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自分のランクより上の浸食領域に潜るなら、何があっても自己責任。
これは冒険者をしていれば何度となく聞く言葉だ。
別に自分のランクと同じか、下のランクに潜っていても、冒険者なら何かあれば自己責任である事に変わりはない。
それでもこの戒めの言葉が繰り返されるのは、上のランクの浸食領域がそれだけ危険だからに他ならなかった。
例えばE級とD級の浸食領域の危険度は段違いだ。
E級浸食領域に出る魔物なら、訓練を受けた人間が確りとした装備に身を固めれば十分戦える。
別に装備も高級品じゃなくて良い。
身体に合った金属製の、鉄鎧等で充分だ。
少し狂暴な狼や鹿の魔物、或いは棍棒や短剣を持った小鬼位しか精々だから、鉄鎧を身に纏えばそれ等の攻撃ではそう簡単に死にはしない。
尤も、それでもE級浸食領域では、新人冒険者の犠牲が絶える事はないが、それは油断か、或いは戦いの緊張で何か致命的な失敗を犯してしまったからだろう。
なのにD級浸食領域に一歩足を踏み込めば、最悪の場合アサルトライフルを持ったオークの群れに囲まれるのだ。
こいつ等に包囲されれば、特に何のミスがなくとも死ぬ。
まぁ囲まれてしまった事こそが最大のミスだが、それを避けようのない場合だってある。
要するにこれが、上のランクの浸食領域に足を踏み入れると言う事だった。
D級の魔物なら例え囲まれても、上手く火晶石なりをぶつけて爆破してやれば切り抜けれるだろう。
けれどもこれがC級になると、火晶石も単発では魔物を倒す事は出来なくなる。
だからこそ安易に上の領域に踏み入るなと、まるで念仏や呪文の様に自己責任だと言い聞かされるのだ。
しかし忘れてはいけないのは、自分のランクを上げたいならば、その上のランクの浸食領域で活動する実力を身に付けなければならない。
より正確に言えば、上を目指す心算ならば、覚悟を決めて上のランクの浸食領域に踏み込む必要が、どうしてもあった。
だからこそ我々は冒険者だ。
一つの壁を乗り越えても、いずれはまた次の壁に挑まなければならないから。
とは言え、上のランクの浸食領域に挑む時、最善の備えをする事は当然である。
それを怠る者には死が待つのみ。
故に今日の俺の仕事は、B級浸食領域へのC級冒険者パーティのガイドだった。
「下がって、伏せて」
共に進んでいた彼等を制し、俺は構えを取って柄に手を置く。
そして充分にC級冒険者達が距離を取った事を確認してから、
「身体強化・弐、オン」
文言と共に身体能力をフル解放し、地を蹴って跳ぶ。
そして更に引力スキルを発動し、こちらに向かって飛来していたソレとの距離を一気に詰めた。
ソレの名は、アーマードワイヴァーン。
嘗ては戦闘ヘリを落とす為にダンジョンから現れたと言う、悪名高いB級浸食領域の難敵だ。
飛来するアーマードワイヴァーンと、引力スキルで引き寄せられた俺は、あっと言う間に中空でぶつかり合う程に接近する。
だがそれは俺にとっては想定内の速度だが、自分のみが空の覇者であると信じるアーマードワイヴァーンにとっては想定外の事だった。
その結果、振るった俺の刀はさくりとアーマードワイヴァーンの長い首を切り落とす。
昔、人類の軍との戦いでは、戦闘ヘリから放たれたミニガン、ロケット弾、対戦車ミサイル等の攻撃を全てを防ぎ切ったとされるアーマードワイヴァーンの装甲は、実は常に展開されている物ではない。
普段は並のワイヴァーンと変わらぬ硬さの外皮が、アーマードワイヴァーンの意思で恐るべき硬度を持つ様になるのだ。
つまり先程の様に、アーマードワイヴァーンに外皮を硬化させる暇を与えず仕留めれば、その対処は随分と楽な物になる。
アーマードワイヴァーンを仕留め、地上に降り立つ俺。
戦闘終了を確認したC級冒険者達が近寄って来て、
「いやいや、普通はこんなの出来ないからね! クソッ、強い事は知ってたけど、思ったより差があるのね……」
その中の一人、波浪・累は開口一番そう言った。
そう、今回俺がB級浸食領域へのガイドを務めているのは、累とその仲間達のパーティだった。
「高度からこちらを見付けて飛来するワイヴァーンの虚を突いて装甲展開前に致命の一撃を加える。……確かに難題ですね。何せ相手は既にこちらを認識してる訳ですから」
顎に手を当て、難しい顔で考え込むのはパーティリーダーでもある、高木・康義。
彼の回復魔法には幾度となく世話になってる事もあり、俺はこのガイドを引き受けた。
彼等がB級を目指すなら、何とか生き残り昇格して欲しい。
そしてこれからも、時々回復魔法で俺を助けて欲しいと切に思って。
「そう言われてもな。コレとの戦いは虚を突いて硬化前に仕留めるのがセオリーだ。……知人は、不可視の風の刃で硬化前に翼を切って地に落とすと言っていた。その後は蒸し焼きにするらしい」
勿論その知人とは、先日一緒にオークキングに挑んだ、紅・真緒の事である。
同じくB級冒険者である渡瀬・六太なら、そもそも見付かるのが間違いなんだと言いそうだ。
「不可視の攻撃……、もしくは装甲を無視できる攻撃……」
ブツブツと考え込んで居るのは、パーティの魔法使いである水島・智也。
因みにこのパーティでは彼が一番年若い。
確かに魔法使いである智也の攻撃が、アーマードワイヴァーンには一番有効だろう。
彼の己の水魔法をどんな風に工夫するか。
このパーティがB級の壁を乗り越えられるかは、そこに掛かっているのかも知れない。
さて、一番若い智也は十九歳で、累は俺と同い年、二十一歳。
康義は二十六歳だから、リーダーである彼が一番の年嵩かと思いきや、それは違う。
このパーティの最年長者は二十八歳である、
「流石にこんなのが突撃して来たら、俺も受け止め切れるかは怪しいな。……まぁそれでも受け止めなきゃならんが。なぁ、『鴉』。別にセオリーの倒し方じゃなくて良いから、他に少しでも弱点は知らないか?」
オークにひけを取らない巨漢、全身を金属鎧で包み、手には両手持ちの大盾、背にスレッジハンマーを背負った、宗郷・藤次だった。
藤次は前衛冒険者の中でもその道を選ぶ者は珍しい、タンクの役割を担う者だ。
当たり前の話だが、人間よりも遥かに強力な存在であるモンスターから、好き好んで殴られたい者は居ない。
だから普通は、モンスターからの攻撃は誰もが出来る限り避けようとする。
俺だって常にそうしてるし、可能ならば攻撃を受ける前に殺したい。
何せ前回はオークキングの蹴り一発で、下手をすれば戦闘不能になる所だった。
それ故、普通は前衛冒険者と言っても、敵の攻撃から仲間を庇う事を前提に動きはしないのだ。
一部の極僅かな例外を除いて。
藤次はそんな僅かな例外の一人である。
どんなスキルを所持しているのかは知らないが、気迫と威圧で敵からの注意を惹いて攻撃を自分に集める彼の戦い方は、目の当たりにすると驚きしか湧かない。
その戦い方を支えるのは、スキルではなく藤次の勇気である事は明白だ。
彼と康義は幼い頃からの友人らしいが、本来どちらがリーダーであってもおかしくない、このパーティの両輪だった。
まぁそんな驚きの存在である藤次に聞かれたのだから、俺も首を捻って記憶を探る。
「……あぁ、一度虚を突く事に失敗した時は、確か全身を切り付けたが、やっぱり翼の飛膜が一番脆かった。大きく切り裂けば地にも落ちるし、そこが弱点と言えば弱点だ」
つまり普通のワイヴァーンと同じと言う結論だけど。
俺の言葉に、藤次は大きく頷いた。
「なら今は無理でも、そのうち勝てるな。智也が仕留め損ねても、俺が受け止め、康義がそれを支えて、累が被膜を斬って地に落とせば倒せるだろう。なぁ、累、お前ならそのうち『鴉』と同じ事が出来るよな?」
藤次の言葉に累は頷き、俺に鋭い視線を向けて来る。
何だろう。
ライバル心でも持たれているんだろうか。
智也は自分は仕留め損ねないと盛んに主張しているが、藤次と康義にあしらわれている。
何にせよ、仲の良いパーティだ。
本当に、出来る事なら生き残って上に辿り着いて欲しいと、そう思う。