大公妃
地図に文字を記し終え、もう一度ため息を吐き出したアイシリアは、ふと気になったことがあってパーシヴァルにそのことを尋ねる。
「そのロクでなし大公の側に唯一残った女性とは……一体どのような女性なのですか?」
どうして大公の側に残ったのか、どうしてそんな状況で他人の子まで育てられるのか、それらの疑問を含んだ問いに対し、領主は手を止め、メイドの方へと振り返ってから言葉を返す。
「それは……ボクに聞かれても答えに困るな。
ボクがその女性を目にしたのは結婚式の時の一度だけだし、言葉を交わしたことすらないからな。
ただそうだな……結婚式で精一杯におめかししたあの姿は、包容力があるというか、生命力に溢れているというか……うん、とても魅力的な女性だったのは確かだな」
そう言って領主は一息ついて、そうしてから言葉を続ける。
「あくまでこれは噂として耳にした話なのだが……彼女は男爵家に生まれた一人娘でな、没落しつつあった実家を救うため大公殿下に近づいたらしい。
そうしてまぁ、色々あって……殿下が追放されるとなった訳だが、それでも殿下の側を離れなかったのだそうだ。
殿下の所業に関しては彼女に非はないというか、彼女は被害者の立場なのだから、王家にある程度の金を要求し、それを手に実家に帰っても良かったはずなのだが……そうはしなかった。
そうして殿下の下に嫁ぎ、王家との縁をつないだことで実家を救い……殿下と共に王都を離れ、殿下と子供たちを支えている。
……まぁ、あくまで噂でしかない話だが、尊敬できる女性だとボクはそう思っているよ」
とても『魅力的』で『尊敬』できる。
領主の説明を受けてメイドが何より気になったのはその二言だった。
メイドは笑顔のまま、どうしてかその笑顔を引きつらせて、領主に更に質問を投げかける。
「その女性について詳しく……特に容姿などについてを教えてください」
その笑顔に何か嫌な予感を覚えて、背筋に冷や汗をかきながらも領主は、こくりと頷きメイドの問いに言葉を返していく。
「容姿……容姿か。
短く切り揃えた赤い髪に真っ赤な瞳……うぅん、後はどう表現したものか……。
まぁ、さっきも言った通り包容力があり、生命力に溢れている……立派な女性だよ」
「もう少し詳しくお願いします。
立派な方なのは十分に理解しましたから」
「ああ、いや、その……なんだ。その性格や在り方が立派という話ではなくてだな。
女性をこんな風に評することは本来すべきではないのだろうが……その、体格がとても立派なんだよ。
そこらの男をゆうに超える体躯、精霊に愛された膂力、その豪腕はまさに生命力の塊といった印象で……殿下とお会いする以前は騎士団に所属し、活躍していたのだとか。
結婚式で耳にした逸話が偽りでないのなら……トロルと素手で殴り合った結果、あのトロルが怯えて許しを乞うたらしい。
鉄槍をまるで小麦菓子のように素手で引きちぎったなんて話も耳にしたな……」
領主のそんな説明を受けて、執務室の天井を仰いだメイドは、すぅっと息を吸い……自らの心の内に描いていた大公妃の姿を、全く真逆の……勇猛なる姿に書き換える。
そうしてからメイドが、
「それ程の女性がどうして無能大公の下に……」
と、呟くと、領主が苦い顔をしながら言葉を返す。
「これもまたあくまで噂なのだが、大公殿下を利用しようとした自らの行いを恥じたのと、殿下の子を授かったから、らしい。
子供を授かったのであればと覚悟を決めて、他の子供達も余さず育ててやるとの覚悟を決めて、殿下に嫁ぐ決意をしたのだとか。
もちろん実家のこともあっただろう。実際彼女の父君は今王宮でかなりの地位に就いているからな。
ちなみにだが彼女は政務においても中々優秀な人物らしいと聞いたことがあるな」
「……優秀、ですか。
……今ふと気付いたことがあるのですが、以前市場に行った際に、行き交う人々が『偉大なる母』とか『我らが慈母』だとか『巨大な母ちゃん』といった言葉を連呼していたのですが、もしかして……?」
「ああ、うん、それはおそらくは彼女のことだろうな。
母性を司る精霊は数多存在しているが……慈母はともかく巨大などと形容される精霊は一人もいなかったはずで、他にそう呼ばれる存在に心当たりがない以上はそうなのだろう」
そう言われてメイドは、ようやく腑に落ちたとそんな表情をする。
向こうにいって領主の話を聞かなかったのも当然の話、恐らくは大公妃が無能な大公に変わって領主の仕事をこなしているのだろう。
領民たちもそのことを承知していて……無能な大公について語る暇があるなら、その女性について語りたいと、そういうことなのだろう。
「……大公を尻に敷く巨大な母ちゃん、ですか。
なるほどなるほど……そういうことなら……」
あれこれと考えをめぐらし、その女性と隣領への認識を改めたメイドは、改めてペンを構えて、地図の文字を塗りつぶし、新たな文字を書き込むことで訂正する。
『母は強し』
そうして色々と満足したメイドは、インクが渇いたのを見計らって地図を綺麗にたたみ、執務室の一画にある自らが管理している書類棚の中へと、それをしまい込むのだった。
――――????
「かあちゃーん! またとうちゃんが他所の女の人に声をかけようとしたー!」
年の頃7か8か、そのくらいの男の子がそんな声を上げると、側に立つ若い男性がその口を大慌てで塞ごうとする。
細く美しい金髪を揺らし、金色に輝く瞳を揺らしながらそうしようとする男性の手を、するりと回避した男の子は更に「かあちゃーん!」との声を上げる。
すると石造りの……大層立派な作りの建物をズシンズシンと揺らしながら何かの、巨大な圧力を持った気配が近づいてきて……男性が震え上がる中、一人の、シルクドレス姿の女性が姿を見せる。
ともすれば巨人と呼びたくなるようなその巨躯からは溢れんばかりの生命力と、熱量が放たれていて……まるで羽虫を払うかのごとく振るわれた平手が男性の身体を紙くずかのように吹き飛ばす。
そうしてからその巨躯の女性は、声を上げた子供に……血の繋がりのない愛しき我が子に、満面の……愛情をいっぱいに込めた笑顔を向けてから、その子の頭をそっと撫でる。
「よく知らせてくれたね! お仕事が終わったらご褒美のお菓子を作ってやるからね!」
撫でながらそう言ってくる女性に子供は弾けんばかりの笑顔を向けて……その笑顔を燃料とした女性は、またもその建物を揺らしながら、執務室へと足を向けるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
大公妃に関してはこれからも、ちょくちょくと出番がある感じです。
大公本人は……出番、あるといいなぁ