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第二十四話 才能

 ヒイラギが桜木の下で笑顔でこちらに手を振っている。

 俺も応じ近づこうと少し歩み寄った瞬間、世界は灰色に染まり、ヒイラギが笑顔のまま固まった。


 同時、内臓が持ち上げられる不快な感覚と共に景色が崩れゆく。

 桜木もヒイラギも瓦屋根も灯篭も池も、全て黒に沈んでいく。

 俺も同様にして沈むと、また桜木の下にヒイラギがいた。


 再度近づこうと歩み始めると、またしても世界が灰色に染まり、ヒイラギが笑顔のまま固まる。


 内臓が持ち上げられると、俺含むすべてがまた闇に沈んでいく。

 その繰り返しに捕らわれた俺は、とうとうヒイラギの元にたどり着く事は無かった。


「……ッ!!」


 突如襲い来る目の激痛に、身体が跳ねると、エクレの焦燥した声が聞こえる。


「クロヤ……!」

「はぁ……っ、はぁ……っ、エクレか……」


 何故だか呼吸がしづらい。全身に不快な水分が制服の布と共にまとわりついている。心臓の鼓動も感じる。

 しばらく目を閉じ、呼吸を整える。


 ややあって、なんとか動悸を抑え目を開ければ、心配そうにこちらを覗き込むエクレの顔がある。


「クロヤうなされてた。大丈夫?」

「あ、ああ」


 うなされてたって事は俺は今まで寝ていたのか。そういえば嫌な夢を見ていた気もする。


「ごめん。さっきはやりすぎた……かも」

「ん?」


 エクレが気まずそうに目を泳がせる。

 そう言えばそもそも俺はなんで土の上で寝てたんだっけか。

 思い出そうと視線を動かすと、エクレの控えめな胸元で止まり、全て合点がいった。


「あ、いやえっと、俺の方こそ悪い、なんかその……揉んで……」


 自分のしてしまった事の愚かしさに、ついつい語気も弱まり自然と顔が明後日の方向へ向く。


「べ、別にいい……」

「え?」


 聞き返すとエクレが頬を染め目を回しながらわちゃわちゃしだす。


「そ、そういう意味じゃない! いいって言うのは、さっきのは許すっていう意味で……」

「えと、知ってるけど、本当に許してくれるのか?」


 再度問うと、何故かエクレは一層顔を紅くし押し黙る。


「エクレ?」


 名前を呼ぶと、エクレはハッとした表情をして立ち上がるとそっぽを向く。


「な、なんでもない。私が許すって言ったんだから、クロヤは素直に受け入れればいい」


 本当にいいのか疑問だが、また言って怒らせてはいけないのでとりあえず受け入れる事にする。


「もう夕方だから帰らないと」


 エクレが言うので空を見てみると、空はあかね色に染まりつつあった。

 同じく空を見上げているエクレの背中を見ると、先ほどの打ち合いの事を思い出す。

 エクレは恐らく天才肌だ。


 一回目の打ち合いは完全に劫火之備(ごうかのそなえ)に気圧され敗北したが、二回目でエクレは俺の体勢を乱し、少しの間とは言え形勢を逆転させた。とどのつまりエクレは刀剣術における崩しというものをやってのけたのだ。


 不動之備にせよ劫火之備にせよ、刀剣術というものは簡単にまとめてしまえば、初手の構え、そこから派生する刃の入れ方やその角度、自らの一挙手一投足の動きという一連の流れそのものを指す。崩しというのはその流れを断ち切る枷のようなもの。もし刀剣術の使い手同士で戦うのなら、もちろん流れの洗練度合いも大事だが、崩しをいかに成すのかも勝敗を決める一つの要素となる。しかし技量はさておいても、崩しを差し込もうとするならそもそも不動之備や劫火之備と言った刀剣術を理解していなければできない。


 刀を扱う者なら分かるが、通常、刀剣術を理解するにはいかに才能があっても一年はかかる。それも毎日その刀剣術を受けて初めて成せる事だ。


 にも拘わらず、エクレはたった一度受けただけで不完全とは言え一部を読み取って僅かに俺を崩して見せた。無論その崩し事態も完全とは程遠いが、それでも割合で言えば既に一割はゆうに理解している動きだ。一割を理解するには単純計算でも常人なら一か月はかかる。


 ……でも、あの時エクレと打ち合って感じたあの違和感のような感覚はどうにも拭いきれない。勿論、たった一回受けただけで、多少なりとも対応をしてくるなんていうのは予想外だった。そのせいで妙な気配を感じたのもあるだろう。


 だが何というか、それ以外にも何かがある、そんな気がする。

 もっと根本的な根深い所に、俺の本能に語り掛けてくるような、焦燥を感じさせるような何かがエクレには宿っていた気がするのだ。


 ただ、その正体は何なのかは残念ながら分からない。あるいはただの気のせいという可能性もある。


 だから、とりあえず今は頭の隅に置いておこう。

 新人戦まで俺のやる事は決まっている。エクレをフラミィに勝てるように。それが今の俺の役割だ。


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