新農法?
まさか泥まみれの不審者と言われても仕方ない人物が領主だったとは。
そんな驚きを懐きながら女性は、領主が身支度を整えるまで客間で待っていて欲しいと促されて、客間のソファに腰を下ろし……ほっと息を吐き出しながら周囲を見回す。
高価そうな家具に、手の込んだ内装に、売ったらいくらくらいになるのだろうかという絵画に、工芸品に。
特に絵画は素人が見ても素晴らしいと分かる出来で、思わず目を奪われてしまう程のもので……学校で同じ出来の絵画を目にしていなかったら、こんな風に落ち着いてはいられなかっただろうなぁと、女性はそんなことを思う。
先程顔を合わせた領主が私財で設立、運営をしている学校には領主が自ら描いて寄付してくれたという絵画が何枚も廊下に飾られていて……それらを毎日のように目にしていたからこそ、こうしていられる、声を上げずにいられる。
初めて目にしたなら思わず立ち上がり、感嘆の声を上げながらもっと近くで見たいと思うような、それ程の魅力がその絵画にはあった。
麦畑で働く人々、晴れ渡る青空、実った麦穂。
それはありふれた、この国の何処でも見る事のできる光景を絵にしたものだったのだが、言葉には出来ないそれ以上の美しさが絵の中に封じ込められていて……女性は改めて領主への尊敬の思いを強くする。
メイドの件や娘の件と、多少の問題がありはしたが、善良で芸術的な才を有していて、学校などを設立する篤志家でもあり……一般に貴族と言われて想像する貴族とは全く違うその在り方を思えば、メイドなどのことは小さなことなのかもしれない
「いやはや、お待たせいたしました」
女性がそんなことを考えていると、客間のドアが開かれて姿を見せた領主がそう声をかけてくる。
「ここの主パーシヴァル・ハーネットです。この度はわざわざご足労いただきありがとうございます」
柔和な表情で静かな声で、青髪のメイドを後ろに控えさせながらそう言った領主に対し、女性は慌てて立ち上がりながら、声を返す。
「か、過分なお言葉こちらこそありがとうございます!
わ、私はベアトリクス・フランクリンという名の者で、領主様の学校にて農学の研究をさせていただいております!
ほ、本日はそちらに関する感謝とご報告と、それと麦畑の調査をさせていただきたく……さ、参上いたしました!」
そう名乗った女性に対し、領主はピクリと眉を動かす。
家名持ち。
この国では平民でも家名を持っていることはあるにはあるのだが大変珍しいことだった。
規模の大きい商家か優秀な魔法使いか、あるいは腕の立つ傭兵か……家名を世に広げ、それを子孫に継ぐ必要のある者だけが名乗るもので、家名があるということはつまり、この女性がそれなりの家の生まれであることを示している。
そもそも王都から招牌した学者であるのだから、家名があることそれ自体はおかしくはなく、学校からの報告でそういった名前の女性が学校に来てくれたこと自体は既知であったのだが……まさかその女性が、それなりの高齢だと思っていた女性がこんなに若い女性だったとはと、領主は内心で驚いてしまう。
だがしかし、驚くことそれ自体がベアトリクスに対しての失礼に当たると自制した領主は、そのことを表に出すことはなく、至って冷静に足を進め……ベアトリクスと向かい合う形でソファに腰を下ろす。
そうして領主が座るように促し、ベアトリクスは慌ててソファに腰を沈めて……そうしてから領主の背後に立つメイドを見やる。
領主の嫡子にお母様と呼ばれた女性、人間離れした美しさを持っていて……その気配というか、身に纏うオーラのようなものも、人間のものとは思えない程に力強い。
これほどの女性がどうしてこんな辺境でメイドなどやっているのだろうかと、そんなことを思いながらベアトリクスは……確かに気になるが今はメイドのことよりも、と視線を領主へと戻し……ゆっくりと口を開く。
「あ、改めてお礼を言わせてください。
過分な待遇と環境を与えてくださった上で、かなりの予算を頂いた上での好きな研究をさせていただいて……学者としてこれ以上を望むことはないというくらいに私の最近は充実しています。
それも全てはご領主様の善意あってのこと、とてもありがたく―――」
と、そう言葉を続けてベアトリクスは、領主に対してのおべっか……美辞麗句を口にしようとするが、それを察した領主が表情をやんわりと変えて、すっと手を上げて、それ以上は必要ないと態度で示してくる。
「こちらが我儘をいってこんな辺境にまで来て頂いたのですから、それ以上の言葉は必要ありません。
それよりも本日は何かご報告があるとか?」
更に領主はそう言ってきて……折角用意しておいた言葉が無駄になってしまったと残念がりつつも、面倒がないのはそれはそれでありがたいと、笑顔になったベアトリクスが言葉を返す。
「はい!
と、言っても今回のご報告はご期待をいただける程立派なものではありません。
過去の記録……農学史を改めて研究した結果、継続的な作物の収穫には大地の力が重要で、その大地の力をどう蘇らせるかが重要だということを再認識するに至りました。
ではどう蘇らせるかを調べまして、その方法として畑そのものを休ませる、肥料で大地を肥えさせるなどの方法があることが分かったのですが……。
更にもう一つ、今回領主様がなさったような、特定の植物を利用することで大地を肥えさせられるのではないかという、そんな仮説を百年と少し前に唱えた方がいらっしゃったという記録を見つけたものでして……それが今回こちらの畑で行われている農法に良く似ているなと思い、こちらに立ち寄らせていただきました」
と、ベアトリクスがそう言うと、領主はベアトリクスが思っていた以上に驚き、食いつき、思わずその場から立ち上がらん勢いでぐっと上半身を前に押し出し、声を上げる。
「き、君とはまた別の農学者からの報告で、ま、豆を……豆を麦畑で育てると良いのではないかと言われて、試していたのだが……まさかその仮説でも豆が、豆が良いと唱えられていたのかね!?」
その声を受けて小さく怯んだベアトリクスは……表情を強張らせつつも、顔を左右に振って言葉を返す。
「い、いいえ、いいえ、いいえ。
そ、その方が唱えたのはクローバー農法です。
休耕中にクローバーを植えて家畜に食べさせていると、不思議と畑での収穫量が上がるというもので、この方はクローバーを食べた家畜の糞が良いのではないかと、研究を進めていたようでして……」
そんな言葉を皮切りに、始まったベアトリクスの報告に領主は、目をくわりと見開いた状態で夢中になり……ベアトリクスが更に怯む中、何も言わずに静かに耳を傾けるのだった。
お読みいただきありがとうございました。




