19
大神・香苗の気持ちは、正直わからなくもない。
俺だってこの引力スキルに目覚めなければ、あの当時の仲間達と一緒に先に進めただろうかと、考えない訳じゃなかったから。
勿論俺が加わっていても結果は変わらずに、C級モンスターを相手に全滅してたかも知れないけれど。
但し、今の香苗を解放、放り出す訳には行かない事も、良くわかる。
彼女をこのまま外に出せば、遠からず死ぬだろう。
以前の仲間達が再び香苗を受け入れる事は多分ないし、他のE級パーティに加わるのも難しい。
スキルを得て、それを使わないなんて選択をする冒険者を仲間に加える理由はないから。
E級浸食領域程度なら、慎重に進めばソロでもどうにかなる。
それは確かにそうだろう。
尤もそれは優れた装備を手に入れるか、或いは得たスキルをキチンと活用するならの話だ。
今の彼女が一人でE級浸食領域を探索する事は、遠回しな自殺に過ぎない。
だから俺は、ジタバタと暴れる香苗を小脇に抱えて、ギルドにE級浸食領域への外出を申請した。
ギルド側でも彼女の扱いには苦慮していたのだろう。
俺と抱えられた香苗を見たギルド職員は驚いた顔こそしたが、外出許可は直ぐに下りる。
まぁそれは、この場所が防衛都市、阪大である事も無関係ではないのかも知れない。
様々な研究が盛んなこの場所では、奇矯な行動を取る者も多くいるから。
俺は喚き続ける香苗に、
「口を閉じてろ。舌を噛むぞ」
短く忠告してから、引力スキルを使って空を飛ぶ。
鬱屈とした心を変えるには、未体験をぶつけるのが有効な手段の一つだと俺は思う。
例えば旅行先で見た事のない景色を見る。
例えば途轍もなく危険な場所で死とスレスレの体験をする。
前者ならば感動で、後者なら恐怖で、その時抱えていた悩みがちっぽけに思える事もあるのだ。
勿論人間の心が相手だから、これなら確実なんて方法はないけれど。
最初はキャーキャーワーワーと五月蠅かった小脇の荷が静かになってる事に気付いてチラリと視線をやれば、今は呆然と口を広げて眼下を流れる光景を見てた。
……涎でも垂れそうな間抜け面だが、指摘するとまた五月蠅そうなので俺は黙って飛び続ける。
俺が与えてやれる未経験と言えば、C級やB級のモンスターを目の当たりにする恐怖体験か、この空中移動位だ。
前者は当然ギルドから猛烈に叱られるだろうから、実質的には空中移動一択か。
防衛都市、阪大から南へ向かい、E級浸食領域である吹田の中心部にある、駅隣の高い高い廃ビルの天辺に、俺と香苗は辿り着く。
高さは多分、百メートルから百五十メートル位だろうか?
辺りの光景が一望できるこの場所には、E級モンスター程度では登って来れない。
「ねぇ、そのセンスのない黒ずくめの恰好って、もしかして貴方が『鴉』?」
ビルの屋上から辺りを見まわしながら暫くすると、漸く落ち着いたのか、香苗は随分な物言いで質問をぶつけて来た。
……そんなにセンスがないだろうか?
俺は、その、格好良いと思ってるのだけど、黒って駄目なんだろうか?
「あ、あぁ、そうだ。B級の、周囲からは鴉と呼ばれてる」
動揺しかかったが、何とか持ち直して答える俺。
このロングコート、A級モンスターを加工した物で、物凄く性能の良い防具なんだが……。
俺はショックを受けながら、ここまでの移動で消耗した体力を補う為、ストレージから取り出したオークキングのジャーキーを齧る。
「研究員の人が、私と似たスキルの持ち主だって言ってたから。……それ、何? 私にも頂戴」
あぁ、まぁ確かに阪大の研究員なら俺のスキルを知ってる人も居るだろうし、似たスキルを持つ香苗にならそれを漏らしても不思議ではない。
まぁあまり大っぴらに吹聴されれば鬱陶しいが、この程度ならまだ許容範囲内だ。
俺は彼女にジャーキーを手渡し、吹く風に目を細める。
流石に高所だけあって、良い風が吹いていた。
普通なら怖がる所だろうに、香苗もこの場所を恐れる様子はない。
その度胸は、充分に一人前の冒険者だ。
「何これ、美味しッ。こんなの食べた事ないわよ」
一口、オークキングのジャーキーを齧り、驚きの表情を浮かべる香苗。
そりゃあそうだろう。
オークキングなんて滅多に出現するモンスターじゃないし、肉もあの時に組んだ臨時のパーティメンバーで山分けして、一切市場には流してない。
だから例えどんなに金持ちだろうと、この味を知る事は出来ないのだ。
少し得意気に、笑みを浮かべた俺に、香苗もまた笑みを浮かべた。
本当に、良い風が吹いている。
「……ねぇ、似たスキルって事は、私も貴方みたいに飛べるの?」
暫く高所の景色を楽しんだ後、そろそろ帰ろうとする俺に、不意に香苗がそう訊ねた。
成る程、実に馬鹿な事を聞いて来る。
勿論、今のままなら彼女は自分の斥力で空を飛ぶのは不可能だ。
「俺のスキルは『引力』。お前とは反対で、物と物が引き合う力を使う。このスキルは最初、落ちてる石を手元に引き寄せる程度の力しかなかった」
けれどもそれは、香苗が今のままに成長しなければの話である。
俺だってこの引力スキルを徹底的に使用して鍛え抜いて来たのだ。
「でも今ではこの通りだ。お前は最初から敵を吹き飛ばす位の力が出せたんだろう? なら俺より強い力の使い手になれない道理は、……まぁ年季の差以外にないな。こればかりは埋まらない。お前が成長した分以上に、俺も成長し続けるからな」
だからこそ、簡単に俺を抜けるなんて言葉は、例え慰めでも口に出来ない。
俺にだって、冒険者としてのプライドがあった。
「何よ、それ。普通そこは『お前なら俺を越えれるさ』とか言うべきでしょう」
くすくすと、笑いながら香苗は言う。
機嫌が良い様で何よりだ。
そこまで機嫌が良くなったなら、もう少しばかりサービスをしても良い。
「今の俺なら、越えれるさ。……さて、じゃあお前の力で飛べるかどうか、少し試そうか」
そう言って、俺は彼女を抱え上げた。
ここに来るまでの様に小脇に抱えるのではなく、確りと両手で。
驚きに声を上げる香苗だが、今更その程度の抵抗で俺が止まる筈がない事は、彼女だって充分に知っているだろう。
「今から俺が跳び上がるから、俺とこの廃ビルの間に斥力を使え。心配するな。もしも香苗が失敗しても、お前の押す力より、俺の引く力の方が今は強い」
身体強化・弐も使って、俺はビルの屋上から思い切り跳ぶ。
同時に真上に押し上げる様な力、香苗の斥力が働くが、姿勢制御のスキルを持つ俺は、それでも体勢を崩さない。
高く、高く、俺と彼女は空を飛ぶ。
多分だが、香苗も自分に選択肢がない事は理解してた。
でも理解してたからこそ、その状況への不満に押し潰されそうになっていたのだ。
目先を変えれば、見方を変えれば、彼女の前に広がる道は、決して悪い物じゃない。
足場となったビルの高さ、俺の脚力があってこそ、その高度に届いたのだろう。
地上で、彼女が一人で飛ぼうとしても、そんなにうまくは行きやしない。
けれどもその時届いた高さは、俺ですら経験した事のない物で、そこからの光景は小さな悩みなんて簡単に吹き飛ばしてしまう程に圧倒的だった。
「ねぇ、鴉! 私が真面目に訓練して、貴方みたいな冒険者になったら! 私と、組んで! その時は、もっともっと高く飛べるから!」
風の音に負けぬ大声で、香苗がそう叫ぶ。
成る程、それは面白いかも知れない。
引く力と押す力、一見向きは逆に見えても、前に退いて背中を押せば、誰より早く前に進める。
「……まぁ機会があったらな」
でもまぁ、俺みたいになったらなんて、何年も先の話はわからない。
明日も知れぬ冒険者は、今日と明日だけを見て生きれば良い。
今日だけを見ていては発展性はないし、明日ばかり見ていれば足元を掬われてこけてしまうから。
……あとは、そう、どうやって無事に着地するかも、それなりに大きな問題なのだし。




