季節外れの
アイシリアが飛び去ってからも祭事は盛り上がり続けて、人々の笑顔は溢れ続けた。
それはパーシヴァルが皆を楽しませようとダンスや歌を披露したからであり……人々はその洗練された技に目を奪われ、笑顔を浮かべ続けていたのだ。
ある意味での主賓がこの場を去っても楽しめるように、皆ががっかりしてしまわないように。
そんな想いでもって領主は歌い続け、舞い続ける。
毎日欠かさず鍛錬しているとはいえ、不摂生な身体にそれは中々の負担であり、夏ということもあって領主の全身からは汗が吹き出し……汗と共に活力が流れ出し、領主の体が弱り始めた頃……祭事の場をふんわりと柔らかな冷気が包み込み。
と、同時にアイシリアが空から舞い降りてきて、すたりと人の円に囲われていた領主の側に着地し、その汗をハンカチで拭い……何処から持ってきたのかコップ入りのレモネードをかなり強引に飲ませ始める。
「ま、待てっ、ま、まだ歌の途中―――」
そんな領主の言葉を完全に無視しコップを押し付けるメイド。
その顔は真っ赤に染まり、その身体はふるふると震えていて……領主がつい先程まで、氷竜を……北の山脈に住まう氷竜とはまた別の、まるで自らにとって身近な存在だと言わんばかりの氷竜を褒め称える歌を、高らかに歌っていたことが余程に気に入らないらしい。
息が切れていた所に飲み物を流し込まれ、普通ならばむせ返りそうなものだが、そんなことは全く無く、メイドの見事な手腕でもってしっかりと腹の底へと流し込まれていって……そうして一息ついた領主は、ため息を吐き出しながら空となったコップを押しやり、一息つく。
「無事に済んだのか……?」
領主がそう尋ねるとメイドは、赤らめた頬を落ち着かせながら、
「はい」
と、それだけを返し、領主の後方へと控える。
メイドがそう言うのであれば問題無いのだろう……家畜泥棒も己の愚かな行いを反省し帰路についたのだろう。
そう考えて領主は人々の方へと向き直り、洗練された所作にて手を振り上げて……、
「本日の祭事を山脈に住まう氷竜様もお喜びになられているようだ!
ただ喜んでいるだけでなく我々の体調にまで心配りをし、山脈の冷気を贈ってくださった氷竜様に感謝しながら、今日という日を存分に楽しもうではないか!!」
との大声を上げることで場を仕切り直し、人々の気持ちを盛り上げてやって……盛り上がる人々の間をすたすたと、自然な流れで縫うように歩いていく。
そうやって祭事の中心を離れて、会場の中をゆっくりと歩き進めながら領主は、メイドだけが聞き取れるような小声で言葉をもらす。
「……家畜たちと牧夫は無事か?」
「はい、一切の被害は出ていません」
「そうか……それは何よりだ。
家畜泥棒たちはどうだ? 己の行いを反省し、更生できそうだったか?」
「……己の愚かさを深く後悔し、心折れ、二度と立ち上がれないことでしょう」
「……えーっと……何か誤解があるというか、質問が上手く伝わっていない気がするのだが……その、なんだ……家畜泥棒たちは無事なのか?」
「生きてはいます」
「……ぶ、無事なのか?
まさか家畜泥棒程度のことで、ひどい目に遭わせてはいないだろうな?」
「……呼吸はしていましたし、怪我も無いです。
ああ、あと、心の臓もちゃんと動いていました」
その答えを受けて領主は腕を組み、首をぐいと捻り「うぅーん」と唸り声を上げる。
質問が上手く伝わっていないのか何なのか、どうにも話が噛み合っていない気がする。
何かをはぐらかされている気がする。
……そもそも冷静になって考えてみると、あのアイシリアがただの家畜泥棒達を取り押さえたにしては、妙に時間がかかってしまっているような気がする。
もうそろそろ夕刻、自分もかなりの時間踊っていたし、歌っていたし……それだけの長時間、アイシリアは一体何をしていたのだろうか?
「……アイシリア、泥棒たちを取り押さえる以外に、何かこう、余計なことをしていなかったか?」
そう領主が尋ねると、アイシリアは静かに落ち着いた声を返してくる。
「レモネードを作っていました」
「ああ、うん。まぁそれはそうなんだろうが……」
「レモネードのために蜂蜜を取りに行っていました」
「……まぁ、そうだろうな。
そう言えばレモンは何処で……?」
「当然レモン農園で」
「……まだ収穫時期ではないよな? まだまだ実がなり始めた頃ではないか?」
「この辺りでは確かにそうですね。
ですが少し離れた……何処ぞの農園であれば青い実がなっていましたよ」
「……そ、それは何処なんだ?」
「さぁ?
……ああ、もちろんしっかりと対価は払ってきましたので、ご安心ください」
と、そう言ってメイドはこれ以上話すことはないと言わんばかりの冷気を飛ばしてきて……領主もそれを察し口をつぐむ。
実は泥棒をけしかけたのは、あることを理由に嫉妬に狂った隣領の領主で、去年も今年の泥棒も領主が雇った騎士や騎士くずれの連中で、二度とそんなことをしようと思わないようにとメイドが隣領まで足を運び、領主の屋敷を中にいる人々が死なない程度に氷漬けにしてきたのだが……その程度のことはわざわざ知らせなくて良いことだろうと、メイドは何も語らない。
「……まぁ、夏ですし、氷はすぐに溶けてくれることでしょう」
領主に聞こえないようにそんなことを呟くメイド。
溶けたら溶けたで凍ったことで歪んで軋んだ屋敷がひどく痛むだとか、水浸しになるとかの問題があるのだが……その程度のことは些細なこと。
氷塊で押しつぶすよりは穏便で、優しい手段だったろうとそんなことを考えたメイドは……今日のディナーは何にしようかと、せっかくレモンがあるのだから、レモンステーキはどうだろうかと、何より重大かつ深刻な使命に頭を悩ませるのだった。
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