春にすべきこと
ユピテリアの問題が解決し、ユピテリア達だけで外を出歩いても問題無いだろうとなって……そうしてメイドは、春になったら絶対にやろうと決めていた領内の巡回を始めていた。
領内の家々を一軒一軒、一つ残らず訪問し、冬をしっかり越えられたかの確認をし……その家のありとあらゆる布という布を洗濯させるための巡回を。
……どうしても冬になると、その寒さから洗濯を怠る家が出てきてしまう。
洗濯を怠り不潔な服を着続けているとどうなるかというと……服に虫が住み着き、どんどんと数を増やしながら、人の血を吸い……場合によってはそれが原因で重い病にかかることもあった。
冬は寒さをなんとかしようと重ね着をするものだから、重ねた服全てに虫がついてしまって……そこから家中の布という布に虫が移ってしまって、見るに堪えない無惨な有様になってしまうことがあった。
そうなったらもうその家中の布を洗うしかなく、布という布を洗うことで虫を殺すしかなく……綺麗好きであり、虫嫌いでもあるメイドは、そのための洗濯を領内の人々に徹底させようとしていたのだ。
幸いにして領主が雇った者達に作らせているハーブ入りの石鹸を使いさえすれば、そういった虫を駆除することは容易で……毎日毎日使っていればその香りを嫌がるのか、自然と虫達は寄り付かなくなってくれる。
その石鹸は領主がその材料費を負担することで格安で販売されているし、洗い場もしっかり整備しているし……後はただ領民達がやる気になれば良いだけだった。
もう春になった。
暖かくなった、水も冷たくなくなった。
ならば洗濯を嫌がる理由は無いはずと、メイドは一軒一軒、しっかりと丁寧に見て回り……家の状況を、住民の状況を確認していく。
領主の屋敷の近所に住まう領民達は、普段から領主やメイドと接しているだけあって、言わずともそこら辺のことをしっかりやってくれている。
領主は常に小綺麗な格好をしていて、その肌も毎日のように石鹸で洗っていて……洗った後の肌に、香油を塗って手入れをすることも忘れていない。
そんな領主を毎日のように見ているからか、自然とそれを真似るというか、領主のようにあろうと努力するようになるというか、領主の姿こそを『普通の姿』と思って何も言わずとも努力をしてくれるようになっていたのだ。
問題は遠方……領主やメイドと中々会えない地域の者達となる。
そういった地域となると代官であっても、それなりの商人であっても小汚い格好をしていることが多く、領民達の模範としては全く論外な状態にあった。
そんな状況をなんとかしようと、去年の春先もメイドは巡回と徹底指導を行っていたのだが……果たして今年はどうだろうか?
……去年の指導を受けて少しは改善してくれただろうか?
少しでも良いから改善してくれていれば良いのだが……と、そんなことを考えながらメイドが街道を、物凄い速さで駆けていると、早速領民の姿が……遠方の住まう人々の姿が視界に入り、それを受けてすっと足を止めたメイドは、領民達の姿をじぃっと見やる。
畑を起こしているのか鍬を手に持っていて、あるいは馬に鋤を引かせていて……そうやって働く人々の顔をよく見てみれば、残念ながら薄汚れてしまっていて、メイドは小さなため息を吐き出す。
綺麗な肌とはいかなかった、服もあまり状態が良いとは言えないようだ。
一目でそう判断したメイドが、今年はどうやって彼らを指導したものだろうかと、そんなことを考えながら足を進めていると……そんな人々の方から土の匂いに混じってふんわりとハーブ入り石鹸の匂いが漂ってくる。
(……おや? これは……?)
気の所為だとか、勘違いだとかではなく、石鹸の匂いは確かに力強く香っていて……それを受けてメイドは、改めて畑仕事に精を出す人々のことを観察する。
確かに顔は薄汚れているが、それはどうやら土汚れであるようだ。
土に汚れていない所を見れば、肌艶はよく、張りも良く、荒れた様子は全く見受けられず……虫に刺されたようなあとも見当たらない。
服が汚れているのも、畑仕事や家畜の相手をしたからのようで……メイドは自らの早計な判断を悔いて反省し……心の中で目の前の彼らに謝罪しながら足を進め、穏やかな声をかける。
「こんにちは。
今年も様子を見に来ましたが……どうですか? 冬の間に何か問題はありませんでしたか?」
すると畑仕事をしていた領民達は、その声に驚き、戸惑いながらも居住まいを正し、そうしてから声を返してくる。
「へ、へぇ。
特に問題もなく、こうして春を迎えられました。
アイシリア様の教えに従ったおかげか、寝床で痒みに襲われることもなくなりまして……家の妻も子供も、父母も皆元気に過ごさせていただいております。
ちょうど今頃は、村の洗い場で近所の者共と洗濯をしてる頃かと思います」
「うちも問題ねぇです。
寒い中の洗濯は正直大変でしたが……おかげで皆病気知らずで、秋頃に生まれた赤子も元気に育ってます」
「うちは馬も牛も石鹸で洗ってやってるんですがね、おかげで馬小屋の虫もうんと減ってくれまして……本当に助かっております」
その言葉を受けて、わずかに口元を動かし、小さな笑みを浮かべたメイドは「うんうん」と頷きながら領民達の言葉に聞き入る。
「村の者共も教えにしたがって皆洗濯はしておりましたし、運悪く風邪を引いちまった家の洗濯は、村の皆で引き受けてやる形で進めました。
この辺りで洗濯をしておらんのは……代官様くらいのもんですかねぇ」
笑みを浮かべながら何度も何度も頷いていたメイドだったが、その言葉を聞いてぴしりと硬直し、物凄い表情となり「代官が……?」と冷たい声で聞き返す。
「へ、へぇ。
だ、代官様はその、あんまり汚れ仕事とか、水仕事とかをなさらない方でして……。
冬は備蓄の季節だって金を使うのを嫌がって人を雇うこともなさらねぇんです。
……あ、アイシリア様に怒られますよって、わしらも声をかけはしたんですが……ハーブ入り石鹸で虫が逃げるなら、ハーブの香でも炊いていれば同じことだと、その……冬場は一度も洗濯をなさらなかったんじゃないですかね」
そんな報告を受けて、メイドの表情から笑みが完全に消え去る。
氷のような表情となって、話を聞かせてくれた領民達に一礼をして、トントントンとそのつま先で軽く地面を蹴って……ガスンッと地面を蹴って大きく飛び上がる。
そしてその勢いのまま、代官の家の方へと飛んでいくメイドの姿を見た領民達は……ぶるりと春に不釣り合いな寒さに身震いをしてから、代官の家から視線をそらし……自分達には関係ないことだと、畑仕事を再開させるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
代官という名のやられ役。




