03.串焼き肉と懐かしい香り
さて、盗賊団を引っ捕らえてプランタネス共和国の西区でも中央よりの街についた俺達は報奨金も手に入り、旅に便利そうだからと馬を手に入れようと思ったのだが。
「「高い」」
思わずラビと声を揃えてしまった。そう、馬は高かったのだ。
何も馬そのものの値段が高かった訳ではない。だが、馬というのは生き物だ。馬を旅に耐えられるだけの維持費を考えると、定期的な収入が見込めない俺達には手が出ないものだった。
「誤算だったわ……」
「あぁ、馬って俺達にとってはいて当たり前のものだったからな……」
「生き物を世話するのは思ったよりも大変なのねぇ」
騎士団にいれば馬を使う機会はある。だが、馬番がいて彼等が世話をしてくれているからこそ、馬は騎士達を背に乗せて駆ける事が出来るのだと思い知らされた。
実感して見なければ気付けない事もある。それに気付けただけでこの旅には意味があったのだな、としみじみ思う。
それはラビも同じ気持ちなのか、「馬……」と呟きながら遠くへ視線を送っている。
「定期的な収入がないなら、やっぱり乗り合い馬車を利用すべきかしらね」
「そうだな。それが一番安全だろう。腕は立つし、護衛として雇って貰えれば良い」
「でも、馬車だと人目につくわよね。噂が立ったら後を追われやすくなるかしら?」
「来ても追い払えば良いが、そもそも追われないならその方が良いな」
「野宿をする事を視野に入れましょう。ふふ、楽しくなってきたわ!」
野営はそんな楽しいものではないんだがなぁ、と楽しそうにはしゃいでいるラビを見ていると水を差すのもどうかと思い、俺は口を閉ざす事にした。
そのまま俺とラビは街の市場に出た。そこでは商人達が商品を売りつけようと呼び子をしていたり、商品の説明をしている姿が見えた。
市場の活気をラビは物珍しそうに見ていた。公爵令嬢として育った彼女にはやはり新鮮に思えるのだろうか。
「見て、ウルフ! 肉、焼いた肉が売られてるわ!」
「あぁ、屋台で食うものは焼きたてに限るな」
「私、あれ食べたいわ! 買いましょう!」
「お嬢様の口に合うか……?」
「元、よ」
腕を絡められ、引き摺られるように俺はラビによって屋台の前に立つ。俺達の顔を見れば、一瞬怖じ気づいたように震えた店員だったが、快く肉を売ってくれた。
見た目は串焼きの肉だ。肉にかけられたソースは肉汁と合わさって香ばしい匂いを立てていて、これだけで食欲をそそる。串を両手で持って、ラビは目をキラキラとさせている。
「手づかみで食べるのも新鮮ね……!」
「肉には直接触るなよ」
「じゃあどう串から外すのよ」
「かぶりつく」
「かぶりつく」
目を瞬かせてラビは串焼きと俺を交互に見る。そろそろと串を口につけて、かぷりと肉の端を囓る。しかし、そんな小さな口で食べられる事を想定していなかった肉は噛みきれず、ラビは眉を寄せた。
そのまま串焼きの肉にかぶりついたまま上目遣いで俺を見る。……どうしろと?
「そんな小さく囓ってもかみ切れんぞ、一口にいけ」
「んんー」
「何を言ってるのかわからん……」
「んんー!」
抗議するようにラビにばしばし片手で腕を叩かれる。そのまま指を指して、何かを怒っているようだった。
何の事かわからず首を傾げていると、顔に張り手が飛んできた。
「何をする!」
「あっひむいふぇ!」
「あっちむいて? ……あぁ、口を開けるのを見るなってか」
確かに令嬢が大口を開けて串にかぶりついてる所なんて見られたくはないか、と。
視線を逸らして、少しすれば串焼きをぺろりと食べきったラビが満足げに息を吐いていた。
「大味ね」
「ご令嬢らしい感想をどうも」
「美味しくないとは言ってないじゃない」
「はいはい。……ついてるぞ」
ラビの口の端にソースがついているのを確認して、顎に手を添えて親指で拭い取る。
そのまま指についたソースを舐め取ると、ラビがきょとんと俺を見た。暫し黙っていたかと思うと、目を釣り上げた。
「……ウルフ」
「ん? 何だ?」
「子供扱いしたでしょ」
「……あぁ、すまない」
つい、幼い頃の弟にしてやったようにしてしまった。勿体ないと拭うのではなく、口にしてしまうのは貧乏性なのだろうか。
不満げにしていたラビだったが、ふと俺の手の中に残っている串焼きを見た。
「……できたてが美味しいんでしょ、早く食べなさい」
「あぁ、悪かったな」
「いいから、早く」
早く、と急かすようにラビが背中を叩いてくる。何をそんなに急かすのか、と思いながら肉を一息に食べてしまう。
やはり焼きたてが良い。どんなに大味だと思われても、だからこそ良いのだと俺は思う。騎士団にいた頃、巡回中のつまみ食いをしている奴がいた事を思い出す。褒められたものではないが、気持ちはやはりわかるというものだ。
「ウルフ、ついてるわよ」
「む?」
「ソース」
急かされるままに食べたからか、俺も口の周りを汚してしまったらしい。手の甲で拭おうとした所、ラビの手によって阻まされる。
俺の手がソースを拭うよりもラビの指が俺の口元をなぞる。華奢な指の感触に、近づいた距離が彼女の香りを感じさせた。
そのまま指で掬い取ったソースを舌を出してぺろり、とラビが目の前で舐め取る。にんまりと悪戯に成功したような顔で笑うラビに思わず目を奪われる。
「……お返し」
「お前に靡かない王太子は何だったんだろうな……?」
「見る目がないんじゃない?」
「違いない」
「……ふぅん? 良い女って思ってくれるの?」
「顔はな」
「中身は?」
「あと3年かな」
ぽんぽん、と頭を撫でると不満げな顔をされた。もう少し落ち着きを持ってくれれば心の底から良い女と言えるだろう。
「今のお前は、可愛いからな」
「……先にそっちを言いなさいよ。今も、3年後も、ちゃんと私を見てなさいよね?」
「俺は保護者か?」
「私の騎士でしょ?」
「そうだったな」
国に戻るのか、それとも異国の地で安住の地を見つけるのか。それともこうして旅を続けていくのか。それはわからないが。
ラビといるのは退屈はしない。なら、見守れる所までは見守っていこう。絡められる手を握り返しながら俺はそう思った。
* * *
盗賊団と遭遇した事もあって、市場の散策を終えた俺達は宿を取る事にした。
高めの宿にするべきか悩んだが、お金は無限にある訳ではないのだからとラビが言う。かといって安宿ではラビも休めないかもしれない。
間を取って程々に良さそうな宿に目をつけ、宿を取る為に受付に向かったのだが。
「ご夫婦の方ですか?」
これである。
そうか、傍目から見ればそう見られるのか。咄嗟に否定しようとした所で、ラビが満面の笑顔で先に口を開いた。
「はい、今、旅行中ですの」
「あら、そうだったのですか! でしたらお部屋はご一緒でよろしいですか?」
「いや、それは――」
「夫は奥手でして、部屋を別にした方が良いと言うのですけど、お部屋を2つ取るのとどっちが安いです?」
「え? それは、部屋が1つの方がお安いですが」
「ではそれで」
止めようとした言葉は遮られ、トントン拍子で部屋が決まってしまった。
してやったり、という顔を浮かべるラビに思わず溜息を吐いてしまう。
「お前な……」
「何よ、安上がりでいいじゃない。それに貴方は私の騎士でしょ? しっかり護衛なさい」
「だからといって寝室が一緒というのは……それに、この流れで行くとな」
「行くと?」
「ベッドまで一緒だ」
ぴたり、とラビの体の動きが止まった。見上げるように俺の顔を見て一言。
「昔は一緒に寝てたわよね?」
「……そういえば、そうだな」
昔から活発だったラビは元気よく体を動かしては、そのまま疲れきって熟睡する事が多かった。令嬢の相手という事で気を張っていた俺も巻き添えを受ける事があり、そのまま一緒に眠る事があった。
「だが、お前にとっては黒歴史だろう?」
年頃になってから、ラビはあの日の事は忘れなさい! と俺に宣言したのは記憶に残っている。確かに俺も令嬢に対してあるまじき対応だったと思うので素直に頷いたのだが。
しかし、それはもう良いのだろうか? と疑問に思っていると、ラビが深々と溜息を吐いた。
「それは私があのクソ王太子の婚約者だったからよ。まだ幼かったからといって、他の男と仲良く寝てたなんて言える訳ないじゃない」
「言ったのか?」
「言う訳ないじゃない。でも周囲は勝手に囃し立てるものなの。だから貴方にも釘を刺したのよ。仲が良いからって嫉妬とか招いたら不愉快でしょう?」
「……気を回してたんだな、お前」
「そうよ! なのにあの男は……! 人の気苦労も知らないで恋に盲目になってるし……!」
ぶちぶちと文句を言い始めそうなラビを諫めるように肩を抱いて、俺達は宛がわれた部屋へと向かった。
扉を開いてみれば、やはり部屋の中のベッドは二人が寝られるサイズで、一つしか存在していなかった。
「……思ったより小さかったわ」
「貴族規準で考えるな」
「……こ、ここ、これ! 抱き合わないと落ちちゃうわよね!?」
「……俺は床で寝るか?」
「余計な気を使わないで!」
きしゃーっ! と威嚇するかのように睨まれた。まったくもってどこが沸点なのかわからん。
「そうよ、汗、汗を流してくるわ!」
「確か共用浴場があるという話だったな」
「そうよ、旅で汚れてるし! という訳で、私は体を洗ってくるわ!」
「あぁ、いってこい」
バタバタと慌ただしく荷物を置いて出て行くラビの背を見送って、扉が閉まるのを確認してから俺は溜息を吐いた。
* * *
あんたも綺麗になってきなさい! と浴場から戻ってきたラビに部屋から追い出され、いつもより念入りに浴場で身を清めてきた俺は部屋に戻る。
すっかり夜が訪れた部屋は薄暗い。しかし、灯りもついていない事に首を傾げる。するとベッドに入っていたラビが寝息を立てているのに気付いた。
「……元気はあっても、疲れは別か」
ベッドに腰かけて、眠るラビの頭を撫でてやる。起きる気配はなく、ぐっすりと眠っている。
婚約者が王太子に決まるまでは、兄代わりとして面倒を見てきた。騎士として守りたいと最初に願った女の子。俺の原点とも言える子。それが、こうして手が伸ばせる距離にいるのは不思議なものだ。
俺とラビの繋がりは、“お婆さま”が接点だ。
しがない男爵家の息子の俺だが、母親はそれなりに由緒正しい家の生まれであったらしい。そして、その母上の兄弟がラビの親という繋がりだ。
ラビはお婆さまに懐いていた為、よくお婆さまの家に遊びに来ていた。そこで公爵令嬢という身分の為、なかなか遊び相手がいなかったラビに俺が宛がわれたというのが、俺とラビの関係の切っ掛けだった。
ラビの遊び相手がいなかったのは身分だけではなく、ラビの気性の問題もあったらしいが、それは俺が苦にならなかったので婚約者が決まるまでは兄妹のように過ごしていた。
「頑張ったんだろうな」
王太子の婚約者に選ばれてから、俺達はお互いが仲が良かった事を黒歴史とした。
嫉妬を招く、とラビは言っていた。確かに俺達は仲が良かった自覚はあるし、公爵令嬢と男爵子息という立場の違いもあった。必要以上に距離が近いのは良くないとラビも考えたのだろう。
俺もそれには同意した。間違った考え方ではないと思う。だが、苦しかった時期を傍にいてやれなかったのは心苦しさを感じる。
「ゆっくり休め」
心も、体も。もう縛り付けるものはない。自由である事を望むなら、その自由を俺が守ろう。それが彼女の騎士としての務めだ。
……さて、俺も寝なければ体が休まらないが。やはり一緒のベッドに入ってというのは俺も年頃だ。気にしないという方が無理だ。
(やはり床で寝るか……?)
そう思い、ラビの頭から手を離して床に向かおうとした所で手を掴まれた。
「……行っちゃ、やだ」
舌足らずなその声に、俺はどうしても過去を想起してしまった。
あぁ、そうだ。なんだかんだで俺がお婆さまの家に通い詰めて、ラビの遊び相手を務めてきたのは。
こいつの甘えるような、寂しそうな声にどうしても弱かったからなのだと。そんな埋もれていた記憶を思い出してしまった。
諦めて一緒のベッドに入れば、浴場で身を清めた筈なのにラビの香りを感じた気がした。
(……懐かしい、な)
酷く落ち着く。昔から慣れ親しんだ者が傍にいる。その居心地の良さに微睡みが強くなっていく。
「おやすみ、ラビ」
呟くように口にすれば、俺の意識は睡魔へと負けて眠りの底へと落ちていった。
「……もう、離さないんだから」
意識が沈む直前、そんな声が聞こえたような気がした。