愚かな侵入者
森を切り開き、そこに自生していた草を家畜たちに食べさせることで土に還し、牧草を植え込んだ牧場の一画で、その青年はため息を吐き出しながらぼんやりと家畜たちの様子を見守っていた。
自分も祭事に行きたかったのに、なんだってこんな所にいなければならないのだろうか。
見張りが必要だというのは分かるが、そんなのはそこらの爺さんか婆さんにでも頼めば良い話、なんだってこの俺が……と、青年は二度目のため息を吐き出す。
そうして三度、四度とため息を吐き出そうとした時……牧場の向こうに見える森の奥から、何人かの人影が姿を見せる。
その人影を見るなり誰かが交代に来てくれたのかと胸を沸き立たせる青年だったが、すぐに方向がおかしいと……人影達がやってきたのが町のある方角ではないことに気付いて、すぐ側に置いてあった鋤を手に取りながら立ち上がる。
「誰だ!! 何をしにきやがった!!」
家畜泥棒と思われる人影たちは青年のその一声に一切の反応を返してこない。
反応せずに腰の鞘から鉄剣を引き抜き、無言でこちらへと歩いてきて……青年は鋤を構えながら駆け出して、人影から目を離さないようにしながら兎に角距離を取り、広い牧場内を逃げ回る。
このハーネット領において、こういった事態が起きた場合、すべきことは戦うことではない、逃げ回って時間を稼ぐことだ。
慌てず騒がず、兎に角時間を稼いで身の安全を最優先とする。
そうしていればすぐに、領主に仕えるあの方が来てくれる―――と、青年がそんなことを考えていると、唐突にひんやりとした空気が辺りを包み込み……突然の来訪者達に怯えていた家畜たちを、やわらかな冷気でもって「こっちにおいで」「こっちにきたら涼しいよ」と厩舎の中へと誘導し始める。
そうやって冷気が家畜たちを避難させ終えると……空からすとんと、スカートを揺らしながら青髪の女性が舞い降りてくる。
「アイシリア様!!」
信じていた、助けに来てくれることは疑っていなかった。
それでも不安で、怖くて怖くて仕方なかった青年は、思わずそんな声を上げる。
するとアイシリアは、青年ににこりと微笑み……家畜たちと一緒に厩舎の中で待っていなさいと、優雅な仕草でもって示してくる。
アイシリア様がそう望まれるのであれば。
青年はすぐさまに駆け出し、厩舎の中へと駆け込み……厩舎の扉を閉じ始める。
そして……その様子を静かに見守っていたアイシリアは、これでもう気兼ねする必要はないと、周囲への被害を考慮する必要はないと、人影たちに向けて、怒気のこもった笑顔を向ける。
去年も何処からかやってきた家畜泥棒。
祭事で人手が少なくなった所を狙い、明らかに盗賊とは思えない練度で、領内を荒らし回ろうとする外敵。
どこかのごろつきが徒党を組んでそうしているのならまだ救いがあったのだが、人影達は明らかにごろつきとは思えない練度と装備を有していて……それを見たアイシリアの笑顔がこわばり、犬歯がむき出しになる。
「去年やってきた連中は、あの人がなんとも嘘くさいお涙頂戴話に同情してしまい……わたくしに無断で逃してしまいましたが……今日この場にあの人はいません。
つまりはまぁ、お前達は逃げることも出来ず、その全身を砕かれるという末路を向かえることになる訳だが……武器を捨てて無様に這いつくばるなら、許してやらんこともないぞ」
そんなアイシリアの言葉に、人影たちは何の言葉も反応も返さない。
ただまっすぐに足を進めて……アイシリアに狙いを定めて剣を構える。
……そうして、後少しでアイシリアに剣が届くとなったその時、先頭を歩いていた一人が突然立ち止まり、構えていた剣を手放し、その身を激しく震わせ……震わせながら膝をつき、ゆっくりと地面に両手を突く。
アイシリアがその男に何かをした訳ではない。
ただアイシリアを目の前にして、その力の一端を感じ取って、自分が一体どんな存在を敵に回しているかをようやく悟ったのだろう……その男は自らの意思で剣を手放し、地面に這いつくばり始めたのだ。
恐ろしさのあまり声が出てこない。
なんとか体を動かすことは出来るが、それが精一杯。
許して欲しい、殺さないで欲しいと、一団の中でも一番の手練れだとされる男がそうするのを見て……他の男達は困惑の表情を見せる。
そんな他の男達は、地面に這いつくばり懸命に地面に額を突く男ほど賢くなく、勘も悪く、運もなかったようだ。
目の前のメイドが何者であるかに気付かないまま、這いつくばる男に構うことなく、彼がどうしてそうしているのか深く考えることもせずに、メイドに斬りかかってしまう。
「んー……話を聞くには一人で十分、残りは砕いてしまっても構わないのですが……そうしてしまうとあの人が悲しむかもしれないという可能性がありましたね。
……とりあえずは、捕らえることを優先しましょうか。
あの代官たちの時は少しだけやりすぎてしまって、蘇生や何やらで大変だったから……もう少し手加減して……」
そうつぶやいてメイドは、地面を蹴って駆け出し……斬りかかってきた男の胸を手の平で突く。
するとそこから冷気が男の全身に広がり……そうやって熱を奪われた男はガクガクと震えながら地面に崩れ落ちる。
顔を真っ青にし、呼吸を出来ているのかいないのか……ひゅうひゅうと細い息を吐き出し続けながら地面の上に転がり、悶え苦しむ。
「……これでもやりすぎでしたか」
地面を転がった男をそんなことを言いながら見やるメイドに、また別の男が斬りかかるが……メイドは一瞥すらすることなく、その剣閃をひらりと回避する。
次々と男達が剣を振るうも、それらがメイドに当たることはなく……メイドはどうやって男達を制したものかと悩みながらひらひらと身をかわし続ける。
いくら剣を振るっても振るっても当たらず、凄まじいまでの身軽さでもって剣を交わし続けるだけでなく、わずかも息を乱さないメイドを見てある男は……正攻法では駄目なようだと、メイドではなく、そのスカートに狙いをつける。
大きく長く、ひらひらと舞うそのスカートを斬ってやれば、恥ずかしいだの何だのとそんな声を上げて動きが鈍るはず。
そうでなくても怒り狂うに違いなく、この女は冷静な判断や回避が出来なくなるはず。
そんな下劣な考えてもって剣を振るうと……どういう訳だかメイドの動きが鈍り、スカートにがきりと振るった剣がぶち当たる。
「……スカートなら斬れると思いましたか?
その腕とその剣じゃぁ、100年は早いと思いますよ」
メイドがそう言って見るだけで凍えるような冷たい笑みを浮かべてきて……男の剣の刃が致命的な音を立てて崩れ落ちる。
そこでようやく自分達がどんな存在を相手にしているのかを男達は察するのだが……時既に遅く、男達は一人残らずメイドの平手打ちを受けることになり、真夏だというのに、この世の終わりが来たのかと思うほどの冷気にその身を包み込まれるのだった。
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