第4話:直接民主制
外部からの進入者2人を殺害する。
推奨されるその処置は、その場の皆にとって、そしてもちろん大統領にとってショッキングなものだった。
ピラミッドでは、その建造以来、死刑制度が敷かれたことはない。
死刑制度が敷かれたとしても、ピラミッドの住民は高度な倫理観と良識を持ち合わせているので、殺人はもちろん、重大犯罪はおろか軽犯罪を働く者もいなかった。
だから、ピラミッドにも法律くらいはあるものの、裁かれる住民は誰もいなかった。
当然のことながら、ピラミッドにおいても殺人は違法中の違法だ。
ところが、軽犯罪もなかったそのピラミッドにおいて人を2人も殺さなければならないのだ。
しかし、他方、ピラミッドの安全保障は人間2人の命よりも優先する。
もちろん、大統領はそんなことくらい承知している。それでも、彼は、念を押しておきたいと思った。だから、タケルに言った。
「なあ、タケル、殺人は重大犯罪だよな。それでも、このピラミッドの安全保障の方が優先する。だから、進入者の2人を超法規的に殺害する。この理解で間違っていないよな?」
タケルには、この点についての十分な確信があった。
「ああ、その解釈は確かに正解だよ。それに、このピラミッドの安全保障の問題だけではないよ。外の世界の人類を守るためにも必要不可欠な処置だよ」
「ああ、そうだな。このピラミッドの存在が外の世界の人類に知られて、挙句に戦争にでもなれば、科学技術力と軍事力で圧倒的に勝る我々が戦争に勝利して、外の75億の人類を殺してしまうことになるからな」
そう、大統領が言うとおり、ピラミッドの科学技術力と軍事力は外の世界のそれらとは比べ物にならないほど優秀な水準にある。なにせ、ピラミッドの科学技術は、外の世界のそれの5万年も先を行っているのだ。
だから、ピラミッドと外の世界との間で戦争にでもなれば、ピラミッドの側が負ける理由などない。
他の議員たちも口々に意見を述べた。
「ならば、議論の余地はないな。残念ながら進入者の2人を薬剤で安楽死させるのみだよ」
「だったら、この場の皆で票決をしようか」
「いや、待てよ。規定を確認してみようよ。この場で決められる事柄かどうかが不確かだよね」
「確かにそうだね。これは住民投票にかけるべき重大事項だよね」
住民投票。ピラミッドは、大統領も最高評議会議員もいるが、原則的には直接民主制の領地だ。だから、これまで、重大事項の決定は住民投票により下されてきた。
大統領は、議員の意見を聞いて、住民投票にかけるべきだと思った。
ところで、日本は、法案の決定が議員の票決により下される間接民主制の国だが、憲法改正のような重要事項の決定は国民投票によって下されることになっている。
世界の諸国の中でもスイスは、古くから直接民主制が優先する国だ。
それはさておき、タケルも住民投票を持ち出した議員に賛同した。
「ああ、確かにその通りだね。これは住民投票にかけるケースだね。このピラミッドには死刑制度など元よりないけど、今回の場合は、死刑というよりも、まさに殺害だよ。なにせ、進入した2人は何も悪いことなどしていないのだからね。悪いのはむしろ、外の人間をピラミッドの住民として認識してしまった、こちらの認証システムの方だからね。住民投票にかけよう」
そこで、大統領は結論を宣言することにした。
「よし、皆の意見はわかった。住民投票を実施しよう。ところで、進入者の2人はいつまで眠っているのだ?」
これにはタケルが答えた。
「それほど長くは眠っていないだろうね。催眠ガスの噴射を受けて眠っているだけだからね、せいぜい2、3時間かな。十分な時間を稼ぐには、医療施設に移して本格的な麻酔を施す必要があるね。麻酔をすれば、1週間でも1ヶ月でも眠らせておけるから、十分な時間が得られるよ」
しかし、議員の1人が発言した。
「あまり長く眠らせるのはまずいぞ。あの2人の家族や同僚が騒ぎ出すからな」
それはそうだ。2人の人間が中国地方に行ったきり消えてしまったのでは、騒ぎになるに決まっている。
そこで、議員の1人が提案した。
「あの2人を解放するのなら、24時間程度以内にするのが適当だろうね」
24時間、どうやらそれが妥当な線だ。
だから、大統領もその意見に同意した。
「そうだな、せいぜい一昼夜だな。それに、住民投票は、各住民の自宅の端末から是非の票を投じるわけだから、告知から票決までで24時間もあれば足りるはずだよね。ところで、解放するにしても、あの2人をそのまま解放するわけにはいかないね」
そこで、タケルが提案を出した。
「もちろんだよ。それに、住民投票にかけるには、殺害という保障処置に対する対案が必要だよ。マスコミ関係者や政治家などの影響力が大きな人間以外の一般人の場合、規定によると、このケースでは薬剤で記憶を消してから解放することになっているよね。だから、対案は記憶の消去ということでどうだろうね」
大統領も同じ考えだった。
「それが妥当だろうね。このピラミッドの存在とそこに立ち入った事実さえ忘れてくれれば、それで問題はないはずだからね」
しかし、議員の1人が不安を述べた。
「短期の記憶を消去する薬剤のことなら聞いたことがあるけど、確実に消えるのかな? 万一、記憶が残ると、何もしないで解放したのと同じことになるぞ」
タケルもそのことについては不安だった。
「あの薬剤の効果は、ピラミッド住民に協力してもらって実施した人体実験でしか試したことがないからね、確かに不安だよね。ちょっと人工知能に聞いて確認してみるよ」
そこで、タケルは、人工知能と音声により対話して、そこのところを確認した。
議員の1人がその結果に満足して、安心した表情で言った。
「人体実験の結果では何の問題もないようだね。被験者100人の短期記憶が100パーセントの確率で消去されたのだからね」
しかし、別の議員が別の不安を口にした。
「けれども、この人体実験は、1000年も前に実施されたものだよ。しかも、外の人間が被験者になったわけではないよね」
「同じ人類だろ、心配ないよ。それに、1000年前と言っても、人類の根本的な体質が1000年くらいで変化することはないよ」
「それでも、やはり、確実な保障処置は進入者の2人の殺害だな。この意見を付した上で住民投票にかけるというのはどうだ?」
大統領もタケルも「殺害の方が確実」という参考意見を付した上で住民投票にかけるのが妥当と思った。
だから、結局、原案が「殺害」、そしてその対案が「記憶を消去した上での解放」ということで住民投票が14時間後に実施されることになった。
このことが決まると、議会は散会して、大統領も議員たちも、それぞれの自宅に帰宅した。
住民投票の実施と決議案の告知は直ちに行われた。
だから、タケルが帰宅すると、妻のミレイは住民投票と決議案のことを既に知っていた。
妻のミレイは、帰宅した夫のタケルの顔を見るなり言った。
「私、殺害なんか絶対に反対だからね」
タケルは自分の意見をミレイに言った。
「でも、記憶の消去よりも殺害の方が安全保障上確実な処置なのだよ」
「そんなことはないわよ。記憶を消すだけで十分でしょ」
「ミレイはそう言うけど、このピラミッドが外の世界の人間たちに知られると、最悪の場合には、このピラミッドの住民が危険にさらされるだけでなく、世界の75億の人類が死ぬことだってあるのだぞ」
「あらあら、男って小心者なのね。それに、今のタケルの意見は、いかにも子供を産まない男目線の意見よね」
これを聞いたタケルは少し困惑した表情になった。
=続く=