夕時と、そこそこにしょうもない大事
夕時は概ね、誰にとっても穏やかに流れていく。
メイドも領主もそれまでにやるべきことを終えて、明日に思いを馳せながら夕日や屋敷から見える景色へと視線をやりながらぼんやりと過ごすことが多い。
あるいは散歩とばかりに屋敷から出かけて、近くの町の当たり前の景色を眺めることもある。
まだまだこれからだとばかりに、残った体力で懸命に遊ぶ子供達、仕事を終えて日課を終えて汗をかき泥に汚れながら帰路につく大人達。
そうした人々の姿を見て、自らの仕事の重要さを痛感し、人々のために今日も頑張れたと達成感を得て……そうして夕食と湯浴びを済ませて朝までぐっすりと眠る為に。
そうやってまた朝が来て、平和な一日が繰り返されていくことこそが、メイドにとっても領主にとっても最上の望みであった訳だが……世界の流れはそうはさせないぞとばかりに、ろくでもない事件を引き起こしてくる。
翌日、昼下がり。
「せ、戦争だと……!?」
王宮からの手紙が届けられ、玄関にて受け取り次第にその中身を検めた領主がそんな声を上げる。
「……今時分に戦争です、か……一体どこの馬鹿がそんな真似を?」
領主の背後に控えながらメイドがそう言うと、領主は深刻な表情をし、今にも歯を噛み砕かんばかりに歯噛みしながら言葉を続ける。
「な、南東の多部族連合地域での内紛らしいが……い、今詳細を確認するからもう少し待ってくれ」
南東の多部族連合地域。
その地域は国際社会において、一応は一つの国として扱われているのだが、その実は一つの国とはとても言えず、そもそも国と呼んで良いほどの成熟した社会を成してはいない。
数え切れない程の数多の種族が住まい、それぞれ独自の文化体系に則った独特な生き方をしていて……それが偶然にも上手く噛み合い、奇跡的なバランスを構築し、一種の生物群集地域を作り出しているという、そんな地域なのだ。
例えばトレントと呼ばれる植物によく似た姿の亜人部族がいる。
彼らは木の種のようなものを、耕された地面にばらまくことで繁殖するという独特の文化を有しており……その種はリスによく似た獣人達の食料源にもなっている。
種を食料にされるということはトレント達からすれば繁殖機会を奪われていることにもなる訳だが、その獣人達はただ種を食べるだけでなく、土の中などに埋めて保存するという文化を持っており……それによって緩慢な動きしかできないトレント達の活動範囲よりも圧倒的に広い獣人達の活動範囲に種が拡散される為に、トレント達は獣人達の文化を尊重し、許容しているという訳だ。
また獣人達にとってもトレントは大事な食料源であるため、常日頃からトレント達のことを守ろうともするし、トレント達が減りすぎないように、ある程度の配慮を部族全体で計画的に行っているそうだ。
そうした文化的協力関係が複雑に……100を超える部族間、文化間に構築されていて、それらのバランスを下手に崩そうものなら、100を超える部族が食料を求めて、新たな生活圏を求めて、周辺各国に拡散、殺到する可能性があるため、周辺各国はその地域を手出し無用の、一つの国家的存在として扱い、相応の敬意と畏怖を持って慎重に接していた。
そんな地域で戦争が起こったとなればそれはもう一大事な訳だが……その地域での戦争と耳にしたメイドの表情に一切の緊迫感はなく、呆れにも似た感情を表情に滲ませながら、胡乱な目で領主のことを見やっている。
「……どうやらクーシー族とケットシー族の間で戦争が起きたようだ。
原因は……ど、どちらの毛並みがより優れているか……だと?
……事前の話し合いは決裂、周辺国からの調停の使者の言葉に耳を貸さず……戦争の目的は相手の毛の一切合財をむしり取ること。
既に何度かの戦闘が起きていて……かなりの毛がむしり取られているらしい」
との領主の言葉にメイドは大きなため息を吐き出してから言葉を返す。
「……それで、命に関わるような被害は?」
「双方共に今の段階では無しということらしいが……争いが冬まで続けば冬越えの際に風邪を引きかねないとの懸念が広がっているようだ。
そして陛下は……ボクに和平の使者をして欲しいと考えていらっしゃるようだ……」
その言葉を耳にしてメイドは再びのため息を吐き出す。
領主云々というよりも王は、メイドの存在に期待しているのだろう。
この世界を構築し維持している、魔力を極めし最強種族の一角、氷竜の娘。
どうしようもない理由で争い、我を忘れてしまっている獣人達であっても、その存在は無視出来ず、目の前に現れたなら耳を貸さない訳にはいかず……ある程度冷静になった状態で、正論で宥められたなら、きっと愚かな争いも収まるはず。
そんな期待を押し付けられたメイドは……ため息を二度三度と吐き出し、仕方ないかと踵を返す。
「準備を整えてきます。
出立は明朝……それまでに陛下に宛ててわたくし名義で『大きな貸しだぞ、このぼんくら』と返事の手紙を出しておいてください。
もし出しておかなかったら当分の食事は全て凍らせたものになりますので……ちゃんと出しておいてくださいね?」
踵を返し屋敷の中へと戻りながら……冷気をまといながらそう言ってくるメイドに、慌てて振り返った領主は、何を言うことも出来ず、ただただ頷くことしかできないのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回から旅行編……ですが、そんなに長くは続きません。




