領主のお仕事
パーシヴァル・ハーネットという男は、はっきり言ってしまえば貴族であることに、領主として領地を治めることに向いていない男だった。
名誉ある家系の両親の下に生まれ、両親の美しい容姿を引き継ぎ、厳しい教育を受けた結果見栄えする所作を習得していたのだが……肝心の政務に関する才能が全く無く、熱意はあっても覚えが悪く、また他者との折衝、交渉、外交において、常に相手のことばかりを考え、必要以上に気を使い、生来の優しさでもって譲歩ばかりしてしまうので、まったくもって彼は領主に向いていなかったのだ。
かといって大地の精霊が彼に一切の才能を与えなかったのかというと、そういう訳ではない。
絵画、歌唱、ダンス、演劇、料理、彫刻、工芸、デザイン、建築。
そういった芸術方面では比類なき才能を発揮し、精霊達に愛され、人々を魅了する程の技術を持ち合わせ……両親が教育熱心だったこともあって、多くの師から学ぶことが出来たパーシヴァルは、この国どころか、この世界で最も抜きん出た、唯一無二の芸術家であったのだ。
そんなパーシヴァルに対し、誰も彼も……両親さえもがハーネット家を継ぐことを期待していなかった。
パーシヴァルが継がなくとも、政務において秀抜、交渉において最優、貴族としての才能を持ち合わせた兄がいたからだ。
兄がいれば問題は無い。パーシヴァルは兄の下、芸術家として領地を栄えさせれば良い。
そう考えて両親は兄とパーシヴァルを教育していたのだが……ある日のこと、兄は平民の女性と惹かれ合い、交際を反対した両親に逆らって出奔。
そうして両親の手が及ばない他国へと駆け落ちしてしまったのだ。
兄がいなければパーシヴァルが継ぐしかない、よりにもよって領主として必要な何もかもを持ち合わせていないパーシヴァルが。
そんな現実を受け止めきれず両親は、パーシヴァルが領地を荒廃させる様を目にしたくなくて両親は、全てをパーシヴァルに押し付けて逃げ出し、今は王都にて放蕩の日々を過ごしている。
最悪と言って良い状況、孤軍と言って良い絶望の中で、パーシヴァルが心折ることなく、逃げ出すことなく踏ん張ることが出来たのは、彼が持つ優しさと責任感あってのことだった。
自分が逃げ出せば困るのは誰あろう領民達だ、今まで彼らの税によって自らを育んできたのに逃げるなんて卑怯極まることだ。
そう考えて彼は懸命に……支えてくれる者の居ない中一人で、全力で頑張ってきたのだが……彼が頑張れば頑張る程に状況は悪化し、領地は何かきっかけがあれば即座に崩壊してしまうような、そんな状況にまで追いやられてしまう。
だがそれでも彼は頑張った。
領民のため、名誉ある血筋の為に、貴族としての誇りの為に頑張った。
だがその頑張りは間違ったものであり、状況を更に悪化させるだけだったのだが……他に方法を知らない彼に出来ることは、ただ頑張ることだけだったのだ。
そうして彼に襲いかかる、肉体的、精神的負荷から逃れる為、彼は過食に走り……どんどんと肥え太り、不摂生の極みを迎えた頃……彼女、アイシリアによって事態は好転する。
彼の足りない所を補い、献身的に彼を支え、その拳でもって彼の敵を打ち砕き、領内の盗賊を殲滅し、不穏分子を殲滅し、領地に接する他国の間諜を殲滅し、侵略しようとしてきた敵軍を殲滅したのだ。
アイシリアがその豪腕を振るい始めてから今日で二年。
パーシヴァル……というよりアイシリアが治めるこの領地は、穏やかで平和で、食うに困らない程度に豊かな日々を謳歌していた。
「孤児院を増やしたい」
いつもの執務室で、いつもの机に向かいながら、いつもの調子でパーシヴァルがそう言うと、その後ろに立ち、控えていたアイシリアが冷たい言葉を返す。
「駄目です」
「な、何故だ!?」
椅子をがたりと揺らしながら振り返り、その体重でもって軋ませるパーシヴァル。
そんなパーシヴァルに凍りついてしまいそうなくらいに冷たい視線を送ったアイシリアは、ため息まじりの声を上げる。
「理由はとっても簡単です。
現在領内には十分過ぎる程の数の孤児院があり、ベッドが余っているような有様で……領内のどこを探してもそのベッドを温める孤児達がいないからです」
「そ、そんなことは分かっている、言われずとも分かっているとも。
だが、だがなアイシリア、世界にはボク達の想像が及ばない程の悲劇が溢れていて、それはもう数え切れない程の孤児達が困窮しているのだ。
その孤児達を救おうと言うのは、貴族として当然の―――」
と、そこでパーシヴァルは口をつぐんでしまう。
アイシリアの目が、その口元が全く笑っておらず、本気で怒りかけていると察したからだ。
そしてその怒りはパーシヴァルに向いておらず、パーシヴァルの手元にある手紙に向けられていて……パーシヴァルの手の中にある手紙が、ピシリとの音を立てて凍りつく。
「どうせまた、わたくしの許可を得ずにアナタの友人を名乗っている、ご立派な貴族様にそそのかされたのでしょう?
我が領内に孤児が溢れているから資金援助をしてくれとかどうとか、そんな感じの内容の手紙で。
だけれども資金はわたくしが抑えていて、援助などとても出来ない。
ならば孤児院を建てて孤児を引き取ってやろうと、そんな斜め上の発想にいたったのでしょうねぇ……相変わらず、お人好しなようで何よりです」
そう言って冷気を放つアイシリアに対し、パーシヴァルは怯むこと無く猛然と言葉を返す。
「そ、そもそも一体どうしてボクの友人を名乗ることにアイシリアの許可がいるんだ!
そ、そんなのはおかしいじゃないか!!
友人はボクの心が選ぶべきだし、ボクの友人であろうとする彼らを歓迎すべきだし、無下にすべきではないし……そ、そんなのはメイドの本分を超えた行いではないのか!?」
「どうしてとおっしゃられるのであれば、あえてお答えいたしますが……友人を名乗るそいつらがわたくしが知る『友人』という存在では全く無く、ただアナタの善意にたかる『詐欺師』でしかないからです。
一体何度騙されれば気付くんだと言う程におバカで、善良過ぎる程に善良なアナタには分からないかもしれませんが、その詐欺師達の狙いはアナタの持つ芸術品の数々と財産とこの領地であり……決してアナタとの友情ではないのです。
分かったならさっさとその手紙を捨てて、今日の政務に取り掛かってください。
それと、どうしても友情を欲すると言うのであれば、庭で尻尾を振り回している愛犬のマックスか、牧場に預けてある愛馬のジャックの下に向かえば良いでしょう。
彼らが抱いているのは間違いなく、ブラッシングがお上手なアナタへの親愛です。
……念の為に言っておきますが、ジャックの背に乗るのはまだ禁止ですよ、もう少しその贅肉を削ぎ落としてからにしてくださいね」
そんな言葉を受けてパーシヴァルはがっくりと項垂れ、机に向かい直し……彼なりに懸命に政務に取り掛かる。
彼が何かをしようとする度、彼が何かを決断しようとする度、背後から罵声が飛んできて、ぐいと手が伸びてきて、彼の手をがしりと握り、彼の望まぬサインを強制してくるという、そんな政務を。
そんな状況にあってもパーシヴァルがここ最近、異常な過食から離れつつあるのは、その罵声や冷たい視線が決して、彼を傷つける為の、彼を攻撃するためのものではなく……彼を思ってのことなのだと、心の何処かで理解しているからだろう。
そうして彼は今日も、真夏だというのに驚く程に涼しい執務室で、政務に励むのだった。
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