無能地帯
アイシリアが白髪男との密会をした日の翌日。
机に向かって執務に励むパーシヴァルの後ろで、アイシリアはじっと手に持った地図を……この辺りの地理を記した地図を眺めていた。
中心にハーネット領があり、その北側には広い山脈が広がり、西側には未開拓の森が広がり、その更に向こうには他国との境があり……南には件の白髪男が仕える海に面した大領地があり、東にはこの国随一の穀倉地帯が広がっている。
北は無人、西は他国。
隣領と言える場所は南と東にのみ存在していて……ハーネット領に無能との文字を書き込み、南領にも同じく無能との文字を書き込んだアイシリアは……小首を傾げて悩んだ末に、目の前のパーシヴァルへと声をかける。
「あの……ここから東にある穀倉地帯って、一体どんな方が治めているんですか?
小麦市場に用事があって何度か足を運んだことはあるのですが……領主がどうのという話はとんと耳にした覚えがないのですが……?」
その声に対し「うぅん」と唸った領主は、机に向かったまま答えを返してくる。
「あそこは王家の直轄地だから領主はいないよ。
代官という形で王家から派遣されている方は居らっしゃるけども……だからまぁ、実質的には大公領ってことになるかな」
大公。王家にあって王ではない、王位継承権を持つ人物に与えられる称号。
王の次に地位が高いと言っても過言では無い称号を持つ者が管理しているのだと聞いてメイドは、傾げていた首を更に傾げる。
「大公領……ですか。
いくら国内随一の穀倉地帯とはいえ、収量も治安も安定している所に、わざわざ大公を派遣とは驚きましたね。
……重要と言えば重要な土地なのでしょうが、王都からはかなりの距離がありますし、こんな所に大公がいても身分に相応しい仕事がないような……」
その言葉を受けて、居心地悪そうにもぞりと尻を動かし、小さな咳払いをした領主は、少しの躊躇の後に、小さな声を上げる。
「この辺りはとても安定している。
西の隣国とは数十年来の友好関係が続いていて……反乱だとかそういった不穏な話もなく、モンスターの数も他所と比べるとうんと少ない。
アイシリアの言う通り、わざわざ大公殿下を派遣せずとも、直轄領だからと陛下直属の役人を派遣するなりしたら良い話だ。
……では何故大公殿下を派遣しているかというと……まぁ、その、なんだ。
王都に居られては困るというか、遠くに置いておきたいというか、そういう人を安定地に置いて、わずかな雑務に縛り付けておこうという……そんな理由がある……のかもしれない。
アイシリアが大公殿下の評判や人となりを聞いたことがないのもそのせいなのだろう……。
領主ならまだしも、大公殿下の悪口というのは……公の場はもちろんのこと、酒場で口にするのも憚られるからな」
「……えぇっと、それはつまり、その大公について何かを語ろうとすると、その全てが悪口になってしまうと、そういうことですか?
褒めるべき所は何一つ無いと? 悪口以外に評する方法が無いと?」
「そ、そこまでは言っていないぞ!?
そんな不敬なこと、まさかまさかまさか……心にも思ってもいないさ。
当然褒める所もしっかりとある御方だ。大公殿下はその……か、顔が良い」
それきり領主が黙り込み……冷や汗をかきながら執務へと意識を向け始める。
顔が良いだけの大公、王都から追放されるような大公。
それで大体のことを察したメイドは、地図にもう一度、無能との文字を書き込む。
「この周辺一帯どこを見ても無能だらけ……。
無能しかいないことを嘆くべきなのか……無能しかいないのに安定していることを喜ぶべきなのか……。
この国はそんなにも人材が枯渇してしまっているのでしょうか……?」
文字を書き込むなりそう言ったメイドに対し、領主は少しだけ声に力を戻しながら反論をし始める。
「た、たしかにボクは無能だ。そう言われても仕方のない人間ではある。
だがそれでも、隣国との社交外交や事前折衝やといったこの国の窓口としての仕事はしっかりとこなしている訳で……そ、それなりに役目は全うしているんだぞ?」
「確かにアナタは外面が良いと言いますか……儀礼や外国語、外国文化にも造形の深い文化人ですからね。
芸術全般に秀でていることもあって、西国に足を運ぶたびに大歓迎されていますし……その点はわたくしも認めざるを得ませんね。
南の無能は無能で一応貿易においては優等生みたいですし……どうしようもない無能ではなく、何処かしら認めるべき所がある無能達だということですか……。
……ちなみに大公には顔以外にそういった優れた点はあるのですか?」
「んん……い、いや、うん、そうだな。
顔が良い……からその、異性からの人気は高いかな。
他はからきしというか、なんというか……客観的に冷静に見て、芸術的才能全てを失ったボクよりも……アレというか、なんというか……ひ、ひどいかもしれない。
そもそも王家の人間が顔を理由に人気になっても困るというか、それで女性に手を出されても困るというか……。
あの人に言い寄れば簡単に王家に入れるなんて噂されて、数え切れないほどの異性に言い寄られて……その全てに手を出しまくった結果、王都を追放。
言い寄っていた女性達も、王都を離れるのは嫌だと、そのほとんどが殿下を見限ってしまって……今殿下は、唯一側に残ってくれた女性と結婚して……二人で手を取り合いながら数え切れない程の庶子達を育てているそうだ。
ああ、うん、そうだな、そうやって我が子をしっかりと育てている点は、認めるべき点……かもしれない。
そんなのは当たり前のことだろうと言われてしまうと、その通りなんだが……」
庶子。本妻以外との間に生まれた子供。
それが数え切れない程……。
それらの情報を嫌々飲み込んだメイドは、最後にと領主に質問を投げかける。
「ちなみにその大公は今おいくつなんですか?」
「……確か今21歳だったかな。
ちなみに庶子の最年長は7歳か8歳か……まぁ、そのくらいだ」
領主のその言葉の直後、メイドは嫌々飲み込んだ情報を吐き出さんばかりに大きなため息を吐き出す。
そうした上で地図とペンを改めて構え直し……穀倉地帯の上に書いた無能という字を塗りつぶすかのように『無能の中の無能』との文字を書き記すのだった。
お読み頂きありがとうございました。
ちなみにですが大公の子供たちは、奥さんの深い愛のおかげで幸せに暮らしています。




