よりみちアケルナル クリスマスⅠ
昨夜降り積もった雪が、砂糖菓子のように固まって、小走りの靴跡をくっきりと型どっていた。
早朝の凍った空気の中を、赤いショールの人影が横切っていく。小さな体を一層縮めて、出来る限り早く暖かな部屋へ飛び込みたいと、全身で訴えるかのような足取りだ。
やがて、町外れの古い教会の前まで来ると、滑りそうになりながら石段を上がり、酷く重たい扉を両手で押し開けた。
「おや、おはよう。えらく早いね」
中では、数人の女性が、何やら大きな木箱を囲んで、忙しく作業していた。手際よく指示を出していた、大柄な中年女性が、振り返って笑顔を見せた。黒髪と鳶色の大きな瞳、それに丸い、薔薇色の頬。若い頃はさぞや、人目を惹く美人だっただろう。
「すみません、皆さん夜通し働いていらっしゃるというのに、遅くなってしまって……」
頭から被っていたショールを外すと、見事な金色の髪が現れた。痩せた青白い顔は、急いできた為に紅みがさしていたが、胸元に組み合わされた骨ばった手には血の気がなかった。
「ついこの間まで寝込んでいたっていうのに、こんな朝早くに寒い中を走ったりしちゃ駄目じゃない」
別の女性が声をかけた。
「そうだよ、おかみさんもあんなに言ってただろうに。私たちだけで、何とかするからって」
「まあ、とにかくこっちへ来て座りな。そこよりは暖かいよ」
「はい……すみません」
「ジョゼッタ、温かいお茶を入れてくれるかい? あたしたちも少し休憩しようじゃないか」
「あ、お茶なら私が……」
「いいから。クレアは座りな」
『おかみさん』の命令は絶対だ。クレアはたちまち女性たちに囲まれ、椅子に座らされた上、重いくらいたくさんショールを掛けられた。
「寄付は大分集まりました? 」
「有難いことに、沢山ね」
女性達が仕分けしていたのは、箱に集められた食品や布等の寄付の品だった。毎年、クリスマスにはこうして寄付を集め、ミサの後で必要な人々に配る。この町には船乗りの家族が多く、長く留守にしている夫たちを、助け合いながら待っているのだ。
「僅かずつでも、必要な家には行き渡るだろうさ。今年はアルビレオ号の災難があったからね……そういや、クレア、船は予定通り着きそうかい? 」
「昨夜帰港した船に、見かけたか訊いたんですけど、近海まで来てはいないみたいです。もしかしたら、遅れているのかも……」
クレアは不安げに睫を伏せたが、周りからの、多少の冷やかしの混じった温かい眼差しに気付いて、途端に額まで紅くなった。
「い、いえ……あの、仕事の帰りに港を通ったので……きっと皆さんも、旦那様方のお帰りを心待にしてらっしゃると思ったものだから……」
「心待っていうか、うちは、クリスマスの焼き菓子は要るのか要らないのかっていうだけなんだけど」
「懐かしいわねえ。あたしだってクレアの年頃には、船乗りなんて好きになるんじゃなかった、なんて泣いたりしたものよ。ろくに会えないんだもの」
「それが今じゃ、しばらく居るなんて聞くと、手間がかかるって思うんだから。若いって、どんな魔法がかかってるのかね? 」
「あんたたち、羨ましいのは分かるけどね、あんまり言うとクレアがエンジ虫みたいになっちまうよ。まあ、帰ってくる前に、病気を治せて良かった。……夜までに着くといいね……ああ、そうだ、クレア、これを仕立て直せるかい? 」
そう言いながら、おかみさんは綺麗に畳んだ、深い緑色の服を手渡した。クレアは受けとると、膝の上でそっと広げてみた。
「……素敵なドレス……布もとても質の良い物ですね。どんな風に直せば良いんですか? 」
「そう、古い物だけど、生地はしっかりしているからね。ちょうどあんたにぴったりなように直して欲しいんだよ」
「私に? でも、私のサイズは少し小さすぎるから……」
「やっとタンスの鍵が見つかってね。船が遅れているなら、間に合うだろうと思って、持ってきたんだよ」
「パウラ、あんたそれ、若い頃、着たことあったわね? 」
「そうだよ。よく覚えているもんだ。一度だけ、アルと行ったクリスマスコンサートで着て……そんなことはどうでもいいよ。スタイルも流行遅れだし、お古なんて嫌かもしれないけど、好きなように直していいから」
クレアはよく飲み込めず、おかみさんを見つめた。
「……えっと……? 」
「あら、いやだ。この子ったら分かってないわ」
「おかみさんはね、あんたに、このドレスをあげる、って言ってるんだよ」
「ええっ? 」
クレアの大きな瞳が、一層大きくなった。
「い……いけません、おかみさん……そんな大切な物を……私なんかに……」
「貰っておきなさいよ。あんた、沢山の綺麗な服を仕立ててるけど、自分はほとんど着たきりじゃない」
「そうよ。荒海を乗り越えて帰ってくる彼を、綺麗な身なりで迎えてあげるのも思いやりってものだわ」
女性達の言葉に、おかみさんも頷いた。
「本当は新しい布をあげるつもりだったんだけどね。サリーが結婚するって言うから……あんたが結婚するときは、もっと奮発するから、今はこれで我慢しておくれ」
「我慢だなんて……そんな……」
クレアは首を振ると、ショールで顔を覆った。うっかりして膝の上の宝物を汚したりしないように、しっかりと覆った。おかみさんは優しくその肩を抱くと、温めるように擦った。
「ミサが終わったら、配るのはあたしたちに任せて、急いで帰るんだよ。そして手直しすると良い。あんたの腕なら、きっとすぐだろう? 間に合うよ」
「……どう……お礼を……」
「クレア、あんた、ブローチとかもってる?」
「いえ……? 」
「昔のデザインだから、胸元が寂しいんじゃないかしら……」
「ああ、なるほど。なら、これを貸してあげよう」
おかみさんは襟元から細い鎖を引っ張り出した。温かそうな色の手のひらに乗せられたものは、小さな星を纏ったように輝く、すみれ草の装飾が見事なロケットだった。クレアはびっくりして両手を突き出すと、思いきり首を振った。
「いけません! こんな大切なものは」
「あげるんじゃないよ。貸すだけさ。あの子が立派になって、もっと特別なものをくれたら、返しておくれ。なに、どうせ今のあたしには可愛らしすぎて、近頃は服の下に隠しているんだよ。ロケットが可哀想ってもんだよ」
クレアがどうしても受け取れないのを見ると、おかみさんはさっさとそれを、クレアの胸に掛けてしまった。
クレアは泣いたり笑ったりしながら、何度も何度も頭を下げ、愛のこもった品々を大切に抱き締めた。それから、粗末で苦労が染み付いているけれども、思いやりだけは渇れることがない、『おかみさん』天使たちと一緒に、クリスマスにふさわしい仕事に勤しんだのだった。
その夜、雪の降る埠頭で、彼女は神様からご褒美をもらった。それは、感謝と自信に輝く姿で、愛する人の記憶に留まるという、幸福だった。