01.こうして騎士は誘拐犯になった
息抜きにのんびり書ける作品が書きたくなりまして投稿しました。気が向くまま書いていく予定です。
『よくお聞き、私のウルフ』
人の最初の記憶というのは朧気だ。なのにその記憶というのはどうしても印象が残る。
私のウルフ。そう呼ぶ声は暖かくも、厳しくて。何か大切な事を伝えようとしてくれている。
俺は忘れた事はない。この声を、自分に託された願いと祈りを。
『貴方は――』
俺は、一度も忘れた事はないから。
* * *
俺こと、ウルフェン・シルバレスはごく普通の騎士だ。
目付きは狼のように鋭いと言われ、女児に泣かれた事は今でも仲間内での笑い話だ。
更には輝きが褪せたような銀髪と相まって狼そのものと言われる事もある。
そして恐れられるのは目付きだけではない。態度もそうなのだと口が軽い仲間は言う。
人が寄りつきがたい、まるで餓えた獣のようだと言われる。
俺としては普通にしているつもりなのだが、好意的に受けとって貰った事など数少ない。
一匹狼。いつしか、そう呼ばれてしまっていた。だが辛いという事はない。他人から理解を求めるのは苦手だ。口を閉ざして、黙って、嵐が過ぎ去るのを待っていれば良い。
怒りも、悲しみも、苦しみも。いつしか耐えていれば勝手に流れて消えていく。必要以上の感情など、流して綺麗さっぱり忘れてしまえば良い。
口を揃えて仲間は言う。達観しているだの、枯れているだの。まったく失礼な。
とはいえ、否定するのも面倒だ。事実、女の尻を追いかけているような同僚には共感が出来ない。好んで女と話そうとも思わない。
では何の為に生きているかと聞かれれば、それはただ俺がありたいように生きたいからと答えるしかない。
騎士に憧れてる少年みたいな性質かよ、と笑われた事もある。だが俺としては至極真面目で、他人からどう評価されようがどうでも良い。
俺の仕事は騎士で、俺は騎士である事を望み、騎士として生きて行く。ただそれだけだ。人生の楽しみと言われても、騎士として生きる事で満足しているのだから求めようもない。
ウルフェン・シルバレスは狼のような男で、立っているだけで子供にも泣かれ、まるでその様は餓えた獣のようである。そして枯れきった倒木のような人間である。
色々と自分としては否定したい所なのだが、いちいち訂正するのも面倒だ。態度まで繕わなければならないのなら、好きに言えば良い。
そんな俺なのだが、今、人生の岐路に立っていた。
正確には岐路を既に過ぎ去った後なのだが。
「……何? ウルフ」
俺の目の前には1人の少女がいる。意志の強そうなルビーの瞳に、純金を思わせるようなクセがかかった金髪。着ている服は目を惹く程に豪奢だ。髪から肌にかけても綺麗に磨かれていて、まさに芸術品のような少女だ。
彼女の名前は、ラビリアーネ・プラティナス。歴とした貴族のお嬢様である。
俺が騎士を務める国、ビースティリア王国の由緒正しいプラティナス公爵家の娘だ。
蝶よ花よと育てられた彼女は正に令嬢の鑑と言える。そんな本来であれば身分の違いが甚だしい相手だ。
俺の実家、シルバレス家は一応貴族だが、慎ましい木っ端男爵であって、平民とそう差もない家だ。
更に俺は騎士として生きる事で実家とは疎遠になっている。貴族という意識は俺には薄い。
ラビリアーネと本来であれば言葉を交わすのも憚られるのだが、何かとこの令嬢と縁があった。
その縁が、俺に人生で大きな決断をさせた事になるのだが。あぁ、結局の所、人生の岐路とは何なのかというと。
ラビリアーネ・プラティナス公爵令嬢。彼女は俺をお供に連れて絶賛家出中だ。
傍目から見れば、俺は公爵令嬢の誘拐犯である。明日にでもなれば指名手配にでもなっているだろう。笑える話だ、俺は笑えないが。
つまり俺は今、絶賛家出中の彼女が隣国に逃亡する為に誘拐犯兼護衛として馬車に揺られている訳だ。
一体何があってそうなったのかだと? そうだな、あれは数刻前の事だった……。
* * *
この日、ビースティリア王国では貴族達の大きなパーティーが催されていた。
騎士である俺は会場の警備についていた。その巡回の最中、パーティー会場の死角で仲睦まじい男女の姿を見つけてしまった。
よくある事だ。この時は騎士としては見なかった事にしつつ、周囲の危険がないか探るのが暗黙の了解となっている。
これで何か事が起きたら警備の責任を問われるし、かといって逢瀬を楽しむ2人に水を差せば難癖をつけられてしまう。ここは空気に徹するのが賢い騎士の生き方だった。
「あっ」
「む……」
そこで、俺はその逢瀬を楽しむ2人を影から見つめていたラビリアーネを見つけてしまった。
ラビリアーネ・プラティナス公爵令嬢は可憐な容姿をしているものの、その目付きと性格がキツいと言われている。実際にキツいのだからさもありなん。
さて、そんなラビリアーネは公爵令嬢として相応しい婚約者がいる。それは我が国の王太子、レオンハルト・ビースティリア王太子である。
ここで何故、王太子の話題を出したかと言えば、彼女が覗いていたのはその婚約者である王太子と貴族のご令嬢が抱き合って逢瀬を満喫している最中だったからだ。
「……浮気現場か」
びくり、とラビリアーネは肩を震わせた。その表情は屈辱に濡れ、肩を戦慄かせる程に震わせている。
この国は側室が認められているものの、それでも婚約者を差し置いて他の女に現を抜かしている男というのは、どんな身分であっても共感がし難い。
俺は溜息を吐いて、ラビリアーネの肩を抱いて移動させる。なるべく物音を立てず、かつ迅速に。
そして俺はそのままラビリアーネを人影の薄い別の死角へと連れ出す事に成功した。
「大丈夫か?」
肩を抱いたまま声をかければ、ぎゅぅっと腹の辺りの服を掴まれた。その手は痛くなると思う程に力が込められている。
見事なクセがかかった金髪がふわりと揺れた。まるで彼女の感情に反応したかのようだった。ルビーのような瞳を2割増しで釣り上げたラビリアーネは口を開く。
「あっっっりえない!!」
そして吼えた。力の限り、不満を叩き付けるような声色で。
「何よ、何よ、何よ! 婚約者の私がいる癖に他の女のエスコートしてるんじゃないわよ! アンタが私の事、好きじゃない事も知ってるけど、王家と公爵家の婚約なんだから政治的背景まで考慮しろって言うのよ! 熱でもあるんじゃないの!? あぁ、はいはい、恋のお熱に夢中って事ね!! その鼻、へし折ってやりましょうか!?」
「やめろ、俺の腹筋を殴るんじゃない」
令嬢にしては腰の入った良いパンチだ。俺の腹筋の耐久力がどんどん削られていく。
ラビリアーネをあそこで連れ出さなければ、王太子に掴みかかってその場で惨劇が起きていたかもしれない。何かと縁があって彼女の性質を悲しいまでに理解をしてしまっていた俺は、危惧していた通りになった事を嘆く。
ラビリアーネは気性が荒い。普段は公爵令嬢の仮面で隠されているものの、一度火がついてしまえば手も出る、足も出る、罵声が飛ぶ、血が流れる。
一度鎮火してしまえば、彼女も自分を省みて落ち着いて猛省するのだが。とにかく元来の気性というのはなかなか本人でも制御が出来ない一面だ。これでも大人しくなった方なのだ。
何故そんな事を俺が知っているのか? さっきも言ったが、何かと縁があるのだ。具体的には幼少期の遊び相手であったりとか。
男爵家の息子が公爵令嬢の遊び相手は無理があるだろうと思っただろう? 俺もそう思ったんだが、それが罷り通ってしまったのが俺達なのである。
一時期は兄と妹のような関係であった事もあるのだが、お互いの黒歴史であるので普段はなるべく顔を合わさないようにしている。その筈なのだが、何故かラビリアーネが爆発しそうなタイミングに俺が出くわすのだ。神様というのは理不尽である。
「男って! 男って! 本当に男ってぇぇええ!!」
「ラビリアーネ、痛いぞ」
「うるさい!」
癇癪を起こしたようにラビリアーネが俺の腹に拳を叩き付ける。流石に俺も堪えるのも限界だったので、彼女の腕を掴んで押さえつける。
手を持ち上げられるように止められたラビリアーネは俺を睨み付ける。そのルビーの瞳は涙で潤み、玉のような涙が頬を伝う。
「好きだって思われてないなんて、私だって知ってるわよぉ……!」
そのまま嗚咽を零して泣き縋るラビリアーネを俺は受け止める。まったく相変わらず情緒不安定な奴だ。感情の落差が激しいとも言うが。
ラビリアーネはラビリアーネなりにレオンハルト王太子に好かれようと努力していたのは知っている。どうやら幼い恋心を大事にしている事も。
何が気に入らないのか、いや、気に入らない理由はわからなくもないが、ともあれレオンハルト王太子の心は残念ながらラビリアーネにはないようだ。
「……ラビ」
つい昔のように彼女を呼んでしまった。泣いていたラビリアーネが顔を上げて、俺を食い入るように見つめて来る。
そのままお互い、何も言わずに見つめ合って黙り込んでしまった。こんな時、どう令嬢を慰めてもいいかわからん。
更に言えばこの気性の激しい幼馴染みの妹分の相手など尚更にわからん。どうしたものか、と途方にくれているとラビリアーネが唇を尖らせた。
「……そこは優しい言葉でも投げかけてよ」
「無理な注文だ」
「残念な男ね……」
「失礼な女だ……」
はぁ、と。互いの溜息が重なった。ラビもそれで涙が引っ込んでしまったのか、公爵令嬢にあるまじきやさぐれた表情を浮かべている。
「やってらんないわ」
「そうか」
「もういっそ婚約破棄したい」
「……それは醜聞がつくぞ?」
「どの道、醜聞なんてついて回るわよ! 婚約者を寝取られた公爵令嬢ってね!」
チッ、と大きな舌打ちを零すラビリアーネに肩を竦めてしまう。こういう所は仮面を被っている間は表に出ないのだが、もう今日は仮面は剥がれてしまったらしい。
公爵家と王家の婚約者事情など、騎士である俺には関係ない。そもそも知るべきではない。それは騎士の領分ではない。
ラビリアーネが落ち着いたのであれば、ラビリアーネを会場に送って警備に戻るとしよう。
「ねぇ、ウルフ」
「……ウルフェンと呼べ。婚約者がいる身だろ」
婚約者でもないし、親しくしていて良い相手でもない。弁えろ、とラビリアーネを咎めるように言う。
「最初に私を愛称で呼んだのはどっちよ」
「……これは失礼しました、ラビリアーネ様」
「歯が浮くような敬語を使わないで。ほら、行くわよ」
「……どこに? そっちは会場の入り口じゃないぞ?」
ぐいっと腕を引っ張られる。結構力が強い。流石昔からお転婆だと言われているだけはある。いや、そうではない。こいつは一体どこに行こうと言うのだ。
「外よ」
「外?」
「家出してやる」
こいつは何を言い出すんだ……?
「お前な……」
「何よ、アンタも来るのよ」
「何故、俺が」
「1人で放り出す気?」
「止めるという選択肢は」
「ない」
なんでだ……。
えぇい、やめろ、腕を引っ張るな。
「行くわよ」
「行かない」
「なんで」
「お前が家出なんぞしたら公爵様が卒倒するぞ?」
「知らないわよ、あんな唐変木」
「実の父親だぞ?」
「知らないわよ! あのクソ王太子は私に気がないし円満に夫婦なんて出来ません、って言ったら、王族との婚姻なんだから多少は我慢しろ、国の為だって! はんっ! 知ったこっちゃないわよ! 願い下げよ、こんな国!! 私がいなくても回るわよ!!」
「それでいいのか、公爵令嬢」
「それでいいのよ、騎士様」
おいおい、貴族の誇りとか責務はどうした?
そう思い、口にしようとしたが俺も実家を放置してるので何とも言えない。
「弟いるしな……」
「妹いるし……」
俺とラビリアーネの発言が被る。思わず顔を見合わせる。
「……お前の妹、可愛いし優秀だしな。お前みたいに凶暴じゃないし」
「貴方の弟、物腰も柔らかくて女性に人気だもの、一匹狼じゃないし」
「じゃあ、いいか」
「いいのかしら」
「やめるのか?」
「もううんざり」
そうか、なら仕方ないな。
「逃げたらどうなると思う?」
「さぁ、知らないわよ。ただ……」
「ただ?」
「今のままだったら幸せにはなれないって事だけはわかるわ。ねぇ、だからウルフ?」
「……なんだ、ラビ」
悪戯を思い付いたような、彼女らしい満面の笑顔をラビリアーネ、いや、ラビは浮かべる。
「私の、私だけの騎士になって?」
* * *
『よくお聞き、私の可愛いウルフ』
『なぁに? お婆さま』
その声を覚えている。そのしわくちゃな指の感触を、髪を梳いてくれる手付きも忘れた事はない。
俺の最初の記憶を、一番最初に根付いた感情を。そして、尊敬する祖母に誓った事を。
『貴方は――騎士におなりなさい。守りたい人を守る、そんな騎士に。強い男になるのよ、ウルフ』
俺は、騎士になる。
俺が立派な騎士になると信じてくれたお婆さまに誓った。
誰を、何を敵に回そうとも。俺は騎士であり続ける。
俺は、特別な血筋もなければ生まれでもない。平凡な男爵家に生まれた騎士だ。
国だとか、世界だとか。そんな大きなスケールで夢を見る事はない。
俺が、ただ守りたいと思ったのは。騎士であろうと思い続けたのは……。
『お婆さまーーーー! ウルフーーーー!』
あぁ、声がする。色褪せないその声が。
* * *
「――聞いてるの? ウルフ」
目の前にラビの顔があった。思わず息を止めて、ゆっくりと距離を離す。
すると不満げに距離を詰められた。互いの吐息がかかりそうな距離だ。
「聞いていなかった」
「もう! しっかりしなさい、貴方は私の騎士でしょう!? だったら私とちゃんとお喋りしなさい」
「騎士というよりは誘拐犯なんだが……」
「良いのよ、私が護衛って言い張るから。というかお父様もさっさと勘当してくれればいいのだわ。私がいなくても大丈夫でしょ」
「そうか……?」
「そうなのよ」
俺もプラティナス公爵閣下とは幼少の頃に会った以来だ。正直人となりまでは詳しくは知らない。
ただ、どんな父親であっても娘を拐かして家出を補助したとなれば首と胴体が泣き別れしても仕方ない。“その時”はその時だ。
俺は騎士だ。騎士とは守る者だ。では、俺は誰を守る騎士なのか。
騎士になりたかった。強くなりたかった。騎士は誰かを守らなければならないなら。
「俺が、守ってやる」
「ん?」
「……いや、何でも無い」
「そう」
この妹分を守ろうと誓った。それが俺の最初の騎士の誓いだ。
だから俺は、せめて俺だけはこいつを裏切らずにいよう。まぁ、放り出して死なれでもしたら亡くなったお婆さまにも申し訳が立たない。
馬車は進む。パーティー会場を抜け出して、そのまま必要なお金だけを抱えて俺達は馬車で国境を目指す。
金なら山ほどある。騎士の給金は高いとは言えなかったが、自分の為に金を使う事はなかった。使いたいと思うものも特に思わず、貯まりに貯まってしまった。
盗まれても困らないし、と思って自分の家に置きっぱなしだったのが幸いだった。上手く回収して、さしあたっての路銀には困らない。
「ラビ。途中でそのドレス、脱げよ」
「着替えを買ってからね。ちゃんとサイズが合うの買って来てよ?」
「……最大限、善処はする」
こうして俺達の逃避行は始まったのだった。
* * *
これは、マイペースに生きる逃亡者達の旅路を綴る旅行記。
逃亡するは公爵令嬢、誘拐したのは男爵騎士。本人達が望む、望まずにも関わらず、これを切っ掛けに物語が動き始める。
作者の別作品も良ければ見てやってください! 評価、感想お待ちしています!