兄と弟
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「ねぇ、アナタ……そんな危ない話、受ける必要なんてないじゃないの。
私は今の暮らしで十分……領主の妻になんてなりたくないわ」
その国にあって至って平凡なレベルの木造民家の、ごくごく当たり前の家具が並ぶリビングで、三人用の質素なテーブルの席に座った深刻そうな表情をした女性が、そんな声を上げる。
声を上げながら冷めないようにと布を巻きつけたポットに手を伸ばし、自らの手で摘んできたハーブティを目の前のカップへと注いでいく。
「何を言うんだ! 領主となればこんな暮らしをする必要はないし、我が子達だって何不自由なく暮らしていけるんだ!
……それにあの愚弟が領地を荒らし、領民を苦しめているとあれば家を捨てた身、国を捨てた身であろうと立たなければならないだろう!!」
女性の目の前の席に腰掛けた男性はそう返して……女性が淹れてくれたハーブティに手を伸ばすことなく熱弁を振るい続ける。
その言葉には力があり、確かな責任感があり……人によっては心動かされるような内容だったのだが、女性の心は全く動かず、何処か冷めた目で男性のことを見やり続ける。
「……そんなこと一体誰が望んでいるっていうの、どうしてアナタがしなければならないの。
アナタはもう既に、その領民と領地と……国を捨ててしまったのよ?
そんなことよりも私は、ここで地に足つけて働いて子供達の為に……あの子達の未来の為に生きて欲しいの。
私達が今守るべきなのはあの子達であって、そんな何処かの誰かの生活ではないわ」
それは切実な、女性の本心から湧き出た言葉であった。
女性にとって国だの領地だの、そんなことはどうでも良い。
我が子の暮らしと未来と……それと自分達の先の短い未来さえあればそれで良い。
何処かの国が滅んでも、この国が滅んで何処かの国に支配されたとしても、子供達が生きていけるならばそれも良い。
(アナタは全てを捨てでもそうしてくれると誓ったからこそ……私を愛してくれると誓ったからこそ、私と一緒にここまで来てくれたんじゃないの?)
と、そんなことを胸中で呟いた女性は大きなため息を吐き出す。
だが男性はそんな女性の胸中に気付かず、国のため領民のため領地のためだと熱弁をふるい続ける。
個を見ているのか集団を見ているのか。
家を見ているのか国を見ているのか。
そもそもの視点が違う、価値観が違う……考え方が全くと言って良い程に違いすぎるということに気付いた女性は二度目の大きなため息を吐き出す。
(結局平民と貴族では流れている血が違うのかしらね。
こうまで考え方が噛み合わないなんて……子供達のことを思えば、ここに残って真面目に働いていくことこそが一番なのに……。
王城からの遣いがこんな所にやってくるなんて、何事かと思っていたけれど……ああもう、本当に最悪。
どうしてこんなことになってしまったのかしら)
そうして三度目のため息を吐き出した女性は……子供達を守る為にと意を決し、男性に……生涯を一緒に暮らすはずだった旦那に、淡々とした態度での冷たい言葉を吐き出す。
「……分かったわ、アナタがそうまで言うのなら反対しないわ。
反対はしないけれども……私達はここに残ることにする。
それ程の大義、大きな仕事となったら幼い子供達は邪魔になってしまうでしょうし、私にも出来ることはないわ。
ここで子供達と一緒にアナタの成功を祈っているから……成功した際には、私達をあちらのお屋敷に呼んで頂戴な」
「おお、分かってくれたか!
ありがとう! 流石我が妻だ!
……君を待たせてしまわないようにさっさと事を成さなければな!」
だが旦那はそんな妻の冷たさに気付くことなく、笑顔になってそんなことを口走ってしまう。
その態度が、言葉が一段と妻の失望を深めているとは知らずに、旦那は尚も熱弁を振るい続ける。
(我が子のためなら働ける。我が子のためならどんなことも苦じゃない。
……さしあたっては私の元夫を死地に送り込んだ方々に、いくらかの補償をしてもらえないかって手紙を送ってみるとしましょう)
熱弁を振るい続ける旦那を見やりながら妻はそんなことを考えて……相手を怒らせない程度の、ちょうど良い金額はいくらくらいだろうかと、頭の中で懸命に計算を巡らせるのだった。
――――領主屋敷で パーシヴァル
メイドが淹れてくれたハーブティを飲んで、何度かの夜を過ごしてすっかりと元気と活力を取り戻していた領主は、政務の合間、無理矢理に作った時間でユピテリアと存分なまでに遊んでいた。
一緒に物語を語らい、歌を歌い、絵画を描き、飽きることひたすらに、ユピテリアの為にと懸命に。
そんな微笑ましい光景を側で見やっていたメイドは、なんとなしに……どうしてだか胸中に浮かび上がってきたある疑問を、深く考えることなく領主へと問いを投げかける。
「……もし仮に、政務か娘か、どちらかしか取れないとなったらアナタはどうしますか?
どちらを優先しますか?」
そう口にしてからメイドが、ユピテリアの前ではなんとも答えにくい、少し意地の悪い質問をしてしまったかと、小さな後悔を抱いていると、ユピテリアと共に絵筆を振るっていた領主は、全く躊躇することなく、一切揺るぐことなく、笑顔で言葉を返してくる。
「政務も娘もどちらも優先するに決まっているだろう!
多少の無理は覚悟の上、その程度のことを両立できなくて何が貴族か!
領民達の手本として僕は、どちらも優先し、どちらも見事に成した上で、笑い続けてみせるとも!」
その言葉を受けてユピテリアが満面の笑みを浮かべる。
メイドの問いの意味も、領主の答えの意味も、しっかりと理解は出来ていなかったが、それでも領主が笑顔だからと、温かく笑っているからと、釣られて笑顔になってしまったようだ。
そんな領主の言葉とそんな二人の笑顔を見たメイドは……何故こんな問いをしてしまったのだろうかと首を傾げながら、小さな笑みを浮かべるのだった。
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