皆の絵心
それから精霊は良い絵を描けたと満足げに何処かへと帰っていき……そうして領主は絵の具の塊と化したキャンバスと共に一人、庭に残されることになった。
あの精霊と会えて会話が出来た、そして精霊の描いた絵がここに残っている。
だがそれは決して絵とは言えないもので……ただ闇雲に塗りたくられた絵の具の塊でしかなくて、出来上がりに期待していた領主はがっくりと肩を落とす。
そうしてしばらくの間キャンバスの前で肩を落とし続けた領主は……ふと思いついたことがあり、そのキャンバスをイーゼルごと、屋敷の倉庫へと運び込む。
それから自分のキャンバスを片付けて絵描き道具を洗って片付けて……夕食を済ませ風呂を済ませ、ベッドに入り込んで、翌日。
朝食と身支度を済ませた領主は倉庫の中で乾かしておいたその絵の具の塊を再度庭へと運び……小さなナイフを構えてその絵の具の塊を削っていく。
精霊が絵の具を塗りたくる様をずっと見ていた、どこにどんな絵の具がどのくらいの厚さで塗られているのか、その全てを把握している。
把握できている上に領主には卓越した芸術的センスがあり……結果、ただの絵の具の塊だったそれが、余計な部分を削り取られることで一つの芸術品へと昇華されていく。
意図して塗られた訳ではないので、全ては偶然で、出来上がりつつあるそれもただの偶然の代物……絵とは言えない何かでしかないのだが、それでも色合い良くバランス良く、領主の手によって整えられていって……ただの絵の具の塊だった頃とは全く別物の、鑑賞に適したものへと変貌する。
「……うむ、結局絵と呼べる形には出来なかったが、これはこれで味があるというか、いかにも精霊が描いたという佇まいではないか?」
構えていたナイフをしまい、羽箒で削りカスを払い……そうしてから領主が後ろで作業を見守っていたメイドとユピテリアにそう声をかけると……メイドは驚きからか、その目を丸くしていて、ユピテリアは喜びからかその目をキラキラとさせていて……パラモン達もまた、領主へと向けて尊敬の視線を送っている。
「凄い凄い! お父様の手によってゴミが絵画に生まれ変わった!」
目を輝かすユピテリアのそんな言葉に、小さく苦笑した領主は……首を左右に振ってから、静かな声を上げる。
「いやいや、これを作り出したのはやはり風の精霊の王であり、これは精霊が手掛けた精霊にしか描けない絵画なのだよ。
……精霊は余程のことが無い限り人前に顕現してはいけないそうだから、精霊の作品だと外で触れて回る訳にはいかないだろうが……それでも精霊が手掛けた作品が我が手にあるというのは、なんとも光栄で、身が引き締まる思いだ。
……うん、そうだな。この一枚は作者不明の名作として、美術館の方で飾らせてもらうとしようか。
風の精霊の王のもう一つの姿を見るという、本来の目的は達せられなかったが……まぁ、お目にかかることができて会話を出来ただけでも光栄だと思うべきなのだろうな。
美術館の方の準備が整うまでは……そうだな、いつも通り近くの村の長の家などに預けて、領民の皆に楽しんでもらうとしようか」
雪が溶け春がやってきたこの時期、領民達の多くは忙しい日々を送っている。
畑を耕し、作物を植えて、行商にでかけて、山や森に入って。
これからの一年の為のそれぞれの仕事に励み……その忙しさは休む暇も無い程だ。
逆に領主は冬の間に様々な書類仕事や……どの畑を休ませるのか、どの畑でどの作物を育てるのか、どの地域を開梱するかなどの指示の全てを済ませている為、しばらくの間はこういった趣味などに時間を費やすことが出来る。
そしてその結果出来上がった芸術品の数々は、領民達の目を楽しませようと、その疲れを癒やす一助になればと、領内各地に配られて……領民達が存分なまでに楽しんだ後に美術館に収蔵されるというのが、毎年のように行われている恒例の行事だったのだ。
「……よろしいのですか?
領民達に預ければ傷がつくこともあるでしょうし、紛失することも無いとはいえないでしょう」
実際、毎年のように不慮の事故で領主の芸術品のいくつかが失われてしまっていて……精霊の絵画……のような芸術品が同じようにして失われてしまったなら、領主はきっとショックを受けるに違いない。
そう心配してのメイドの言葉だったのだが、領主は「大丈夫だ」とそう言いながら頷いて……メイドに微笑み返しながら言葉を返す。
「いくら貴重なものだとしても、誰の目に触れることなく、しまい込んでしまうなんていうのは、絵画にとっては最大の不幸というものだろう。
皆の目に触れて、皆が楽しんでくれて、皆の心が癒やされてくれて……その結果の紛失であれば、それはもう仕方ないことなのだ。
仮にそうなったとしてもあの精霊であれば怒りはしないだろうし……笑って許してくれることだろう。
これもいつもの作品と同じように扱い……無事に帰ってきたなら、美術館の方に送ってやってくれ」
一切の躊躇なく、動揺なくそう言い切る領主に……メイドは静かに頷き、了承の意を示す。
それを受けて領主は笑顔となって……そしてユピテリア達がわっと声を上げながら領主の下へと駆け寄ってくる。
領主の芸術の才を目の当たりにして、そうして出来上がった一品を目の当たりにして、自分達も芸術に触れてみたいと、そう思ったのだろう。
ユピテリアだけでなく、パラモン達までが「ぐわぐわ」と、クーシー達は「わっふわっふ」と声を上げて興奮して……自分達も絵を描いてみたいと、絵を教えて欲しいと、そんなことを口々に言って来る。
それを受けて満面の笑みとなった領主は……パラモンとアーサイトの翼と、クーシー達の手をじっと見つめてから……キャンバスを地面の上に置き、絵の具を水を多く混ぜることで薄めに調整して……、
「パラモン達はその翼を、クーシー達はその肉球を絵筆として絵を描いてみるといい。
どちらも君達にしか描けない、君達だけの一枚となるに違いないぞ」
と、そんな声を上げる。
するとパラモン達もクーシー達も、まさかそんな方法があったなんて! と驚き、物凄い表情をしてから……なんとも嬉しそうに笑顔を弾けさせ、その手や翼を振るって……地面に置かれたキャンバスに様々な、今までに無い特徴的な絵を描いていく。
それを見てユピテリアまでが、イーゼルの上にあったキャンバスを地面へと置いて……その手を絵の具まみれにしてからベタベタと叩きつけて、なんとも楽しそうに……領主の作品にも負けない美しい一枚を仕上げていくのだった。
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