、

過ごして行くのだと。




 母親の実家から訪れた彼女は厳しいものだった。


 父親が姉を殺めかけ、逮捕する事に至った理由も

母親が苦悩の末に自ら、この世を去った理由も。

“貴女達のせいだ”と。”貴女達さえ居なければ”と。



 トクニスーツ姿の女性は辛辣そのものだった。



『貴女達さえ存在しなければ、

玲伽様は自害をする事はなかったのよ。双子の姉に会えない事は自らが犯した贖罪だと思いなさい』

『………贖罪?』

  


 狂乱していた。

魔に憑依されたかのように。



『ええ、そうよ。貴女達、双子が存在した故に

あんなに……素晴らしい人を自害にまで追い込んんだのよ?

これは、父親の犯した罪と同等だわ!!』


 最後の語尾は強くなり言葉に詰まって、

目尻の縁に双眸は涙がうっすらと滲んでいる。




彼女は、純架と双子の姉を責めた。


 (______“貴女達”というのは、透架と私の事か)



 まだ胸に授けられた機器も、背負う事になる病を

理解する事もまだ子供心に混乱しているのに。

大人達は1ミリも興味がない。


 彼女が感情的に話している言葉も、まだ分からない所がある。


『私と透架が、ママを殺したの?

ママが亡くなってしまったのは、私達が原因なの?

ねえ、教えて下さい。贖罪ってなに。

私は、透架はどうすればいいのですか』


 何故か、理由を問うと、

“元凶である自身が解っている筈だ”、と

彼女は理由を話さず、感情的に決め付け、持論以外は口にしなかった。



 



あの日、何故、父は強行に及んだのか。

双子の姉が殺められるという理由は、何を意味している?

 

(パパは、透架を恨んでいたの?)


闘病の中で、

不意に気になるのは、双子の姉・透架の事ばかり。


 一体、彼女が何をしているのか。どうしているのだろう。

御影家は明らかに何かを知っている。隠している。


 




(私達を元凶と言った御影家は、姉を赦さない筈だ)



 姉は今、どうしているのか。

自分自身の様に罵詈雑言を浴びせられる日々を送っているのか。


透架が、全てを忘れている。

口は災いの元。そんな事は感情任せに言っただけ。

そう思わなければ心が崩壊してしまいそうで、純架は怖かった。


 でも、純架は、

彼女が誰かから恨みを買うとは思えなかった。




 物静かで聡明で

気遣い上手な優しい姉の事を、純架は大好きだった。

あの時、姉を庇った事を、純架は後悔はしていない。


 聡明で何処までも優しい姉を庇った事も、

それに従って負った傷も純架は、誇らしいとすら感じていた。




 パンフレットをじっくりと見ていると

一瀬循環器病メディカルセンターがある場所は

同時に御影家の実家がある県だと気付いた。


(あわよくば………もしかしたら、再会出来るのかも知れない)



夢見がちで、空想だけれども。



 この20年、

ただ双子の姉である透架に思いを馳せる事で

なんとか生きて来られたのだから。

いつだって純架にとって、双子の姉の存在が心の支えだった。



(もしも、会えたら、聴いてみよう)


透架から直接。

そしてこの、20年という空白を埋めるのだ。





翌日。

ドクターヘリにて、

一瀬循環器病センターへ転院する事になった。




 久しぶりに外の肌触り、優しい風が淡く頬を撫でる。

山間部にあるこの場所の空気は、心地好くて優しい。

ぼんやりと景色を見詰めていると、少し物寂しい気もした。




 担架が動き

ストレッチャーで横になっている純架が乗る。


 傍らには主治医である

新田葉子が付き添いとして同乗していた。








「………先生」

「なに?」

「………私、透架に会えるかしら?」




新田はきょとんとした表情を浮かべた後、

微笑んで純架の手を握った。

いつも通りの温かな手。


「会えるわよ」

 

純架は、微笑んだ。



思う所があり、かなり加筆・修正してしまいました。

混乱を招く形となり申し訳御座いません。

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