牛馬の……
山から暖かい春風が吹いてきて、本格的な春となり……領内のあちらこちらから木を伐り倒す音や、新しい井戸や塀を作る為の石切り音や、畑を耕す際に口にする歌声が響いてきて、なんとも賑やかな雰囲気となる中……屋敷のすぐ側、玄関を出て門を出て少し歩いた程度の距離の場所から、何匹もの牛や馬の声が響いてくる。
一体何を話しているのか、絶え間なく響いてくるその声を耳にして、屋敷の窓からひょこりと顔を出したユピテリアは……その光景を遠目にみて「わぁ」と声を上げる。
数え切れない程の牛や馬達が闊歩しているそこは、去年までは何種かの野菜が植えられていた畑のはずで……その光景をじぃっと見つめたユピテリアは、どうしてあそこに牛や馬がいるのか、どうしてあそこを耕していないのかと、そんな疑問を胸に駆け出し、領主の執務室へと駆け込んでいく。
「お父様! お父様!
牛さんやお馬さんがいっぱい畑にいるのはどうしてなのでしょう!」
駆け込んでくるなりそんな声を上げるユピテリアに、領主は振り返って「ああ、その件か」と声を上げて……冬の間に書き上げていた、今年の畑の予定表図の写しを机の引き出しから取り出す。
そうして領主がそれを机の上に広げると、メイドが何も言わずに小さいながら背の高い、ユピテリア用の椅子をすっと用意して……机の側に駆け寄ったユピテリアがその椅子に座ると、領主が予定表図の『休耕地』と記された一帯の上にひとさし指をトンと置く。
「これは領内にある畑の一部……僕が直接管理している畑を記したものだ。
この近所の地図を簡略化したものに、畑を出来るだけ正確な広さで、数を間違えないように描いて……その上でこの畑ではこの作物をこのくらい作りなさいと、そういった指示が記してある訳だね。
そして屋敷の前にあるあの畑は、ここに書いてある通り今年は休耕地にすることになっていてね……休耕地、つまりあの畑は今年いっぱい作物を育てずにお休みする畑、という訳だね。
ただお休みすると言っても、何も植えない訳ではないんだよ。
畑に力を戻してくれるという、クローバーやカブを植えて、その葉や茎は家畜達……馬や牛に食べてもらって、そうして出てきた糞を土に戻して……と、そういう休ませ方をする訳だ。
春に耕す畑、秋に耕す畑、クローバーやカブを植える畑、牧草地……何処をどうするのか、どういう使い方をするのか、農民の皆に任せるという手もあるのだけど……そこら辺の判断をしっかりと出来る有力農民は、あえて僕の目と手が届かない地域を任せることにして……ついでに代官の仕事をさせたりもする訳だね―――」
領地と言ってもその全てに領主の目が届く訳ではない。
馬車で二、三日……あるいはもっとかかってしまう遠方の領地もある訳で、そういった場所は代官を置いて彼らに些事を任せてしまうことはよくあることだった。
そしてその人選をしっかりしておかなければ、領主の目が届かないことを良いことに、その代官が好き勝手に不正を働いてしまって大問題となってしまうということもよくあることで……実際去年の今頃、不正を働いた代官の下へとメイドが窓から出撃するという事態が起きてしまっていた。
数日はかかるだろう距離を一瞬で行き来出来るメイドだからこそ、そういった即日の対処が可能だが、そうでなければ調査をするだけでも一苦労で……調査をしようとした領主がその地に到達する前に、証拠の隠滅、農民達への口止め工作などが行われてしまうということも、これまたよくあることだった。
ゆえに領主として領地を任された者は人を見る目に優れていなければならず、時には厳しく時には優しく領民達に接して領民達に恐れられ敬愛され、信頼される人物でなければならないのだが……パーシヴァルには何よりも大事な厳しさが全く、欠片も、ほんの僅かも存在しておらず……その結果が去年の騒動だったという訳だ。
「―――そういう訳だから、当分は騒がしいだろうし、家畜達特有の臭いも漂ってくるかもしれないが、それもまた毎日口にしている食事の為に必要なものなのだから、我慢するようにね」
と、領主がそう言ってユピテリアの方を見やると、ユピテリアは笑顔で「はい!」と頷いて……そうしてぴょんと椅子の上から飛び降りる。
「……お父様!
牛さん達のところにいって、挨拶してきても良い?」
飛び降りるなりそう言ってくるユピテリアに、領主が「良いとも」と頷くと、ユピテリアはおしとやかな一礼をして見せてから……タタタッと、おしとやかとは言い難い仕草で駆けて、廊下に飛び出し「パラモン! アーサイト!」とお供の名を呼びながら、屋敷の外へと駆けていく。
その足音を耳にしながら、まだまだ未熟ではあるものの少しずつ礼儀のなんたるかを覚えてきたな……と、そんなことを思い、感慨深げに頷く領主に対し、椅子の片付けをしていたメイドが声を上げる。
「……ところでよろしかったのですか?
この屋敷の側に休耕地なんてものを作ってしまって……?
確かに以前、牛や馬はその体と魂が大きいからそう簡単にはドラゴンの魔力の影響を受けないとそう言いましたが、この春いっぱいユピテリアの魔力の影響下に置かれた牛や馬がどうなるかなんてことは、わたくしにも予想出来ないのですよ?
農民達の牛馬を、パラモンやアーサイトのようにしてしまうのは問題……ではなかったのですか?」
それを受けて領主は、大口を開けての唖然とした表情をする。
そんなこと忘れてしまっていた、考えていなかった。
もしそんなことになってしまったら一大事だと、何故もっと早くそのことを教えてくれなかったのかと、そんなことを表情で語った領主に対し、メイドは呆れ混じりのため息を吐き出してから言葉を続ける。
「はぁ……。
まぁ……そうですね、ユピテリアが成長し、魔力をしっかりと制御出来るようになってくれたら問題はない訳ですが……あの子がそこまで成長するのが早いか、牛馬達が影響を受けてしまうが早いかは今の所なんとも言えません。
果たしてどうなるのか……どういう結果になるのか、今年の春はなんとも面白いことになりそうですね」
最早他人事。
どういう結果になるのか、どんな影響を及ぼしてしまうことになるのか。
賭け気分で楽しんでしまっているらしいメイドに対し、領主は本日二度目の、顔全体をひくつかせての唖然とし表情をする。
言葉を出せない程に驚き、冷や汗を全身にかきながらそんな顔をすることになった領主は、少しの間の後に頭を抱えて、机の上に突っ伏してから……「ぬぉぉぉぉ!」と苦悶の声を上げるのだった。
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