氷竜の風
祭事まであと数日となったある日の執務室。
祭事に関する大方の準備を終えて……今日もパーシヴァルは書類を前にしての政務に精を出していた。
祭事があるからといって政務を疎かにする訳にはいかない。
作物がよく育つ夏だからこそ、各地の畑に何か問題が起きていないか、溜池の水量に問題が無いかをしっかりと確認し、何か問題があるなら即座に対処する必要がある。
「……とは言え、この辺り一帯は氷竜のおかげで害虫知らず病害知らずだ、そう気を張る必要もないんだけどな……」
と、書類を読みふけりながらパーシヴァルがぽつりと呟くと、彼の後ろに控えながら昨日のミートパイの味に想いを馳せていたアイシリアが小首を傾げながら言葉を返す。
「……何故そこでお父さんの話が出てくるのですか?
畑や作物とは縁遠い人だと思うのですが……」
「……うん? いや、この辺りの畑は、どこも北の山脈から吹き下ろしてくる、冷たい風に守られているからだよ。
……アレは氷竜が吹かせてくれているのだろう?」
ほぼ一年中、毎日のように山から吹き下ろされるその風は、山の上の冷たい空気でもって害虫や病害を追い払ってくれていて、この辺りの畑は虫払いだなんだと手入れをしなくとも安定した収穫が約束されている。
当然寒さに弱い作物は育てられない訳だが……ある程度の寒さに耐えられる作物であれば問題なく生育できるし、その風が吹いているからこそ作物は寒さに打ち勝とうと強く根を張り、たっぷりと栄養を含んだ大きな実をつけてくれる。
「……風だけではない、北の山脈から流れてくる清らかな水も氷竜からの贈り物だとこの辺りの人は考えていて……あの清らかな水があるからこそ育つ作物もあるし、川には美味しい魚が―――」
と、そこまで説明して領主は口をつぐむ。
メイドが何も言わずに静かに話を聞いているのがどうにも気になって……何故言葉を返してこないのかと気になって、後ろへと振り返ってみた所、メイドが顔を真っ赤にしながら頬を膨らませ、口を手で抑えながら笑いを堪えていたからだ。
今にも吹き出してしまいそうなその表情を見て……天を仰ぎ、少しの間考え込んだ領主が、メイドに問いかける。
「……もしかして、北の山脈から吹いてくる風と、氷竜は無関係……なのか?」
その問いに対しメイドは、更に頬を膨らませながらこくりと頷くことで答える。
それを受けて領主が愕然としていると、とうとう我慢できなくなったのだろうメイドがぶはっと吹き出し、割れんばかりの笑い声を周囲に響かせる。
「あっははははは!
お、お父さんは、お父さんは全く関係ないのに、そういう地形だから風が吹いているだけなのに、お父さんのおかげって!?
あはははははははは!!」
腹を抱えて、ハイヒールでもって床をガツガツと突き叩いて笑い続けるメイドに、ため息を吐き出した領主が言葉を返す。
「……こ、この辺りの氷竜信仰は、その風あっての……氷竜のおかげで飢えることが無いからと生まれたものだぞ……?
まさかそれが間違いだったなんて……口が裂けても言えることではないな……。
アイシリア……君も誰かに言ってしまわないよう、気をつけてくれよ?」
「あっはっはっはーー!
いっそのこと、皆さんに真実を教えちゃった方が良いんじゃありません?
そうすれば皆さんの目も覚めて、ぐーたら親父を信奉しようなんて思わないはずですし」
「……そういう訳にもいかないだろう。
信仰とはそう簡単に無くなるものではないし……仮に無くなってしまったなら、氷竜との友好関係に傷がついてしまうかもしれない。
そうなるとアイシリア、君もこの屋敷にいられなくなってしまうかもしれないし、昨日あれだけ食べたミートパイだって、二度と食べられなくなるかもしれないんだぞ?」
領主のその言葉を受けてメイドは「うぐっ」と唸る。
唸ったまま歯噛みし「ぐぬぬぬ」と声を上げるメイドに……領主はため息を吐きながら言葉を続ける。
「少なくともお父上は……氷竜は我々が信奉しているからこそ、祭事や贈り物で感謝を伝えているからこそ、我々に味方してくれているのだろう。
かつてモンスターの侵攻があった際や、他国からの侵攻があった際、氷竜が力を貸してくれたのも、そういった良き関係があってのことだ。
……だからまぁ、その関係にヒビが入るような真似はしないほうが良いだろう」
そう言われてメイドは渋々、不承不承といった感じで頷いてため息を吐く。
せっかく愉快に笑えていたのになぁと、そんなことをメイドが考えていると、領主がトドメの一言を放ってくる。
「……ちなみにだがアイシリア、普段君が皆のために頑張ってくれていること、その拳を振るっていること、それもまた領民達が氷竜を信奉する理由になっているからな?
慈悲深き氷竜が遣わしてくれた御使いアイシリア様が、今日も自分達のために頑張ってくれていると、そんな具合に……」
それを受けてメイドは、大きく口を開けて愕然とする。
普段領主の前では決してそんな顔は……人に見せられないような顔はしないメイドだったが、領主の言葉があまりにも衝撃的だったのだろう、我を忘れて愕然とし続ける。
まさか自分の頑張りがそんな解釈をされてしまっていたなんて……よりにもよってあの父親の手柄になってしまっていたなんて。
だからと言って働くのをやめれば、拳を振るうのを止めれば領内は山のようなトラブルを抱えて荒廃してしまうことだろうし……と、メイドは愕然としたまましばらくの間、その頭を悩ませ続けるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回は祭事やら何やらになる予定です
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