領主の昼時と……
朝食を終えたならアイシリアは、食器の片付け、屋敷の掃除、洗濯などの家事に精を出すことになる。
たった二人の生活であってもその量はかなりのもので……アイシリアがそうやって家事をこなしていく中、パーシヴァルは庭に出て毎日欠かさず行っている鍛錬に精を出していた。
不摂生なこの体をなんとかしよう、かつてのあの洗練された体つきを取り戻そう。
そうした思いで行われる鍛錬は至って真面目に、ハーネット家の伝統に則って行われていて……パーシヴァルが駆ける度に、剣を振る度に、飛び跳ねる度に、庭のあちこちへとその汗が飛び散っていた。
最悪だった頃に比べればいくらか痩せることが出来た、それなりに動けるようにもなってきた。
だがまだまだ……まだまだ体は不摂生な贅肉に覆われていて、それをどうにか減らそうと領主は、懸命に鍛錬をし続ける。
芝生を踏み荒らし、手ずから作った木人形に何度も剣を叩きつけて、シャツのボタンを弾き飛ばさんばかりに体を揺らし……そうして限界まで体を動かしたなら、その場に座り込んでの休憩となる。
すると、庭で洗濯物を干していたらしいアイシリアの方から冷気がふんわりと漂ってきて、その冷気が領主の体を包み込み、火照った体を柔らかく冷やしてくれて……領主が礼を言おうとアイシリアの方へと視線を向けると、アイシリアはすぐさま目をそらし、洗濯かごを抱えてそそくさと屋敷の中へと向かってしまう。
「……まぁ、いいさ。
これが終われば執務室で顔を合わせることになるんだ、礼を言う機会はいくらでもある」
そんなことを一人呟いて領主は、芝生の上にごろりと寝転がり……じっと真っ青な空を見つめる。
動きを止めて静かに耳を傾けてみれば、空を走る北風が周囲の木々や草を撫で揺らし、ざぁざぁと子供の頃から毎日のように耳にしている、聞き慣れた音を奏でてくれる。
氷竜の加護であり、恵みの風であり、馴染みの子守歌でもあるそれを耳にした領主は、ついうっかりと目を閉じてしまい、そのまま眠りについてしまうのだった。
秋に植えた麦が豊かなに実り、収穫の季節となって、自ら最前線に立って麦を刈っていた革ドレス姿の大公妃が、これでもかと大きくした麦束を肩に担いで運んでいると、その側に一人の男の子……革ジャケット姿の長男が駆けてくる。
長男もまた麦束を担いでいて……それは彼にとってはかなり重い、少し背伸びをしすぎた大きさとなっていて、それをえっちらおっちらと運ぶ姿を見て、大公妃は破顔して笑みを浮かべて、長男の成長振りを心の底から嬉しく思う。
そうして二人で一緒にえっちらと、乾燥棚のある穀物倉庫へと足を進めていると、長男が大公妃の顔を見上げながら声をかけてくる。
「か、母ちゃん……母ちゃんって凄く力持ちで強いけど、母ちゃん以上に強い人って存在してるの?」
その言葉に対し首を傾げて「うぅん」と唸った大公妃は、首を傾げたまま声を上げる。
「そうだねぇ……たくさんいて数え切れないだろうねぇ。
近場で言うなら氷竜様がそうだし、氷竜様が遣わしたというアイシリア様にだって勝てないだろうねぇ。
他にも炎竜様や雷竜様にも……」
「い、いやいや……人、人だよ。母ちゃんより強い人の話だよ。
竜に勝てないのは当然のことじゃないか」
「何を言ってるんだい、竜にも勝る英雄の名前を挙げていったなら、両手があっても足りないくらいなんだよ?
当然稀代の英雄達にも勝てないだろうし……ああ、そうだねぇ、それこそお隣のパーシヴァル君にも勝てないだろうねぇ」
「パーシヴァルって……あの?
話には聞いたことがあるけど、とっても太ってて芸術にしか興味のない、文弱の人だって皆言ってるよ? それなのに母ちゃんが勝てないの?」
「……確かに最近は太っているらしいけどねぇ、痩せてた頃なんかは、それはもうすごかったんだよ?
芸術っても色々、力が必要だったり体を動かすことが必要だったりもする訳で……そういった芸術の才能にも恵まれていたパーシヴァル君のダンスは、それはもう見事でねぇ……」
そう言って大公妃は麦束を抱えたまま、足を進めながらくるくると自らの体を回転させて、そのダンスを彼女なりの方法で再現してみせて……そうしてから言葉を続けてくる。
「ダンスが上手いってことは、当然自分の体の動かし方を知ってる訳でね、剣を握ったなら側に誰も寄せ付けない華麗過ぎる程に華麗な剣技を見せてくれたものさ。
彼はもう覚えてないんだろうけど、騎士団にいた頃、訓練というかなんというか……貴族のお坊ちゃん方を楽しませる目的の『接待訓練』っていうのがあってね……。
その時に手合わせしたんだけど……あまりの見事な剣技を見せてくれて、本気にさせられた挙げ句……本気の私の攻撃全てを躱しきって、喉元にすっと剣を突き立てられちまったんだよ。
向こうは最後の最後まで接待だったと思ってたようだけどねぇ……」
「うわぁ……母ちゃんに勝っちゃうなんてすごいや!
無能だ無能だなんて皆言ってるけど、実はすごい領主様なんだね!」
笑顔を輝かせながらの長男のそんな言葉に対し、大公妃は顔をしかめながら言葉を返す。
「あー……いや、無能は無能なんじゃないかねぇ。
いくら強くても領主として有能かはまた別の話……剣を全く振るえなくたって、政務に長けていればそれで良い訳だからねぇ。
いっそのこと貴族なんかじゃぁなくて平民の……何の義務も立場も責任もない、なんでもない家に生まれていれば、自由にその才能を発揮できる良い芸術家になったんだろうにねぇ……」
そう言って大公妃が遠い目をすると、その言葉の意味がまだはっきりとは理解できなかったのか、長男は首を傾げて……傾げた拍子に麦束の重さに負けて、よろめいて転びそうになってしまう。
するとすぐさま大公妃の大きな手が伸びてきて、長男の体をがっしりと力強く支えてくれて……長男はその手の温かさを感じながら、にへりと笑みを浮かべるのだった。
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