畑にかまけている隙に
新しい農法を試してみるとなって、領主は早速とばかりに領内の全ての畑で新農法を試させようとしたのだが、すぐさま「馬鹿なことをしないでください」とのメイドからのストップがかかり……結局新農法は、領主屋敷側の畑の一部と、学校側の畑の一部でのみ行われることとなった。
常識的に考えれば畑に余計な作物を植えるなんてことは、土を痩せさせてしまう愚行でしかなく、それを領主命令でやれなどと言われてしまったなら農民達は嫌な顔をするだろうなと、そんなことをメイドは考えていたのだが……実際にはそんなことはなく、新農法を試すこととなった畑の所有者は笑顔で、一切の躊躇なく協力を約束してくれた。
『領主様にはいつもお世話になっていますから』
『アイシリア様にはいつも助けられていますから』
『いつも自分たちのことを一番に考えてくれている領主様の案なら信じることが出来ます』
そんなことを言いながら農民達は麦と麦の間に豆を植えてくれて……それから領主は毎日欠かさず、その畑に紙束とペンを片手に足を運ぶようになった。
畑は農民達の領分だからと中にまでは立ち入らず、畑道から静かに畑の様子を観察し……麦の様子、豆の様子を事細かに書き取り、絵を添えて。
晴れた日にはユピテリアを連れて向かい、雨の日には一人だけで向かい。
そうして二週間程が経って……豆が芽を出し、葉を大きく広げた頃。
領主は全く様子の変わらぬ麦のことを眺めて、いつも通りの様子で風に揺れる麦のことを眺めて……もしかしたら効果が無いのかもしれないと、新農法は失敗だったのかもしれないと、そんなことを考え始めていた。
いつも通りでは意味がない、いつもよりも大きく強くなければ意味がない。
畑道に立ちながら領主がそんなことを考えていると……その側にしゃがみこみ、畑の様子、というよりも土の様子をじぃっと見つめていたユピテリアがぽつりと言葉を漏らす。
「ここ、他と違うね」
その言葉を受けて領主は、ユピテリアの側にしゃがみ込みながら……その腹をどうにか抑え込んで小さくなりながらユピテリアに言葉を返す。
「ここには豆が植えてあるからね、見ての通り他の畑とは違うのさ」
「……うん、畑も違うけど、土もなんか違うね」
「土? そうか……?
色も手触りも……うん、匂いも他の畑とそう変わらないが……」
ユピテリアの言葉を受けて畑へと手を伸ばし、少量の土をつまみ上げながら領主がそう言うと、ユピテリアは「でも違うよ!」とそう言って、にっこりとした笑顔を見せる。
その笑顔を見やり、畑の様子と土の様子を見やった領主は……「そうだな」と呟いて、土のついた手を振るい、土を払ってから……膝に力を込めてぐいと立ち上がる。
「……ならユピテリアのその言葉を信じるとしようか。
何しろ麦が収穫可能になるのは……収量の結果が出るのはまだまだ先のことだからな……。
それまでは農民達に世話を任せて……うん、ボクはボクの仕事を、ボクの居場所であるあの屋敷で行わなければ」
畑へと足を運ぶようになってからも、領主としての仕事はしっかりとこなしていて、決して手を抜いていた訳でも、横着していた訳でもないのだが……それでも執務机に向かう時間は明らかに減ってしまっていて……。
そのことを悔いている訳ではないが、決して褒められたことではないなと反省した領主は、ユピテリアの小さな手を取り、ゆっくりと歩調に合わせた速度で屋敷へと向かう。
そうして井戸にて一緒に手を綺麗に洗い、服に土がついていないかの確認をしてから、屋敷の中へと向かう。
……いつもであれば領主達が帰ってきたならすぐさまにメイドが出迎えに来てくれるはずなのだが、どうしたことかこの日は一向に姿が見えず……、
「……まぁ、今日はいつもよりも少しばかり帰ってくるのが早かったからな。
きっと昼寝か休憩でもしているのだろう」
と、そんなことを誰に言うでも無く呟いた領主は、足元で抱っこをせがむユピテリアを抱き上げて……そのまま執務室へと足を向ける。
そうしてユピテリアをしっかりと支えながら執務室の扉を開け放った領主は……執務室の、自らの執務机にメイドが座っているというまさかの光景を目にし、驚愕し……あまりのことにそのまま硬直してしまう。
「……あら、今日はお早いお帰りだったのですね。
出迎えに行けず申し訳ありません」
硬直した領主に対し、振り向くこともせずにそう言ってくるメイド。
「あ、ああ……うん、まぁ、そのことは別に良いのだが……。
その、ボクの机で君は一体何をしているのかな?」
そんなメイドを見やりながら……冷や汗をかきながら問いかける領主。
「わざわざここで行っているのですから、それは当然政務となります。
アナタが畑に夢中になっているおかげで、領内の政務は何もかも順調……各連絡も事務処理も、何もかもが円滑過ぎる程円滑に進んでいますよ」
「な、な、な、なんだと!?
は、畑にかまけてしまっている割に、やたらと早く仕事が片付くと思ったら……!?
あ、アイシリア、君がこっそりと処理していたのか!?」
メイドのまさかの言葉に領主が悲鳴を上げると、メイドはなんとも煩そうに表情を歪め、半目になりながら振り返り、言葉を返してくる。
「……はい、その通りです。
何もかもが問題なく、いっそアナタが農民になってしまって、畑仕事のみに熱中してくれていたらどんなに良いかと思う程に全てが順調です。
……いっそのことなってみませんか? 領主を辞めて農民に。
ユピテリアが後を継いで、わたくしが代理として全てを取り仕切って……きっと誰も困らないと思いますよ」
そう言われて領主は、慌てた様子でユピテリアをいつもの席に座らせ……そして自らの席と仕事を取り返すべく大股で、ドスドスと力を込めて床を踏みながらメイドの方へと迫っていく。
それを受けてメイドは大きなため息を吐き出し……仕方ないかと立ち上がり、席を領主に明け渡す。
そうして領主は執務机の上にあった書類を手に取り、ペンを手に取り……そこに何が書かれているのか、メイドが何をしでかしてくれたのかを懸命に理解しようとする。
この二週間メイドは、領主の目を盗みながら領内の細々とした様々なことに手を出していて……多方面での改革に着手していた。
その結果、税収が新農法とは全く別の形で改善することになるのだが……領主は、秋が終わり収穫祭が終わった頃……実際に税収を手にしてその総量を目の当たりにする、その時になるまで、そのことに一切気付けないのだった。
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