ドラゴンの父娘
領主が子馬の持ち主に、ユピテリアがちょっとした変化を与えてしまったことに対する謝罪と、子馬の買い取りに関する交渉をしていた頃。
今回もまた窓から屋敷の外へと飛び出したアイシリアは、背中に生やした翼でもって一気に飛び上がり……北の山の頂上、アイシリアの父でもある氷竜の住まう巣へと向かっていた。
冬が終わり春となっていくらか冷気が緩んだものの、まだまだ雪が残り寒さが残り……春とは到底思えないような光景が広がる山を、翼によって巻き起こす魔力でもって上へ上へと登っていって……そうして見えてきた氷の円柱に囲われた氷の宮殿とも言える氷竜の巣は、いつになく魔力に満ちてまるで夜空の星々のように煌めいていた。
それはつまり巣の主である氷竜もまた魔力に満ちているということで……いつも以上に元気になってしまっているということで、その煌めきを見て小さな舌打ちをしたアイシリアは、なんとも嫌そうな表情をしながら氷竜の下へと、翼を振るって突き進む。
すると氷の寝床の上にその体を鎮座させ、これでもかと煌めかせている氷竜がなんともいい笑顔でアイシリアを出迎えてくれて……それを見たアイシリアはその表情を更に悪化させて、そうしてから後ろへと振り返り、屋敷へと帰ろうとする。
『ひ、一言もなく帰ろうとするのはいくらなんでも酷くはないか?』
そんなアイシリアの後ろ姿に氷竜がそう声をかけてきて……アイシリアはため息を吐き出しながら再度振り返り、短い言葉を投げ返す。
「どうも」
アイシリアのそれによく似た翼とよく似た尻尾、よく似た色の鱗を構える氷竜は、それを受けてなんとも言えない表情をするが、とにもかくにも娘が帰ってきてくれたと……あの娘が自分を頼ってきてくれたんだと、表情を綻ばせる。
『う、うむ、おかえり。
下界での生活を楽しんでくれているようで父さんは嬉しいよ。
直接の繋がりは無いものの、孫娘まで出来たようで……そんな日々を見させてもらってるおかげか、この氷竜は世界創生以来の幸福に満ちていて、ほれこの通り魔力にも満ち溢れている。
今であれば新大陸の一つや二つ、ぽんと生み出せるかもしれないな』
「……覗き趣味ですか、最低ですね」
出来るだけ友好的に、父親らしくあろうとする氷竜に対し、アイシリアは冷たく……ある意味とても娘らしい態度を返し続ける。
年頃の気難しい娘と父の何とも言えないやり取りを彷彿とさせるそれは、氷竜にとって新鮮なもので……悪くは無いと思えるものだったが、そうは言ってもアイシリアの冷た過ぎる、にべもない態度は強烈で……それにどう返したら良いものかと困ってしまい、どう返すのが最適なのか悩んでしまい、氷竜は言葉の出だしでいちいち躓いてしまう。
『……の、覗きとは心外だな。
私は私の義務として……かの領主君との約定を守る者として外界を見守っているだけで、そんな下衆な思惑でやっている訳ではないと、君も知ってのことだろう?』
「さて……。
バスタイムの際、除き対策として氷の結界を張って、誰かの視界と魔力を撹乱、遮断はしていますが……見守るだけの誰かはどうしてそんな場面まで覗き見ようとするのでしょうね?」
氷竜の言葉に対し、アイシリアはそんな言葉を返して……それを受けた氷竜は一瞬だけ動揺し、すぐに居住まいを正して澄ました表情を浮かべる。
実際の所、氷竜にそういった欲は欠片も無く、ましてや相手は自分の娘で……件の場面を覗きかけたのはただの偶然、たまたまそこに魔力と視界が向かってしまっただけのことだったのだが……そんなことを言ってもアイシリアは納得しないだろうし、ここで下手なことを言ってしまってもやぶ蛇にしかならないだろうと判断して、氷竜は澄まし顔でただただ黙り続ける。
「まぁ、その件に関しては未遂だったので良いです。未遂でなかったなら即座にこの地を襲撃していた訳ですから今更どうこう言うつもりはありません。
それよりもユピテリアの件……どうせ見ていたのでしょうから説明は必要ありませんよね?
なんとかしてください」
それを受けて氷竜は澄まし顔のまま、何処か余所へと視線を向けてから口を開く。
『なんとか……か。
正直な所を言うと、私がアイシリアを育てた中でそういったことで困ったことは一度としてないのだよ。
何しろ巣がここだ、他に何者も存在しない、極小の目に見えぬ生物すらわずかにしか生存できない極地だ。
こんな場では影響も何も無い訳だからな』
その言葉を耳にするなりアイシリアはまたも振り返り、巣から帰ろうとし始め、それを見た氷竜は慌て気味に言葉を続ける。
『困ったこともないし、対策もしなかった訳だが!
対策を考えておかなったという訳ではない!!
あの領主のように山を登ってくるものがいない訳ではないし、時たま大きな鳥が迷い込むこともあるにはあったからな!
……その答えはとても単純なものだ、先程君が口にしたように結界でもって魔力を撹乱してしまえば良い。
とは言え氷の結界でそうしたなら……牢獄に押し込んでしまうようで気が咎めてしまうことだろう。
……と言う訳で、だ……うん、父親らしく、この私がこの私の魔力でもってちょうど良い結界を作りだしてくれる、良い品を作りあげてやるとしよう』
そう言って氷竜はその大きな頭を持ち上げ、長い首をうねらせる。
首をうねらせ大きな顎をぐわりと開けて……巣全体と己の体に満ちていた魔力を一息に吸い上げて……吸い上げた魔力を凝縮させ、凝縮させた魔力を一つの宝石に……氷のようにも見える、完全に透明で一切の汚れの無い完璧な宝石へと変えて、その口からころんと吐き出す。
「うわぁ……」
それを受けて氷竜の方へと……宝石の方へと向き直り、露骨なまでに嫌そうな顔をし、これでもかと低い声を上げるアイシリア。
『……いや、うん。
そういう反応は止めてくれるかな? 私は食事をしない訳で内腑も無い訳で……君が汚く思うような体液とかそういうのは存在しない訳だから……この結界宝石もまた汚くないんだよ?』
そんなアイシリアに対し、氷竜はそう言ってからがっくりと項垂れる。
項垂れる氷竜を見て溜飲が下りたのか何なのか、気持ちすっきりとした表情をしたアイシリアは……手の中に、その宝石をつまみ上げるのにちょうど良い、氷で出来たパンはさみのようなものを作り出し、巣に転がるそれをちょいと拾い上げて……じっくりと見やる。
「……いや、本当に近くで見るとなんて言ったら良いのか……。
ばっちいですね、これ」
『ばっちい!?
普段の君はそんな言葉使わないよね!?
どう見たって綺麗な宝石だろう!一切の歪みも淀みもない、究極の氷といって良いくらいに綺麗な宝石なはずだよ!!
そ、そうだ、あの領主君なら分かってくれるはずだ! 彼の審美眼は大陸一と言っても過言ではないからね! 彼ならばきっとそれを美しいと評してくれるはずだ!』
との氷竜の言葉を受けて、形勢不利と見たのかアイシリアは大きな舌打ちをしてから振り返り……パンはさみで宝石を挟んだまま巣を後にしようとばさりと翼を振るう。
多少は別れを惜しむ気持ちがあるのか来た時よりもゆっくりと巣の外へと向かい進んだアイシリアは……小さい声ながら氷竜に聞こえるように一言、
「ありがとうございます」
と、そんな言葉を口にする。
するとアイシリアの後ろ姿を眺めていた氷竜は、先程よりも大きな幸福に包まれ……その幸福が魔力を産み出して、先程凝縮した魔力を吐き出したばかりだというのに、アイシリアが巣に来る前以上の煌めきに包まれる。
その気配をなんとなく察したアイシリアは……面倒くさいことになるまえに屋敷に帰ろうと、翼を激しく力いっぱいに振るい……凄まじい速度で山を降りていくのだった。
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