ベアトリクスの悲鳴
アイシリアがドラゴンだった。
そんな事実をようやく知ることになったベアトリクスだったが、今更態度を改めても手遅れで無意味で、なんであれば湯を浴びるときに裸を見せたこともあれば見たこともある仲のアイシリアに対し、特別な態度を取ることはなかった。
アイシリア自身もそんなことは欠片も望んでおらず、今更まるで精霊のように崇められたとしても困ってしまうだけで……であればと今までと変わらない形で接していくということで決着となった。
それは中々大胆な決着の仕方でもあったのだが、伯爵である領主や元とはいえ王子とも気軽に接することが出来る特殊過ぎるこの場の空気が、ベアトリクスの感覚を麻痺させてしまっていて……そうしてベアトリクスはアイシリアと共に夕食の準備を進めていった。
竈に火が入り、スープが煮立ち、具材に熱が通り……良い香りが漂い始めて、それを嗅ぎつけたのかユピテリアが真っ先に食堂へと駆けてきて。
食堂からキッチンへとやってきて、キッチンの中に入りはしないものの、ドアを開けてひょっこりと顔を出して、じぃっと視線を向けてきて……そんな態度のユピテリアが声をかけてくる。
「お母様、もう少しで出来上がりますか?」
「すぐに出来ますから、もう少し待っていてください」
それはいつもの会話で、今まで何度も繰り返されてきた会話で、ベアトリクスにとっても何度も何度も聞いてきた会話で。
すっかり聞き慣れていたことからベアトリクスはその会話に何の反応を示すこともなく作業を進めようとする……が、配膳のためにと食器棚から食器を取り出していた手の動きはピタリととまり、その顔が一気に青ざめる。
メイドとその娘。
ということであれば風変わりではあるものの受け入れられる話であったのだが、ドラゴンとその娘となると全く事情が変わってくる。
ドラゴンの娘ということは当然ユピテリアもドラゴンで……そのことに気付いてしまったベアトリクスは物凄い表情でユピテリアのことを見やる。
「ユピテリアは私が産んだ娘ではありませんよ」
そんなベアトリクスの態度を受けて、ベアトリクスの内心を察したらしいアイシリアがそう言ってくれる。
産んだ娘ではない、お母様と呼んでいるけども血の繋がりはない。
つまりユピテリアはドラゴンではなく、常識外の才能と魔力を有しているだけのただの子供で……それならばギリギリ納得が行く。
そうしてベアトリクスが安堵のため息を吐き出そうとしていると、アイシリアが言葉を続けてくる。
「ユピテリアは私の娘ではなく、雷竜の娘です」
「ぴぎゃあ!?」
ベアトリクスの口から形容し難い声が上がる。
アイシリアが氷竜の娘ということは理解出来た、どうにか飲み込めた。
そこでもう限界、いっぱいっぱいだったというのに、どうして畳み掛けてくるのか。
せめて間を開けて欲しい、衝撃的過ぎる事実を理解するための、受け入れるための時間を半年ほど与えて欲しい。
一体全体どうしてこの屋敷には氷竜の娘と雷竜の娘がいるのか。
あの領主はどうして平然として、この屋敷での日々を送れているのか。
領民達も大概だ、ここにいるのがやろうと思えば世界を滅ぼせる、いつでも自分達のことを滅ぼせる絶対的強者であることを理解していないのだろうか?
そんな事を考えて……考えに考えて、そうしてからベアトリクスは、心に境界を作り出し、棚のようなものを作り出し、そこについ先程知ってしまうことになった事実を押し込んでいく。
自分はドラゴンの専門家ではない、研究者でもない。
農業の、農法の専門家であり研究者だ。
土と水と作物のことだけを考えていればいいのだ。
そんな風にして事実から目を逸らしどうにか正気に戻れたベアトリクスは、いきなり声を上げてどうかしたのだろうか? と、小首を傾げながら視線を向けてくるユピテリアに微笑んで……なんでもない風を装って食事の準備を進めていく。
そうこうしているとクーシー達やアヒル達、領主とウィムシラも食堂へとやってきて……静かだった食堂が一気に賑やかになっていく。
ウィムシラという来客を迎えての歓談は、話題が尽きないこともあってか、絶えることなく続いていて……ベアトリクス達が配膳をしている間もワイワイと声が上がり続ける。
「はっはっはっは!!
そうかそうか、雷竜の娘を娘としたか、後継者としたか!
いやー、愉快愉快! 世の中に愉快なことは数あれど、こんなにも気分が弾み、晴れやかな笑い声を上げられることはそうはないぞ!!」
その中でウィムシラがそんなことを言って……ベアトリクスは物凄い、驚愕と呆れと何を笑っているのだという憎々しさを混ぜ込んだ表情を浮かべてウィムシラのことを見やる。
元とはいえ相手は王子だ、無粋な言葉を投げかけはしないが、それでもそんな表情を浮かべてしまう、良くないことだと思っても心がどうしても表情に出てしまう。
するとウィムシラはベアトリクスの様子にすぐさま気付いて言葉をかけてくる。
「確かに驚き心揺れ声を上げたくなるような話ではあるが、ドラゴン達が集ったのが他でもない、この善良なる友人パーシヴァルの下であるならば案じることも無かろうよ。
その力を利用することもないだろうし、その威を借りて誰かを圧することもないだろう。
ものは考えようだ……他の誰かの下に行くよりもマシとそう思えば、なんてこともないだろう?
考えてもみたまえ、これがどこぞの王宮であったなら、どんなことになっていたか……。
場合によっては多くの血が流れ戦乱の時代がやってきたかもしれんぞ」
ドラゴンがある国を守護すると表明し、実際に行動を起こすこと自体はよくあることだ。
だがそれはあくまで魔物や災害から、理不尽な何かからか弱い人を守ってやろうというものであり……国家間のいざこざや、人と人との紛争や戦乱に手を貸すということではない。
だが仮にドラゴンが何処かの王家の一族となったらどうなるだろうか。
その養育と人格形成に関与できるとなったらどんなことになるだろうか。
当然のように王家はそれを利用することだろうし、他国はそのことを警戒し、その国との関係を悪化させることだろう。
「パーシヴァルであればその心配はない、アイシリア様やユピテリア様の力を利用して覇を成そうなどと、そんな考えに到れるほどの大器ではないからな。
……まぁ、アイシリア様が独断で何かをするということは、無くも無いようですけどね?
去年に西の方で、ドラゴンが空でどうこうしたとか、そんなことがあったという噂を耳にしたが……それもまぁ、国家間のいざこざとまではいかなかったようだしな」
そう言って笑い……笑いながらウィムシラは、それもそうだと笑いながら席へと案内をする領主に従って、席につく。
本人を前にしてそんなことを言うウィムシラもウィムシラだが、それを笑って受け入れる領主も領主だ。
気にした様子もなく咎めることもなく、全くもってその通りだと笑ってすらいる。
そんな領主達の様子を見てベアトリクスは……先程作ったばかりの心の境界をより強いものにし、そうしてそんなことよりも、ドラゴンのことなんかよりも、これから食べることになるスープに入っている、野菜の収穫量を増やすためにはどうしたら良いかと、そんなことをなんとも言えない無表情で考え始めるのだった。
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