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老投資家地獄の信用取引

作者: 小野口英男

老投資家地獄の信用取引          小野口英男


          一    

 彼は関西系の中堅商社の東京支店に十三年勤務した。仕事は営業職であり、五年前に定年で退職したのである。退職後の仕事は何もしていない。退職時の役職は課長職で職の手当をしたものの、中々気に入った職が見つからなかったのである。退職の際の退職金は一千万円であった。三年前、退職金の一千万円にこつこつ貯めた二千万円を加えて三千万円で株式投資を始める。

彼の三年株式投資の姿勢は安全な現物株投資である。現物株投資であれば投資先の会社が倒産しない限り投資資金がゼロになる事は無い。但し三年前に始めた株式投資は、三年後の現在の株価で三千二百万円である。二百万円増加しているが、三年で二百万しか増加しないことに彼は苛立っている。短期で売買を繰り返すため損得を繰り返し結果的に少しの儲けにしか成らない。気の短い彼は株式投資に向いていないのにその事に気が付かない。平成二十八年の今、彼の投資姿勢が、普通の安全な現物株式投資から、危険な博打の領域に入ろうとしている事に、彼自身が未だ気が付かないのである。

 「三年間の無駄な株式投資した分を何とか取り戻さないと。現物では限度がある、信用取引をしよう。現物は会社が倒産しない限り、元金がゼロにはならないが儲けも少ない。株価の二割の元手で十割の株が買える。信用取引は最長半年間で決済しなければ成らない、それはリスクには違いない。リスクは有るけど儲けの多い信用取引の方が良い」

 信用取引は、利益やリスクの少ない現物に比べ、魅力あるものに映ったのである。そして危険極まりない信用取引に手を出したのである。

 今年七十歳の彼には二つ年下の妻がいる。一人娘はとうに嫁いでおり、持ち家の一軒屋に夫婦で住んでいる。四十年前にローンで買った横浜市内の彼の家の土地は三十坪で時価三千万円位である。ローンは既に終了しているが、彼は若い時事業をしており、年金は厚生年金と国民年金である。国民年金の妻と二人合わせても年金は月十六万円程である。プライドの高い彼は、現在の生活に於いて、妻の年金にまで頼らなければならない事が、我慢ならなかった。それで三年前、三千万円で、株式投資を始めたのである。

 「信用取引はリスクがあるのは事実だ。しかし現物だって、下がったままで中々上がらない為、売ってしまって結局損する事も多い。要は銘柄選びだ。これ以上、絶対下がりっこない底値で、買えば絶対安全だよ」彼は独り言を言った。

 早速翌日、現在取引中の証券会社に電話した。

「現在の株を、全て売って下さい。それを元に、信用取引をしたいと思います。先日のお話では、信用取引には、新たな契約が必要、と云う事でしたね。その契約書を送ってください」

 数日後に、信用取引の契約書が届いた。それに著名捺印して、証券会社に送り返した。売買報告書に目を通し、手数料を引いても、何とか元金を維持した事に安堵した。

          二

 買う株は既に決めていた。東芝株である。前年に会計処理に不正があったとして、株価は大きく値下がりした。その後此処三年間も不正ありと報道されるに及び、株価は更に大きく値下がりした。度重なる不正会計と下方修正により、2016年3月期は売上高6兆2000億円(前期比6.8%減)、純損失は過去最大となる4600億円である。これにより今期2017年3月期の予想は、資本剰余金は大幅に減少し1500億円となる可能性が大きく、自己資本比率は2.6%に落ち込む事になる。債務超過で東証二部に転落目前である。かつて製造業で過去最大の赤字を出した日立製作所が、倒産の危機と言われた当時(2009年3月期)の自己資本比率は11.2%だった。

 彼は何度も前言を修正する東芝の経営者を信用してない。不正会計に関し、そこで報道機関の報道を引用する事にする。

<2015に発表された東芝の不正会計の問題ですが3人の元社長が関与しているとされています。事の始まりはリーマンショックです。リーマンショックにより過去最悪の赤字に陥りました。それからは利益を上げる為に、経営者が数字を強く気にする様になりました。業績を上げる様に部下に迫るようになりました。一連の出来事から利益をかさ上げする様に会計処理が行われる様になりました。具体的には、決算直前にパソコンの製造を委託していた会社等に高値で部品を買ってもらい、一時的に利利益を確保しています。決算後に部品を買い戻す為に、逆に利益が減ります。再び決算前に部品を高値で売る事で見せかけの利益を計上していたのです。以後7年に亘って1500億円の以上の会計操作が行われました。これが発覚し東芝は信用をなくしました。>

 更に別の報道機関の報道も引用して見る。

<リーマンショックにより大幅な赤字に陥った東芝は、2009年3月期の純利益は3435億円の損失となりました。利益のかさ上げと共に、ライバルである日立グループとの収益で大きな差が付くようになりました。日立も一時的には苦境に立たされましたがインフラビジネスや情報関連ビジネス等を拡充させて順調に収益を伸ばしています。2014年3月期(単位百万円)、東芝売上げ6502543純利益5O826日立売上げ9616202純利益264975、それに関連して経営者の思惑もあったと思われます。社長会長に就任すると何れは日本経団連の副会長のポストが与えられます。その時会社の業績を上げておけば日本経団連の中でも発言力が強まります。いい顔が出来る訳です。もっと云えば利益を大幅に伸ばせば日本経団連の会長のポストも夢では有りません。自分達が経済界のリーダーに成ろうと云う夢がなかったと云えば嘘に成るでしょう。>

 そしてついに東芝株は二月には二百円を下回り、百五十円近くまで下げてしまった。しかし株価はその後、順調に戻しているのである。彼が信用取引を始め様としている、現在の価格は四百円を超えている。出来る事なら、再度大きく下げたら買いたいと思っている。

          三

 彼はノードパソコンでヤフーのファイナンスを開いて、東芝株の日々の株価を調べている。そこで東証東芝株の日々の株価の終値と彼の言動を追う事にする。

❋2016年12月1日  終値427.5 円

「中々下がらないな」

 下がらない事に多少苛立ち始めている。

❋2016年12月2日  終値427.5

「今日は変わらず、畜生」

 中々下がらない事に益々苛立ち始めている。

❋2016年12月5日  終値436.4

「おいおい、上がっちゃったよ。ヒョッとしてこのまま上がるのかな。そうなると買い場を失っちゃうよな」

 苛立ちは不安に変わっていく。買い場を失う事は別に損した事を意味する訳では無い。それにも関わらず買い時を失う事は、儲け損なうだけでは無く損した様な気になる。

❋2016年12月6日  終値453.0

「参ったな、十七円も上げちゃったよ。このまま上がったら買えないな」

 買い場が無くなる事への不安が益々大きくなる。

❋2016年12月7日  終値460.0

「七円の上げか、もう下げないな。百五十円近くまで下げたんだから、今世紀の初めには千三百円迄行った株だ、此処は買うリスクより買わないリスク方が大きいかも」

 今の気持ちとしては、株価は下より上を向いていると、判断せざるを得ないようである。買わないでいると、買い場は遠のく様に思えた。それは不安から恐怖に近いものになっていった。

❋2016年12月8日  終値465.0

「今日は五円上げたか。下げないんだったら。買うか」

❋2016年12月9日  終値465.0

「よし買おう」彼は決断した。

 三時過ぎに証券会社に電話した。

「東芝を信用取引の二十万株、明日指値465円で買って下さい。

 昼に証券会社から電話が入る。

「東芝株を信用取引で二十万株、四百六十五円で買えました」

 彼は買えた事に安堵した。彼はこれ以上待っていれば買い時を失うと考える。待つ事に耐える事が出来ないのである。未だ買い余力は有るので値上がりしたら買います積もりである。

❋2016年12月12日 終値453.8

「12円の値下がりか、しょうがねぇな。明日に期待しよう。明日に」

❋2016年12月13日 終値454.4

「1円か、変わらずだ」

❋2016年12月14日 終値467.8

「13円の値上がりか買値を2円だけど上待ったな。良いぞ、良いぞ、その調子で明日も行ってくれ」

 彼は東芝の株価がほんの少しだけど買値を上回った事にひとまず安堵する。

❋2016年12月15日 終値462.8

「5円の下げか買値を上回ったのはたった一日か、明日は元に戻すんだろうな」

 彼は東芝の株価が一日で買値を下回った事に、ガッカリすると同時に多少不安も芽生える。

❋2016年12月16日 終値460.6

「2円の下げか」  

❋2016年12月19日 終値463.1

「3円の下げ」

❋2016年12月20日 終値458.2

「おいおい5円の下げかよ、460円切っちゃったよ。明日は何とか460円は守ってくれ頼むよ」

 彼は東芝の株価が460円を下回った事に可成り嫌な予感を持つ。

❋2016年12月21日 終値452.5

「6円の下げか」

❋2016年12月22日 終値446.1

「6円の下げか。毎日嫌に下げるな、買値より20円下げちゃったよ。上げに転じてくれよ」

 彼は連日ダラダラ下げ買値より20円下げた事に不安に成り始める。

❋2016年12月26日 終値443.1

「今日で4日間の下げか嫌な感じだな。買値を一時上待った後は結果としてダラダラ下げているんだよな」

          四

 東芝から噸でも無い驚くべきニュースが入る。2016年も残り少なくなった12月27日、経営再建中の東芝は米国原発事業会社ウェスチングハウスに関連して数千億円という巨額の減損リスクがあると発表した。2016年3月期に4600億円の巨額の最終赤字を計上し、自己資本比率が6.1%まで落ち込んだ東芝だが、2017年3月期は想定以上に収益が回復していると思われていました。半導体メモリ事業が絶好調で業績予想をこれまで2回引き上げ、度重なる不正会計で失った信頼は、少しずつ取り戻しつつあるように見えたのである。

 市場もそれを評価して東芝の株価はそれを反映し、百円台まで落ちこんだ後じょじょに回復しつつある中で突如浮上した巨額減損リスク。記者会見で綱川智社長は「責任を痛感している。今はこの処理に真摯に当りたい」と述べた。また、資本増強策や銀行への支援要請を検討していることも明らかにした。

❋2016年12月27日 終値391.6

「東芝の経営は一体どうなっているんだ」

 不正会計で散々叩かれて、当然一から出直した筈である。しかし全然反省も何も成ってないのである。不正会計の次は巨額減損、金額が多額と云うだけで全く分からない。多額が一千億か二千億かそれ以上なのか全く不明である。決算は四半期に一度行っているのに何故それ程時間が掛かるのか不思議な話である。

❋2016年12月28日 終値311.6

「参ったな、追い証が発生した。直ぐ追加資金を入金しないと」

 彼は直ぐ銀行に行く。事情を正直に話し融資を要請する。銀行は土地の時価三千万円に二千万円の根抵当の設定をする。取り敢えず根抵当一杯の二千万円万円を借りて証券会社に二千万円万円を振り込む。下げ止まるのか分からない為取り敢えず多めに入金したのである。

❋2016年12月29日 終値258.7

「参ったな、何処まで下がるんだ。300円を大きく割ってしまったよ」

 当初東芝の今期は前期の大幅な赤字から黒字を予想。それが一転数千億円の減損。これを受けて東芝の株価は3日間で約200円値下がりである。

❋2016年12月30日 終値283.1

「25円戻っただけかよ。大きく落ちた割には戻りが小さいな。どんと戻してくれよ」

 3日間で約200円も下げた割には戻りが非常に鈍い事にガッカリする。

❋2017年01月04日 終値277.4

「6円下げたか」

 数千億円と云うだけで正確な金額が分からない為、憶測が憶測を呼び色々な金額だけが一人歩きをし、その都度株価が上下に揺れているのである。東芝の経営者が正確な数字を発表すれば簡単に収まるのにそれが出来ない、東芝という会社は奇怪な会社である。

❋2017年01月05日 終値290.5

「13円の値上がりか、このまま300円に行ってくれよ。頼むよお願いだよ」

❋2017年01月06日 終値287.2

「3円か変わらず」

❋2017年01月10日 終値288.6

「1円か今日も変わらず」

❋2017年01月11日 終値301.1

「301.1円かその調子だ。300円台を固めて、次は350円だ、良い良いぞ」

 彼は東芝の株価が300円を1円とはいえ上回った事にひとまず安堵する。

❋2017年01月12日 終値284.8

「7円の下げかよ」

❋2017年01月13日 終値287.1

「3円の上げか」

❋2017年01月16日 終値280.8     

「3円の下げか」

❋2017年01月17日 終値281.7

「1円の上げか、4日間で3円の下げだな。膠着状態だな、上げか下げかどちらかに動くだろうが、今回は上だろう」

 東芝の株価が膠着状態に有り、このケースでは上げか下げかどちらかに動く事が多い。今回は間違いなく上げだと彼は予測する。300円台に乗せ300円を固める動きに成ると、彼は今回可成り強気の予想を立てる。

❋2017年01月18日 終値288.4

「畜生又東芝のトップが損失のアップの発表か。明日は又大幅に値下がりだな」

 この日の夕方東芝の経営者が今期の損失額の下方修正を発表、経営者が口を開く度に額が増えていく。

❋2017年01月19日 終値242.3

「46円の下げか」

❋2017年01月20日 終値246.7

「4円の上げか」

❋2017年01月23日 終値268.9

「22円の上げか」

❋2017年01月24日 終値259.8

「9円の下げか」

❋2017年01月25日 終値254.4

「5円の下げか」

❋2017年01月26日 終値258.5

「4円の上げか」

❋2017年01月27日 終値259.9

 東芝が大きな損失を出した事を発表してから一ヶ月が経ち、損失の原因も明らかになる。再度報道機関の報道を引用する。

<ウェスチングハウスが2015年に買収したCB&Iストーンアンドウェブスターに付いて資産内容を詳しく調べた結果数千億規模の損失を計上する可能性があると明らかにしました。ウェスチングハウスは子会社CB&Iストーンアンドウェブスターを買収する前の事ですがジョージア州で2基、サウスカロライナ州で2基計4基の原発建設を2008年に受注しました。両者はこの4基の建設プロジェクトを共同で受注するパートナー企業の関係にありました。しかし、2011年3月の福島第一原発の事故の後アメリカの原発の安全基準が厳しくなった事を背景に建設のコストが膨らみました。安全基準を満たす為、設備や資材の費用が上昇。それに伴って工期が延びる事で人件費がかさみ全体の建設コストが受注した時点の想定を大きく上まわったとしています。工期は当初5年、現在は1年~3年遅れる見通(今の運転開始は2019~2020年の予定)。原発の建設費用が4基合わせて2兆円で工事の進捗状況は未だ30%。建設費が膨らみ続ける中でコストの負担を巡って両者は対立していったと。この為更に工期が遅れる可能性が出てきた事から、これを収拾する為ウェスチングハウスはCB&Iストーンアンドウェブスターを買収に踏み切った。契約では4基の内少なくとも2基サウスカロライナについて建設の費用があらかじめ決めた費用を上まわった場合はウェスチングハウスとCB&Iストーンアンドウェブスターがその分を負担する。電力会社に取って有利な契約です。この為建設コストが膨らめば膨らむほど採算が悪化する形となり数千億円規模の損失と成ったのです。>

❋2017年01月30日 終値250.3

「9円の下げか」

❋2017年01月31日 終値242.3

「8円の下げか」

❋2017年02月01日 終値244.3

「2円の上げか」

❋2017年02月02日 終値240.8

「4円の下げか。4日間では10円の下げか、全く良く下げるよな。何とか上げてくれよ」

❋2017年02月03日 終値238.8

「2円の下げか」

❋2017年02月06日 終値241.2

「3円の上げか」

❋2017年02月07日 終値240.5

「1円の下げか」

❋2017年02月08日 終値241.8

「この3週間上下の動きが少なくなったな。この状態だと上下どちらかに動くと思うけど上で有りますように」

 東芝の株価が膠着状態に入ったことから、上下どちらかに動くと予測する。只し前回予測が外れた事から彼は今回嫌な予感を持っている様である。

❋2017年02月09日 終値225.5

「16円の下げか」

❋2017年02月10日 終値237.9

「12円の上げか」

❋2017年02月13日 終値249.8

「畜生折角上がってきたのに明日は又下がるな。何で東芝の経営者は何度も下方修正を繰り返すんだよ」

 東芝の経営者が損失額の増える可能性のある事を発表。度々の下方修正に只呆れるばかりである。

❋2017年02月14日 終値229.8

「20円の値下がりか、まだまだ下げるぞ。明日は幾らまで下げるのか心配だな」

          六

❋2017年02月15日 終値209.7

「よし売ろう」決断した。三時過ぎに証券会社に電話した。

「東芝を信用取引の二十万全株。200円で売って下さい」

 彼は電話した後も未だ待つべきとの気持ちと、売った方が良い、の気持ちの葛藤に悩む。その後証券会社に電話する。

「東芝を信用取引の二十万全株を売るのは中止して下さい」

「追証が発生したな。500万円入れないと、更に200万円余分に入れよう」

 彼は妻に頼み妻の預金から50万円と、自分の最後の預金六五0万円を証券会社に振り込む。妻に激しく罵倒されるもここは我慢するしか無いのである。

❋2017年02月16日 終値202.7

「7円の下げか」

❋2017年02月17日 終値184.0

「参ったな、これじゃ二百円を下まわるだろうな。180円を下回らないでくれよ。180円を下回ったら万事窮すだよ」

 一部の報道機関が前期を超える損失と、今期の予想記事を報道。東芝の終値は二百円を下まわる。180円を下回らない事を、彼は祈るような気持ちである。

❋2017年02月20日 終値186.3

「180円は何とか踏み止まってくれたか。胃が痛いよ、毎日毎日これじゃ体がもたんよ。180円を下回ったらお追証だし、もう払えないよ。神様明日は上がりますように」

❋2017年02月21日 終値183.7

「何とか180円を下回らずに終わったか、くたびれるなぁ。俺にはやっぱり信用取引は無理だったな」

❋2017年02月22日 終値224.7(190.0)

「ああ良かった200円台に戻ったか。何とか200円台は維持してくれよ、頼むよ。今夜やっと眠れるよ」

 彼は此処数日殆ど寝てないのである。一旦寝ても翌日の株価が気になり直ぐ覚めてしまう。目が覚めても又直ぐ寝れば良いのに、株の事を名考える為益々眠れなく成る。彼は性格的に株式投資に向いていないのである。まして博打の様な信用取引は最初から彼には無理だったのである。しかし今更そんな事を言っても仕方ない事だ、これ以上株価が下がらない事を祈るだけである。

❋2017年02月23日 終値215.0

「下がったけれど、何とか200円台は維持しているな。頼むよ、明日は上がってくれよ」

❋2017年02月24日 終値223.9

「8円の上げか」

❋2017年02月27日 終値215.8

「8円の下げか」

❋2017年02月28日 終値208.2

「終値としては183.7円を付けた後、翌日224.7円を付けた終値が一番高いのか。矢張り下を向いているのかな」

 彼に取って再度東芝の株価が200円を下回るのでは無いかと、そればかりを心配している。

❋2017年03月01日 終値211.5

「3円の値上がりか変わらずと同じだな。下がる時はドーンと大きく下げるのに上げる時は1円2円だな」

 200円すれすれの状態が続いている事に加えて2~3円しか上がらない事に、苛立ちと不安が交錯し落ち着かない状態は益々大きくなって来ている。

❋2017年03月02日 終値217.2

「6円の値上がりか、毎日数円ずつの繰り返しか。結局は殆ど動かずの状態が続いているな。こんな状態が何時までも続いたらこっちがおかしく成っちゃうよ」

 株価が中々上に行かない事に、苛立ちと不安は益々大きな物になり、体調まで変調をきたし此処数日彼は下痢が続いている。

❋2017年03月03日 終値213.3

「4円の値下がりか」

❋2017年03月06日 終値213.5

「変わらずとこんなに同じ状態が続くと上げるか下げる、どちらかに動くけど上げる可能性より下げる可能性の方が大きいよな」

 株価が膠着状態にある事に、色々な考えを巡らせると不安は増大する一方である。

❋2017年03月07日 終値216.0

「3円の値上がりか」

 膠着状態に彼は耐えられなく成って来ている。苛立ちと不安は限界に達しており、可成り投げやり状態に陥っている。

❋2017年03月08日 終値220.7

「6000億円の損失かよ」

 東芝の経営者が今期5500億円の損失に成る事を発表。東芝の経営者の業績に関する話が二転三転する中、今期5500億円になると発表、益々彼は不安になる。再三遅れた後に発表に成る決算に関し、後に発表の報道機関の報道を引用する。東芝の経営者の云う損失と如何に乖離しているかが分かる。

<東芝が2017年8月1日に2017年3月期の有価証券を提出した事で決算数値が確定した。子会社だった米ウェスチングハウスが経営破綻した事による損失は結局どれくらいの規模になったかを計算してみよう。東芝の2017年3月期の最終当期損失は9657億円で史上最悪だった。これだけの損失を出した主因は勿論ウェスチングハウスの破綻だ。有価証券には東芝が米電力会社2社に提供していた親会社保証に関連する損失やウェスチングハウスに対する融資の貸し倒れ引当金などにより約1兆2400億円の損失を計上したと記載されている。これが今回の破綻で直接東芝が被った損失だ。東芝は2006年にウェスチングハウスを54億ドル当時の為替レートで6210億円で買収した。この際に東芝の資産として計上されたその減損も1兆2400億円には含まれる。又東芝はこれより一年前の16年3月期ウェスチングハウスに関し2476億円の減損を計上している。16年3月期と17年3月期の損失足し上げると約1兆4900億円になる。この数字がウェスチングハウスによって東芝が直接影響を受けた損失だ。15年3月期に自己資本が1兆840億円あった。この時の自己資本比率は17.1%だった。決して多い自己資本ではなかったが、危機的とまでは言えない水準だった。これがウェスチングハウスの破綻であっと云う間に吹き飛びマイナス即ち債務超過になった事が分かる。更に今は表面化していないが、損失になる可能性が大きい案件があるカザフスタンの国営企業カザトムプロム社が今もウェスチングハウスの株式を10%保有していて、今年10月以降東芝に対して630億円で買い取りを要求出来る権利が発生する事だ。ウェスチングハウスが経営破綻する為、この株式は紙屑になる可能性が高い。株式を持ち続ける可能性はゼロではないが、普通其れは考えにくい。もう少し考えれば、他にもある。15年春に発覚した東芝の不正会計は08年のリーマンショックによる急激な業績悪化が引き金だが、拝啓には巨費をつぎ込んで買収したウェスチングハウスの業績不振があった。東芝は金融庁から73億円の課徴金を課せられた。東京証券取引所、名古屋証券取引所ならも合わせて約1億円の違約金を求められた。不正会計で損害を被ったとして機関投資家や個人の株主が国内外で、東芝を相手取って損害賠償請求訴訟をおこし、現時点で請求額は1170億円にのぼっている。損害賠償が認められる可能性が十分あるとみられている。さらには米原発事故で突然巨額の損失が発覚した事への不信感、不正会計で失った信頼、地に落ちたブランドなど、金銭でカウント出来ない損失も又莫大なものに違いない。>

          八

❋2017年03月09日 終値204.8

「このままだと150円までいってしまう、いや100円以下になるかも。そうなると追証も払えない。何とか200円台を維持している間に売るしかない。よし明日売ろう」

 彼は3時過ぎに証券会社に電話する。

「東芝株を明日全株寄りつき成り行きで売って下さい」

❋2017年03月10日 始値201.0(208.3)

九時半に証券会社から電話が入る。

「東芝株全株201円で売れました」

「200円で売れたか良かった。信用取引は恐ろしい。この三ヶ月は地獄だったな」

 信用取引はリスクが有ることを彼は承知していた積もりである。そのリスクとは金銭的な物であり、精神面や肉体的な面でもリスクがある等とは思いも寄らなかったのである。この三ヶ月間彼は眠れない、食事が喉を通らない日など数多く、体調は我慢の限界に達していたのである。東芝株二十万株を465円で買い201円で売ったと云う事は、単純計算すれば5280万円の損である。これに証券会社の手数料が加わる。

 まだ先の事ではあるが銀行に借りた金を返す為、自宅を早急に売却しなければならず、急ぐ足元を見られ二千七百五十万円で売る。5280万円に証券会社の手数料と翌年家を売った事による所得税を合わせ、妻に借りた分を返すと殆ど彼の手元には何も残らない。現物株投資の時は三年間で二百万円のプラス、殆どプラスマイナスゼロに近いものであった。しかし信用取引は三ヶ月間で5000万円を超える損失である。元金は吹っ飛びその上二千五百万も消えて無くなるとは驚き以外の何物でもない。彼は元金を大きく下回る等とは全く予想しなかったのである。彼は改めて信用取引の怖さを知る事に成る。家土地を失う事により妻とは離婚、娘は家を出るなど家族は離散し、彼は2DKの狭いアパート住まいとなる。

 東芝株を売った時、「信用取引は恐ろしい。この三ヶ月は地獄だった」と彼は思った。しかし当時は、彼自身が今後起こる恐ろしい本当の地獄への道のスタート台に居る事に未だ思いが行かなかったのである。音符の無い人間狂奏曲の前半が終了し、今正に後半が始まろうとしている。

                            <了>



    

 


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