争いは同じ程度の……
ハーネット領の南方にあるその一帯を治める領主は、ハーネット領とパーシヴァル・ハーネットに対し並々ならぬ感情を抱き続けていた。
無能だったはずなのに、ろくでも無い政策を行う最悪の領主だったはずなのに、なんだってアイツはあんなにも恵まれているんだ、と。
工夫することなく、研究も努力も必要なく作物がよく育ち、暑さに弱い家畜がよく育ち、群を抜く生産量を誇っていて……だというのに税収は微妙で。
恵まれた立地にありながら無為無策、もっと豊かになれるはずなのに無為無能。
そんな馬鹿が領主であり続ければ、ハーネット領はあっという間に破綻し、王家に目をつけられての領地没収、家名断絶……という結末を迎えるはずだったのだが……それがどうして、なんだってまたあんなことに……。
ハーネット家が没落したならば、王家の覚えめでたい自分にこそあの一帯が与えられるはずで、自分のように有能な男が管理したならば、あの一帯を更に更に富ませることが出来るはずで……。
それこそが民の為、国の為、未来の為に最良の結果であったはずなのだが……あと一歩でそうなるという所で、あれこれと手を回していた策がいよいよ成就するという所であの家宰が……突然現れた目を奪われる程の美人の家宰がその全てを無効にし、ハーネット領を立て直してしまった。
……そんなこと許されるはずがない、許されて良い訳がない。
優秀な人間は優秀過ぎる程に優秀な自分の下にこそ集まるべきで、それがなんだってあんな無能で馬鹿で、何一つ優れたところの無いやつのところに行ってしまったのだ、どうして自分の邪魔をしてくるのだ……。
実際のところ、ハーネット領の農夫、牧夫達は、ハーネット領なりの代々受け継がれてきた農法を駆使しており、パーシヴァルの支援を元に様々な研究も行っており……それなりの苦労と努力をしているのだが、男の目にはそういった事実は一切写り込まず、ただただパーシヴァルへの嫉妬心だけを膨れ上がらせていく。
そんな嫉妬に支配されてしまった男は、王家に対し何度か……パーシヴァルが如何に無能な男なのか、如何にこの国に害を与えているのかを上申してきたのだが……礼儀作法に優れ、見栄えする所作を有し、相手を思いやる慈悲の心を持ち、その芸術的才能でもって王家に関する様々な……その忠誠心がそのまま形になったかのような完成度を誇る絵画、彫像、彫金作品を献上しているパーシヴァルに対しての王家の好感度は、異常と言って良い程に高く、それらの上申が聞き入られることはありえなかった。
王家からするとたとえ税を納めなくとも、たとえ領地経営が破綻してしまったとしても、所詮は田舎の辺境地。
最初から税収にも兵役にも期待はしておらず……現実以上に美男美女に、力強く美しく、一切の欠点なく描いてくれる作品を献上してくれさえすればそれで良かったのだ。
王家に媚びへつらおうとかそういった想いでそうしているのではなく、その純粋な忠誠心から、パーシヴァルの目には王家の面々がそう写り込んでいたからそう描いていただけということも、王家にとってはとても喜ばしいことだった。
その上かの氷竜が味方になっているとなれば……王家としてはたとえ他の領主達がそのことを不満に思って反乱を起こそうとも、ハーネット家に味方し続けることだろう。
それらの情報を入手してもその男は、王家の目は腐っている、氷竜などいるものか……と、自らの屋敷を氷漬けにされても尚、そう思い込み続けて……一切懲りること無く考えを改めることなく、今日も今日とてどうやってパーシヴァルを失墜させてやろうかと、そんなことにばかり思いを馳せるのだった。
「……まったく、何をどうしたらそんな馬鹿な考えに到れるのやら。
そもそもコチラとソチラは持ちつ持たれつ、それぞれの生産品である農作物や加工品を毎日のようにやり取りすることで成り立っているはずなのですが……」
領境いの森の中の、ある巨木に背を預けながらそう呟いたアイシリアがため息を吐き出すと、目の前にたっていた老齢の白髪男が申し訳なさそうにペコリペコリと頭を下げながら言葉を返す。
「まったくもっておっしゃる通りで……。
下々の者達からすれば、アイシリア様のおかげで北方が安定し、様々な品が安く買えるようになり、日々の食卓が賑やかになり、相互繁栄全くありがたいばかりなのですが、領主様には分かっていただけないようでして……。
ああ、こちら謝罪金になります……お屋敷以外に特に被害が無かったことは大変ありがたく、兵士達も一応生きている形で返していただけたので、こちらを受け取って頂きたく……」
そう言いながら白髪男が袋を、金貨を詰まった袋を差し出すと、アイシリアはそれを受け取り……抱いていた殺気をいくらか和らげる。
「わたくしとしてもいらぬ諍いは望むところではありません。
こうしてわざわざ事情を説明してくれた上に、謝罪していただけるならばこれ以上どうこう言うつもりはありません。
……ですが、何度も続くようだと、流石になんらかの手を打たざるを得なくなりますよ?
そちらの領主を説得するなり教育するなりして、二度とこういったことが起こらないようにして頂きたいものですね」
「……そう出来ればと日々苦言を呈してはいるのですが中々……。
上手くいかないと言いますか、難しいものでして……」
「それをどうにかするのが貴方の仕事でしょうに」
「お言葉ですがアイシリア様……。
アイシリア様のほうでハーネット様をこう、一定水準以上と言いますか、普通くらいにと言いますか……その程度まで押し上げていただければ、あるいは我が主も、おかしな嫉妬を抱かずに済むかと思うのですが……」
「そんなこと出来れば苦労はしません」
「……それは私も同様でして……」
白髪男のなんとも弱々しい視線を、その言葉を受けて「ぐむっ」との唸り声を上げたアイシリアは、空を見上げて深く息を吸い込み……そうしてアイシリアと白髪男は二人同時に、同様の想いがこもったため息を、大きく吐き出すのだった。
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