メイドの朝
翌日、早朝。
まだ日が昇りきらないうちからアイシリアの一日が始ろうとしていた。
太陽の光による微妙な温度変化を感じ取って覚醒し、少しの間ベッドの上で身悶えしてからゆっくりと身を起こし……手の平に魔力を集めてまずは顔を撫で、次に髪を撫でて……と、身支度を整えていく。
魔力を持つ者であっても普通であれば、水などを使って身支度を整えるものなのだが、有り余る程の魔力を有するアイシリアは、非効率を承知で魔力を使っての身支度をしていて……魔力を唸らせて汚れを落とし、魔力を蠢かせて肌や髪を磨き上げ……磨き残しが無いように寝室の壁にかけてある鏡でしっかりと……何度も何度も確認を行う。
そうやって満足がいくまで手入れを行ったなら、髪をまとめて形を整えて、着替えを済ませて、エプロンの紐をしっかりと結び……まだ少し寝ぼけていた頭を、メイドのそれへと切り替える。
メイドとしての最初の仕事は今日一日分の食料の調達になる。
エプロンの皺を整えながら窓の方へと足を進めたメイドは、窓を勢い良く開け放ち、窓枠に足をかけて魔力を込めて、魔力を弾けさせながら窓枠を蹴って屋敷の外へと飛び出していく。
ここで下手に着地してしまうと、早朝にふさわしく無い騒音を起こしてしまうため、翼を出現させて力強く羽ばたいて空を舞い……目的地である野菜農園へと向かって突き進む。
森の木々や街道、農園の上を走る影を作り出しながら雲ひとつない空を真っ直ぐに進み……野菜農園が前方に見えてくると、メイドは翼を強く振るって速度を落とし……地面へと降り立ってから翼をかき消し、その身体を人間らしく整える。
まだまだ早朝、領内の人々のほとんどが眠りについている時間だが、一部の農園の人々は、朝の市場に間に合わせようとこの時間から既に収穫を始めていた。
収穫しながら農園の人々は、毎日のようにやってくるメイドの為にと、採れたて野菜がたっぷりと入ったかごを農園の隅に置かれた荷車の上に用意していて……その側まで足を進めて、かごを手にとったメイドは、支払い分の銀貨を荷車の上に置いてから、人前だから地面を蹴って駆け出し、ある程度離れた所まで進んでから、翼を出現させバサリと羽ばたき、再び空を舞い飛ぶ。
農園の人々どころか領内の人々ほぼ全てがメイドの正体を察していて、空を舞い飛ぶ姿を幾度となく目にしているのだが、それでもメイドは正体を隠すべくそうしていて……農園の人々は飛び去るその姿を、何処か微笑ましい気持ちで見送り……、
「今日も氷竜様はお元気そうで何よりだぁ、氷竜様がお元気ならばわいらも安泰だぁ」
なんてことを呟き、中断していた農作業を再開させる。
まさかはるか後方でそんなことを呟かれているとは思いも寄らないメイドは、今日も問題なく仕入れが出来たと微笑みながら屋敷へと戻り……キッチンにかごを置いたなら、次は卵だ、ミルクだ、肉だと、領内を縦横無尽に飛び回る。
そうやって必要分の食料を仕入れたなら、井戸の確認をし、水を汲んで食材を洗い、下ごしらえをしてから昼食分、夕食分を分けて冷気でもって包み込んだ上で食料庫へしまい……朝食をある程度まで作り上げてから、食堂を軽く掃除し、テーブルクロスなどに乱れや汚れがないかの確認をし、庭に咲いていた花を花瓶に挿して飾り……水桶に水を汲んでから抱え持ち、領主の寝室へと足を向ける。
途中で用意しておいたタオルを回収して腕にかけ、足を進めながら屋敷内に異常がないかの確認をしていって……寝室へと到着したなら、無駄だと分かっていながらもノックをし……いつも通り起きていないようだと頷き、ドアを開け放って中に足を踏み入れる。
そうしてベッドの上に横たわる、なんとも幸せそうな顔をしながら眠る領主へと冷気を送り込み……そうしながら寝室の隅に置かれた鏡台の上に水桶を置いて、鏡台の下から身支度の道具が押し込まれた箱を引っ張り出し、領主が目覚める時まで、それらの道具の確認をし、いつでも使えるようにと準備を整えていく。
「ふごっ!?
……さ、さ、さ、さ、さ、寒い!?」
「おはようございます」
毎日恒例の挨拶を交わし、寝ぼけた領主の下へとさらなる冷気を送り込み……半ば無理矢理に目を覚まさせ、ベッドから起き上がらせ……半ば無理矢理に鏡台に座らせる。
そうしたなら領主の身支度を整えていって……形だけは常識的な形で、実質的には魔力を使っての手入れを行い……荒れ狂っていた髪を大人しくさせ、腫れぼったくなっていた顔を見られるレベルに整えて、ついでに領主の意識もはっきりと覚醒させていく。
「……おはよう、アイシリア」
シルクのパジャマを揺らしながら、かすれた声でそういう領主に、再度「おはようございます」と返したアイシリアは、手入れが終わった合図とばかりに、腕にかけておいたタオルでもって領主の顔を拭き上げる。
それを合図に立ち上がった領主は、クローゼットを開け放った着替えを始めて……一部アイシリアに手伝って貰いながら、シャツを着込み、ズボンを履いて、ベストをどうにか着たなら、一応ジャケットを羽織る。
そう時間のかからないうちに暑いとか邪魔だとかいって脱いでしまうのだが、それでも朝だけは、寝起きだけは一応羽織るのが領主のやり方だった。
着替えが終わったなら二人で広い……二人には広すぎる食堂へと向かい、作りかけの朝食を仕上げての……二人きりの食事が始まる。
食堂の中央にある長四角の大テーブルではなく、隅に置かれた丸テーブルでの二人、顔を合わせての食事は、領主の食事にしてはとても質素なものだったが、彩りよく味よく程よく腹を満たしてくれるもので、それを口にするなり領主は、
「うん、今日も美味しいな」
と、昨日も一昨日も口にした言葉を呟き……それを耳にしたメイドは、食事を続けながら気づかれないようにと小さく微笑むのだった。
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